それでは正しい教養とは何か?それが何かを知るために、まずそれが何でないかを明らかにする必要がある。真の教養から最も遠いものは、一言でいえばシニシズムCynicism である。このことばに当たるうまい日本語を私は知らないが、無恥無頼、厚顔などと、いろいろに訳してみれば、だいたいの見当はつけられようかと思う。それは人生における真の価値あるものを信じない態度のことである。いや、そういうよりも、人間性の尊さや、学問や芸術の真のねうちを認めず、ただ外的な力をしか信じない立場のことである。外的な力とは何か?それはあるいは腕力であり、あるいは金力であり、権力であり、地位であり、名声である。疑いはそのようなものをしか信じないシニシズムを乗り越える第一歩をきっぱりと踏み出すこと、ここに高校時代の真の意義を見いだしていただきたいと念願する。人間と人生には右にあげたようないろいろの意味での外的力を越えた貴重なものがある。それが何であるかがほんとうにわかるためには、諸君はまだまだ多くを生きねばならないが、少なくともそれが何であるかがほんとうにわかるためには、高校三年は短すぎはしない。試験勉強もしなければならぬし、スポーツで身体をきたえておきたい。だがそれらの努力のなかにもーあるいは努力のなかでこそーー何が人間にとってほんとうに貴いものかいうことの探究を忘れないでほしい。
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