哲学が根本になければ、砂上の楼閣にすぎぬ。このサイトは持続可能な社会を目指して、地球温暖化防止、緑化の推進、世界平和、世界連邦建設等を目的としたものです。左の写真は、尾崎行雄先生と尾崎先生の意思を継承した相馬雪香先生です。相馬雪香先生の教えを受けた人は多数いると思いますが、雪香先生をおんぶしたことがあるのは、私(中澤誠)だけでしょう。すべての組織は利害で動く 日本は敗戦国となった時から、植民地以下の国になった。だが日本には至るとこに神社がある。それが唯一の救いだ。天之御中主様 この日本を目覚めさせていただきたく。 殺戮の無かった縄文時代に戻ることこそ重要である。
 
2025/12/23 22:52:57|その他
ヴィトゲンシュタイン全集 第三巻 哲学的文法 内容の見出し  一  文、文の意味 39p8g
「理解するということは、文について、それも文の全体について、初めてなりたつのではないか。文の半分を理解するということがありうるか。」ーー文の半分は文の全体であるわけがない。ーーしかしこの問が意味しているのは、おそらく次のことだろう。将棋の桂馬跳びは、いつも駒の二つの動き(まっすぐのと斜めのと)によっておこなわれる、というように考えるとしよう。そして「将棋では桂馬跳びの半分はない」と言ってもよかろう。そこで考えられていることは、桂馬跳びの半分と全体の関係は、まんじゅうの半分と全体の関係とは違う、ということである。それは程度の差ではないと言いたいわけである。
科学や数学が多くの文を使いながら、それらの文の理解について何も語らないのは、思えば妙なことである。