哲学が 根本になければ、砂上の楼閣にすぎぬ。このサイトは持続可能な社会を目指して、地球温暖化防止、緑化の推進、世界平和、世界連邦建設等を目的としたものです。左の写真は、尾崎行雄先生と尾崎先生の意思を継承した相馬雪香先生です。相馬雪香先生の教えを受けた人は多数いると思いますが、雪香先生をおんぶしたことがあるのは、私(中澤誠)だけでしょう。すべての組織は利害で動く 日本は敗戦国となった時から、植民地以下の国になった。だが日本には至るとこに神社がある。それが唯一の救いだ。天之御中主様 この日本を目覚めさせていただきたく。 殺戮の無かった縄文時代に戻ることこそ重要である。
 
2026/08/02 10:42:01|その他
三木清全集  第六巻  ?史哲學  第二章 三 存在の?史性 90p11g
一、體驗と云はれるとき、それは意識を意味する。然らばこの意識の内容をなすものは如何なるものであろうか。それは何等かの存在であると答へられるかも知れない。けれどもそれが特に體驗と名付けられる限り、それは單に「對象的な」意識でなく、寧ろ主觀的に色どられ、それのうちには主觀的なものがにじみ出てゐると考へられてゐる筈である。換言すれば體驗は感情的なもの、氣分的なものを含む。このことは根本的には、體驗といふもの單にいはば前面に於て客觀的な存在によつて規定されるばかりでなく、背後に於て主觀的な事實によつて規定されてゐることを意味するのでなければならぬ。かかる關係は就中創造の體驗、或はまた運命の感情に於て顯はにされて與へられるであらう。これらのものは、我々の意識には存在ならぬ事實によつて規定される方面のあることを認めるのでなければ、十分に理解されない。それは一般に「無」の體驗と云はれるであらうが、さうかと云つてそこに何物も無く、空無であるのでない。無の體驗とも考へられる創造の體驗へ却て最も積極的なものを孕む。