いうまでなく筆者は、如是閑翁が、この東洋の動乱をよそに、静かに瞑想しているような態度を、非難しようなどとは夢にも考えない。これについては、私たちこそ、ほとんどこれといった効果的なことが、何も出来ないでいるのである。如是閑翁がこのヴェトナムの騒動そのものを、断じて行うべからざるものであったと、深い怒りで見ていることは間違いあるまい。 それはそれとして、話を少しひろげて、?史上の出来事のあれこれを思い出してみると、自ら動き出したがために愚行を敢えてすることになったことが、甚だ多いのではあるまいか。反対に、もし動かなければ、静謐な生活をつづけ得たと思われるようなことも多々あろう。動きを封ずるために動くことは、日本人にはどうも不得意なことに属するのであるかも知れない。そもそも動かざること、行なわざることこそ、和を保ち得るのかも知れない。動いて、行って、ついに和に達するものと、動かず、行わずして、おのずから和を得るものと、二つに行き方のちがいはありそうに思われるのである。 これは例の「絶えず努力するものは救われる」というファウスト風の動の人生観と、たしか老子であったか、「大国を治めるには、小魚を料理するようにせよ、やり過ぎてはいけない」という東洋風の政治哲学との相違であるかも知れない。 |