哲学が 根本になければ、砂上の楼閣にすぎぬ。このサイトは持続可能な社会を目指して、地球温暖化防止、緑化の推進、世界平和、世界連邦建設等を目的としたものです。左の写真は、尾崎行雄先生と尾崎先生の意思を継承した相馬雪香先生です。相馬雪香先生の教えを受けた人は多数いると思いますが、雪香先生をおんぶしたことがあるのは、私(中澤誠)だけでしょう。すべての組織は利害で動く 日本は敗戦国となった時から、植民地以下の国になった。だが日本には至るとこに神社がある。それが唯一の救いだ。天之御中主様 この日本を目覚めさせていただきたく。 殺戮の無かった縄文時代に戻ることこそ重要である。
 
2026/08/04 23:21:21|その他
講座 美学 第四巻 芸術の諸相  1 芸術とは何か 2p1g
日常馴れ親しんでいるものを定義することは難しい。空気や水を定義しようとしても、普通の人間にはできないことであるし、その可能、不可能の問題よりも前に、一体、定義することに何の意味があろうか、と思わざるをえないからである。たしかに、水の定義をすることなしに、われわれは、水を泥から区別しているし、水を飲み、水で洗い、水で栽培し、水の力を利用する。逆に、水の定義うちかりに知ったとしても。われわれがそのための水の中においしく飲むわけでもない。それと同じように、別に芸術家を定義することなしに、われわれは芸術をさまざまの分野で味わっているし、それから何かを学んだり、またひとによってはそれを使って商いをしている。そして、かりに芸術を定義したからと言って、日常の芸術経験において、そこに何か特別のことが生起するものではないであろう。たしかに、日常生活何か特別のことが生起するものではないではあろう。たしかに、日常生活に深く食いこんでいるものについて定義することは、どこで生きてゆくためだけならば、全く不要である、と云うこともできよう。