おじちゃんの一人が逝ってしまった、72歳 ガンだった。
危篤を聞き駈け付けた時、呼吸もやっとなのに私を分って応えてくれた。。
父親や祖父とは違う、、誰もそうかと思うがおじちゃんはまた独特な存在だ。
約3年前、病状を聞いた時は健康そのもののおじちゃんと思っていたのでまさかだった。
50年くらい前だろうか、物心ついた頃におじちゃんには初めての釣りにも連れて行って貰った、田んぼ中の川でコイかフナの大きいのが掛かりどうしていいか分からずおじちゃんに上げて貰った、、、釣り堀にも連れてって貰った。 以前に書いたが父親、祖父等と狩猟にもよく行き連れて行って貰った、、、おじちゃんが撃つと必ず獲物が獲れると思った。ソフトボールも好きでうまかった筈だ、よくキャッチボールもした、昔から楽しい事が好きでいつも面白いおじちゃんだった。
何年も過ぎ、私が渓流釣りをし始めた事を知り二度ほど狩猟仲間の人達と源流域に岩魚釣りに連れて行って貰い、私の自信有ったルアー釣りで釣れなく面白がられた、、おじちゃんは餌でしっかり釣った、最近は会えば山の話、釣りの話、、、今の自分の中の多くを占める気持ちは唯一おじちゃんと話ができた、もっと話を続けていたかった。
山に関わる仕事に転換した事もおじちゃんは、、いいだ好きな事をすれば・・と笑って言ってくれた。
おじちゃん達の存在は私にしてみればアウトドア好きの原点の大きな一つだったと思う。
見舞いに行った時一つの鉈を 、山で使う様にこれを持って行けとくれたものが形見となった。
暖かくなったら岩魚を釣りに行く約束だった、、、
おじちゃん、、天国に行っておじちゃん家族を見守ってください、そして親父やおじいちゃん達とまた狩猟に行って楽しんでください、おれもいつか行ったらまた鉄砲撃ちや釣りに連れてって下さい。 納棺のときには当日の富士山の入った山の写真や、おじちゃんが狩猟によく出掛けた方面の山の写真を数枚入れてあげた。
きっと喜んでくれたに違いない・・・ 今は安らかに・・