「矛盾は存在しない、それは現存するものではない、といふ主張に關して云へば、我々はこのやうな斷言を意に介することを要しない。本質の絶對的な規定は凡ての經驗のうちに、凡ての現實的なもののうちに、並にあらゆる概念のうちに見出されなければならぬ。・・・・普通の經驗は、少なくとも澤山の矛盾する事物、矛盾する制度、等々が存在し、この矛盾は單に外面的な反省に於てではなく、却てそれらのものそのもののうちに現存するといふことを、自分で言ひ表はしてゐる。然し更に矛盾は單に此處彼處に於てのみ現はれるやうな異常性は見らるべきはなく、却て否定的なものはその本質的な規定に於て、否定的なものの敍述に於てのほか存しないところの凡ての自己運動の原理である。外的な感性的な運動そのものはそれの直接的な定有である。或るものは唯、それが此の今には此處にありそして他の今には彼處にあることによつてではなく、却てそれが同一の今に於て此處に且つ此處にで泣くあることにはよつて、それが此の此處に於て同時にあり且つないことによつて、運命するのである。ひとは昔の辯證家たちに對して、彼等が運動のうちに示してゐる諸矛盾を認めなければならない、然しながらそのことからして、それだから運動はない、といふことが從つて來るのでなく、寧ろ、運動は定有的矛盾der daseiende Widerspruchそのものである、といふことが從つて來るのである。」 |