経験の全体的な構造を記述しようと試みる時には、経験それ自体に目を向けなければならない。では、経験それ自体とはどのようなものだろうか。我々が机の前にすわっているとき、私の前の空間は私がよく知っている物で満たされている。部屋は私の前に、ある秩序をもって拡がっている。すなわち、机の上の本は、この何日間か、私が理解しようと努めてきた本である。それはそこにあって、私にとって意味に満ちているーーそれは、その内容についての私の記憶とか、私自身の仕事との関係でその本がどこに位置づくのか、ということについて私が持っている感覚とか、その本を理解することがその一部でもある仕事を持っている、という私自身についての感覚とかいった、もろもろの意味である。ほかの本は壁に並んでいる。それらの本は部屋の中に、ある一定の位置を持っており、その部屋は私の生活の中に、ある一定の位置を持っており、その部屋は私の生活の中に、ある一定の位置を持っている。私の子ども達の写真が何枚か机の上に置いてある。彼らは私の子どもであり、私は彼らの父親である。子ども達をそのように知っているので、彼らの写真がこの部屋についての意味ある経験の一部となる。私は子どもが小さかったときを覚えているし、今よりももっと大きくなっていくときを予期している。 |