我々は既に史觀といふ語を用ゐたのであるから、ここにこの概念を他の?史の諸概念に對する秩序及び關係に於て規定しておくことが必要であると思はれる。史觀は?史的意識と特に呼ばれたものと同じ秩序に位する。それは主として事實としての?史を自己のうちに表出する。ロゴスとしての?史はその根抵に於て史觀によつて規定され、このことを通じて、それは單に存在としての?史を模寫することにとどまらず、また主體的事實を自己のうちに表出せざるを得ない。?史敍述がイデオロギーとしての性格とるに至る根源はここに存してゐる。史觀が?史的意識の概念に對して一面或る内容的なものを意味することは既に云はれた。全く異つた史觀を有するフンボルトもマルクスも共に?史的意識の上に立つてゐたと見られる。然し今や他面に於て史觀の概念の範圍を擴張することが要求されてゐるやうに思はれるのである。蓋し我々の規定したところでは、?史的意識は優越な意味のものであつた。これを與へるのは優越な意味を有する事實、即ち?史の基礎經驗であつた。けれども事實としての?史は或る一定の?史的時代にのみあつて、他の?史的時代にはないといふ如きものではない。それはつねにある。そしてまた他方に於てあらゆる?史的時代に、從つて規範的な意味に於ける?史的意識からは非?史的と見られる時代にも、ロゴスとしての?史即ち?史敍述が存在し、且つそれの根抵には?史に就いての一定の見方が横たはつてそれを規定してゐるのが認められる。例へばかの啓蒙時代は非?史的であつたと云はれてゐる。然しこの時代にも種々なる?史敍述があつたし、そしてこのものは?史に就いての一定の見方を含んでゐたのである。 |