哲学が 根本になければ、砂上の楼閣にすぎぬ。このサイトは持続可能な社会を目指して、地球温暖化防止、緑化の推進、世界平和、世界連邦建設等を目的としたものです。左の写真は、尾崎行雄先生と尾崎先生の意思を継承した相馬雪香先生です。相馬雪香先生の教えを受けた人は多数いると思いますが、雪香先生をおんぶしたことがあるのは、私(中澤誠)だけでしょう。すべての組織は利害で動く 日本は敗戦国となった時から、植民地以下の国になった。だが日本には至るとこに神社がある。それが唯一の救いだ。天之御中主様 この日本を目覚めさせていただきたく。 殺戮の無かった縄文時代に戻ることこそ重要である。
 
2026/08/02 13:24:31|その他
三木清全集  第六巻  ?史哲學  第二章 三 存在の?史性 91p7g
ハイデッカーは無を現存在の有限性から解釋した。これによつて運命などいはれるもの、即ち事實としての?史の含む否定的契機、の體驗は説明されるにしても、同じく無の體驗と呼ばれ得るところの創造などといふもの、即ち事實としての?史の含む肯定的契機の體驗は説明されない。無は單に意識に過ぎないのではない。事實が存在に對して無と云はれるのである。事實は意識でなく、却て意識を規定し、自己をそのうちに表出するものである。ところでヘーゲルの考へた如く、有と無との對立及び統一が辯證法的の根本であるとするならば、存在と事實とはかかる意味に於て辯證法的關係をなしてゐる。然しこのことは後に譲らう。