最近、私の所属する会の副会長が「どうして、私に役員会の通知をくれないいんですか」「もう私は、ご用済みと言うことなんですか」「私は会の会員を沢山増やしてきましたし、会のいろいろの催しへの参加を沢山呼びかけてきましたのに」と抗議されました。
私は、その副会長が高齢で移動手段をスクーターに頼っていて、転んで怪我をしてしまいましたので「もう、スクーターに乗ってこないでください。役員会の通知を送りません」と伝えたつもりでしたが、それが伝わっていませんでした。
それで「私は用無しなのか」という抗議になったのです。
考えてみれば、私はこの人の「生き甲斐を奪った」事になっていたことに気が付かなかったのです。申し訳ないことをしてしまいました。
「誇り」「思い上がり」「傲慢」と言う意味は確かにこの副会長の生き甲斐を奪ってしまったことではありますが、私はこんなに会のために尽くしてきたと言う誇り、思い上がりが心の中に無かったか?とも思います。
私も高齢者の仲間ですが「もう、この辺で終わりにしたい、仲間のお荷物にはなりたくないの思いが強いのですが」これも思い上がりの一つなんでしょうね、きっと。