哲学が根本になければ、砂上の楼閣にすぎぬ。このサイトは持続可能な社会を目指して、地球温暖化防止、緑化の推進、世界平和、世界連邦建設等を目的としたものです。左の写真は、尾崎行雄先生と尾崎先生の意思を継承した相馬雪香先生です。相馬雪香先生の教えを受けた人は多数いると思いますが、雪香先生をおんぶしたことがあるのは、私(中澤誠)だけでしょう。すべての組織は利害で動く 日本は敗戦国となった時から、植民地以下の国になった。だが日本には至るとこに神社がある。それが唯一の救いだ。天之御中主様 この日本を目覚めさせていただきたく。 殺戮の無かった縄文時代に戻ることこそ重要である。
 
2025/11/12 17:31:37|その他
舩山信一著作集 第六巻 明示哲学史研究 明示哲学の系譜 一 明治哲学の発展段階 27p3g
というところにあり、それに対し島尾が儒教仏教も哲学であると主張する根拠は、「然れとも儒仏は天地間の真理を究むるものにあらさる乎其知行の基く所は其所謂真理に基くニあらさる乎其教祖を尊信し経典を遵奉するも皆其真理あるを信するに依るにあらさる乎」(『哲学会雑誌』第ニ冊ーー第十五号ーー一六五頁)というところにあり、かくて島尾は、「然れとも即ち儒仏の道の哲学と啻に基本源を同うするのみならす又其目的を同うするものなりこれを東洋の哲学と称するもの何の不可かこれあらん」(同上書一六六頁)と断言している。
井上円了は『仏教活論 ? 序論』(明治二十年)において、「仏教の原理の西洋哲学の原理と相合する所以」(『明治文化全集』第十一巻『宗教篇』三九六頁)について語り、三宅雄二郎も『哲学涓滴』(明治二十二年)において、支那哲学は情を主とし、印度哲学は意を主とし、欧州哲学は智を主とする(三四頁)という区別を認めつつ、しかも「東洋哲学は西洋哲学を対合する」(三〇頁)ものとして考えている。