古来の神話も宗教も、そして哲学も、ひとしくこの「人間とは何か」という根本的な課題ととり組んできた。神話や宗教はしばらくおくとして、今後の哲学は、どういう方法でこの問題にアプローチすることになるのか。私は、哲学の側から、科学との境にどのような一線が引かれているかを知らない。しかし、人類学者の方で、人間を求めてより高次の理念を志向しようとする試みを「それは哲学だ」と排斥する傾向に対しては、かつて次のように答えたものである。 ーーもしこのよう問題を考えることが哲学であるならば、すべての基礎科学に従事する学者には、多少とも哲学的訓練を経ていることが、必須ではないまでも望ましい条件である。哲学する欲求をもたぬ人類学者は、自己の専門とする人間の科学に徹するためにも欠けるところがあるのではないかと思う。人文社会科学の領域ばかりではない。時間と空間の本質について一度も考えたことのない物理学者や、数学的真理の客観性の基礎を求めようとしたことのない数学者も、なるほど技師や教師としてならば、それで事足りるであろう。だが、学者として、その専門領域をあくまで深く掘り下げていくためには、それでは不充分なのではあるまいか。 |