さてジンメルは『現代文化の葛藤』に就いて論ずるに際し、次の如く云ふ。「生が單に動物的なものを越えて精神の段階に進み、そして精神がそれ自身文化の段階に進むや否や、生のうちに於てひとつの内的な對立が顯はになる、この對立の發展、調停、新たなる生成が文化の全體の道を形作つてゐる。即ち明かに我々は、生の創造的な運動が或る生産物を作り出し、それらのものがそれ自身また後に來る生の潮を自己のうちに受け入れ、これに内容と形式、活動範圍と秩序とを與へるとき、文化に就いて語る、社會制度、藝術作品、宗教、科學的認識、技術、市民的法律及び無數の他のものはかくの如きものである。然るにこれら生の過程の生産物は、それがその生成の瞬間に於て既に自己自身の確固たる存立性をもち、この存立性たるや、生そのものの休み無き律動、その生起と没落、その絶えざる更新、その不斷の分裂と再結合とはもはや何等關係するところがない、特有なものをもつてゐる。」存在の?史性 98p6g さてジンメルは『現代文化の葛藤』に就いて論ずるに際し、次の如く云ふ。「生が單に動物的なものを越えて精神の段階に進み、そして精神がそれ自身文化の段階に進むや否や、生のうちに於てひとつの内的な對立が顯はになる、この對立の發展、調停、新たなる生成が文化の全體の道を形作つてゐる。即ち明かに我々は、生の創造的な運動が或る生産物を作り出し、それらのものがそれ自身また後に來る生の潮を自己のうちに受け入れ、これに内容と形式、活動範圍と秩序とを與へるとき、文化に就いて語る、社會制度、藝術作品、宗教、科學的認識、技術、市民的法律及び無數の他のものはかくの如きものである。然るにこれら生の過程の生産物は、それがその生成の瞬間に於て既に自己自身の確固たる存立性をもち、この存立性たるや、生そのものの休み無き律動、その生起と没落、その絶えざる更新、その不斷の分裂と再結合とはもはや何等關係するところがない、特有なものをもつてゐる。」 |