哲学が 根本になければ、砂上の楼閣にすぎぬ。このサイトは持続可能な社会を目指して、地球温暖化防止、緑化の推進、世界平和、世界連邦建設等を目的としたものです。左の写真は、尾崎行雄先生と尾崎先生の意思を継承した相馬雪香先生です。相馬雪香先生の教えを受けた人は多数いると思いますが、雪香先生をおんぶしたことがあるのは、私(中澤誠)だけでしょう。すべての組織は利害で動く 日本は敗戦国となった時から、植民地以下の国になった。だが日本には至るとこに神社がある。それが唯一の救いだ。天之御中主様 この日本を目覚めさせていただきたく。 殺戮の無かった縄文時代に戻ることこそ重要である。
 
2026/08/05 21:00:03|その他
三木清全集  第六巻  ?史哲學  第二章 三 存在の?史性 94p5g
一般に次の如く云はれ得よう。存在としての?史と事實としての?史との對立は存在と存在の根據との對立である。しかも兩者は、存在と存在の根據として互いに相俟ち、對立でありながら統一である。如何なる現實的なものもその現實存在と現實存在の理由との二つの契機を含む統一である。かかる對立に於ける統一、統一に於ける對立は辯證法的として規定される。從つて一切の現實的なものは辯證法的である。事實としての?史は自己の對立物たる存在としての?史に於て自己を實現する。この場合それは過去の存在としての?史に結び付くことを通じて自己の存在を規定する。これらのことなしにはそれはみづからを發展せしめ得ない。その限りに於て存在としての?史は事實としての?史の發展形式である。然し存在としての?史はどこまでも事實としての?史の對立物であり、前者はやがて後者に對する桎梏に轉化する。かくて一切の現實的なものは矛盾に陥るべき運命を有する。事實としての?史はそのとき舊き存在形式を破壊し、新たなる存在形式へと發展する。