人間は働くものであり、彼等の周圍の自然は彼等でよつて働きかけられるものとして環境といはれるやうである。然るに思想の?史に於ては寧ろ反對に、環境理論は人間が自然によつて働きかけられるといふこと、從つて環境は働きかけるものであるといふことを主張することによつて發展したのである。もちろん自然の人間に及ぼす影響の重大性を説くラッツェルなどの人文地理學が一面的であることは免れないのであつて、これに對して、フランスの人文地理學geographie humaine は自然に働きかける人間研究を重要視する。人間は自然に働きかけると同時に自然から働きかけられる。個人に對して社會が環境と考へられる場合も同樣である。それ故に環境がそれにとつて環境であるところのものが働くものであるとしても、それは環境とは異なつた秩序の或るものでなければならぬことは明らかである。そこでひとはこの場合カントの思想を思ひ起すであらう。我々は畢竟カントの云ふやうな自然の「終局目的」Endzweckの概念を立てるのでなければ、環境の概念を基礎付け得ないのではないであらうか。カントによれば、かかる終局目的發自然の範圍内にはなく、それとは全く秩序を異にする自由の王國に屬する。人間も自然的存在と見られる限り自然の終局目的ではあり得ないのであつて、彼が道徳の主體であるとき初めて、一切の自然がそれに從屬せしめられる終局目的であり得るのである。實際、カントに於ての如く、自然の秩序とは全く異る自由の秩序のうちに自然の終局目的を立てるならば、たしかに環境の概念は基礎付けられるであらう。 |