哲学が根本になければ、砂上の楼閣にすぎぬ。このサイトは持続可能な社会を目指して、地球温暖化防止、緑化の推進、世界平和、世界連邦建設等を目的としたものです。左の写真は、尾崎行雄先生と尾崎先生の意思を継承した相馬雪香先生です。相馬雪香先生の教えを受けた人は多数いると思いますが、雪香先生をおんぶしたことがあるのは、私(中澤誠)だけでしょう。すべての組織は利害で動く 日本は敗戦国となった時から、植民地以下の国になった。だが日本には至るとこに神社がある。それが唯一の救いだ。天之御中主様 この日本を目覚めさせていただきたく。 殺戮の無かった縄文時代に戻ることこそ重要である。
 
2025/12/14 10:30:30|その他
ヤスパース 哲学的世界定位 哲学 1 第一部 存在の探究 一般的、形式的な存在諸概念(客観的存在、自我存在、即自的存在)7p9g
客観的存在としての存在と自我存在としての存在とは、何よりもまず身近に迫ってくるところの、本質的に最も異なっている存在様態である。なるほど諸客観の中には諸々の個人も含まれている。これらの個人はそれら自身に対して存在するものとしては自我であり、それらに対して私は客観となり得るのであり、また私自身とても、そこに存在するものとしては、私自身に対して客観となることができる。しかし自我存在の中には、客観としての自我と主観としての自我が互に分裂するにも拘わらずそこで合一するところの、一点が残るのである。