哲学が 根本になければ、砂上の楼閣にすぎぬ。このサイトは持続可能な社会を目指して、地球温暖化防止、緑化の推進、世界平和、世界連邦建設等を目的としたものです。左の写真は、尾崎行雄先生と尾崎先生の意思を継承した相馬雪香先生です。相馬雪香先生の教えを受けた人は多数いると思いますが、雪香先生をおんぶしたことがあるのは、私(中澤誠)だけでしょう。すべての組織は利害で動く 日本は敗戦国となった時から、植民地以下の国になった。だが日本には至るとこに神社がある。それが唯一の救いだ。天之御中主様 この日本を目覚めさせていただきたく。 殺戮の無かった縄文時代に戻ることこそ重要である。
 
2026/06/25 10:50:25|その他
三木清全集  第六巻  ?史哲學  第二章 ニ 存在の?史性 80p1g
人間は働くものであり、彼等の周圍の自然は彼等でよつて働きかけられるものとして環境といはれるやうである。然るに思想の?史に於ては寧ろ反對に、環境理論は人間が自然によつて働きかけられるといふこと、從つて環境は働きかけるものであるといふことを主張することによつて發展したのである。もちろん自然の人間に及ぼす影響の重大性を説くラッツェルなどの人文地理學が一面的であることは免れないのであつて、これに對して、フランスの人文地理學geographie humaine は自然に働きかける人間研究を重要視する。人間は自然に働きかけると同時に自然から働きかけられる。個人に對して社會が環境と考へられる場合も同樣である。それ故に環境がそれにとつて環境であるところのものが働くものであるとしても、それは環境とは異なつた秩序の或るものでなければならぬことは明らかである。そこでひとはこの場合カントの思想を思ひ起すであらう。我々は畢竟カントの云ふやうな自然の「終局目的」Endzweckの概念を立てるのでなければ、環境の概念を基礎付け得ないのではないであらうか。カントによれば、かかる終局目的發自然の範圍内にはなく、それとは全く秩序を異にする自由の王國に屬する。人間も自然的存在と見られる限り自然の終局目的ではあり得ないのであつて、彼が道徳の主體であるとき初めて、一切の自然がそれに從屬せしめられる終局目的であり得るのである。實際、カントに於ての如く、自然の秩序とは全く異る自由の秩序のうちに自然の終局目的を立てるならば、たしかに環境の概念は基礎付けられるであらう。