哲学が根本になければ、砂上の楼閣にすぎぬ。このサイトは持続可能な社会を目指して、地球温暖化防止、緑化の推進、世界平和、世界連邦建設等を目的としたものです。左の写真は、尾崎行雄先生と尾崎先生の意思を継承した相馬雪香先生です。相馬雪香先生の教えを受けた人は多数いると思いますが、雪香先生をおんぶしたことがあるのは、私(中澤誠)だけでしょう。すべての組織は利害で動く 日本は敗戦国となった時から、植民地以下の国になった。だが日本には至るとこに神社がある。それが唯一の救いだ。天之御中主様 この日本を目覚めさせていただきたく。 殺戮の無かった縄文時代に戻ることこそ重要である。
 
2025/11/12 16:32:45|その他
舩山信一著作集 第六巻 明示哲学史研究 明示哲学の系譜 一 明治哲学の発展段階 26p11g
明治の哲学ーーより正しくは兆民以前の、または兆民以外の明治哲学ーーが真の意味の哲学であるかどうかの問題は別として、明治以前の日本に哲学があったかどうかは歴史的に充分意義がある問題である。
また明治二十年に『哲学雑誌』の「質疑」において西村茂樹が儒教仏教は哲学でないと主張したに対して、明治二十一年に鳥尾小弥太が『哲学雑誌』の「西村氏質疑の質疑」においてこれを反駁して、儒教仏教が哲学であることを強調している。そして西村が儒教仏教と哲学とを区別し、前者が哲学ではないと主張する根拠は、「儒仏の二者は知行を兼重んじ(寧ろ行を重んずる方)其身を修め兼て世人を教化するを以て目的とし其教祖を尊信し、又何れも奉守する所の経典あり。殊に仏教の如きは、苟も其方便を行ふに利ありと思ふときは、道理の境界を越え、地獄極楽をも説くに至れり、哲学は其本意素より天地間の真理を究むるに在ることなれば、教祖も無く経典も無く、方便の如きは、如何なる時に於ても之を用ふることなし」(『哲学雑誌』第一冊ーー第十号ーー五ニーーーニ頁)