哲学が根本になければ、砂上の楼閣にすぎぬ。このサイトは持続可能な社会を目指して、地球温暖化防止、緑化の推進、世界平和、世界連邦建設等を目的としたものです。左の写真は、尾崎行雄先生と尾崎先生の意思を継承した相馬雪香先生です。相馬雪香先生の教えを受けた人は多数いると思いますが、雪香先生をおんぶしたことがあるのは、私(中澤誠)だけでしょう。すべての組織は利害で動く 日本は敗戦国となった時から、植民地以下の国になった。だが日本には至るとこに神社がある。それが唯一の救いだ。天之御中主様 この日本を目覚めさせていただきたく。 殺戮の無かった縄文時代に戻ることこそ重要である。
 
2025/11/16 17:28:39|その他
舩山信一著作集 第六巻 明示哲学史研究 明治哲学の系譜 一 明治哲学の発展段階 1第一期 実証主義の移植 29p1g
西周の哲学的活動は明治二十年代にまでわたっているが、しかし彼の哲学的活動が精力的に行われたのは全くこの時期においてである。即ち、彼の哲学体系『百学連環』の基礎になった講義が行われたのは明治三年に育英舎においてであり、哲学概論や哲学史といわれるべき『百一新論』、『生性発蘊』はそれぞれ明治七年及び同六年に発行または執筆されており、日本の論理学及び心理学の始めである『致知啓蒙』、「知説」は共に明治七年に発表され、心理学説である「人智論」、「情智関係論」は共に明治五に執筆され、それぞれ倫理学、宗教論に当る「人世三宝説」、「教門論」は明治八年、同七年に発表され、美学の始まりである『美妙学説』は明治五年に、政治学に当る『政略論』、「社会党論の説」は共に明治五年に執筆されている。このように哲学的エンチュクロペディストとしての西の主な活動はほとんどこの時期に行われているのである。