ある日あの時 母と私と

2005年 追想・記述の自分史
 
2020/01/28 12:22:09|自分史
17.二の矢(転勤への)を知った
昭和46年3月〔Mar.A.D.’71.〕東京Ko市にあるM工場での実習が始まった。
資材全般とグループ四工場間の関連、VA〔価値分析Value Analysis〕手法の習得が目的だった。
 
私の住まいは、独身寮で4人部屋にひとりだと聞いていた。
寮生活の備品や日常用品は既に庶務の車が送り届けてあった。
 
移動時には実習依頼元の上司が付き添うのが慣例になっていた。
F総務課長とM工場へ出向いた。
早速S資材(直前は総務)部長の席へ。
K工場のO部長から名前は聞いていたが初対面だった。
「はじめまして、その節は・・・」と転勤への配慮に謝意した。
部長は購買課長と外注課長を秘書に呼ばせて応接室に同席させた。
 
「先日、本社でOさん(K工場資材部長)と会った」
「君のこと宜しく、『君には頑張れ』と伝えてくれと伝言された」
「君の移動には、M工場長(O工場の長)とK工場の二人の部長(総務と資材)から頼まれた」
「M(O工場長)さんからはK工場へ出張する二日前だったか電話が・・・僕が電話したことは言うなと」
この話を聞いたとき・・・・
O部長は、転勤を確実にと「二の矢」を放っておいてくれていたことを知った。
「電話・・・言うな」これはK工場総務部長への気遣いだったとそのとき思った。

 部課長の殆んどは単身赴任で寮(管理者専用)住まいだった。
彼らは2~4年位で移動がある。
その都度引越しなんかしていられない。
子供の教育の関係もあるから・・・
 
資材関係の歓迎会は二回あった。
その後、私の紹介を名目にしてU外注課長とO購買課長が代わるがわる取引先と・・・・
彼らは「食事(寮の)しばらく欠食して」と私に言った。
酒は好きだったが毎晩三週間連続ではさすがに閉口した。
両課長は肩書きもない3ヶ月の短期間実習の私を取引先に歓迎接待させたのは多分転勤経緯
(上層部がらみ)を・・・・・知ったからだろうと思った。
 
彼らは週末自宅へ帰る。
私も毎週末退社後電車で帰っていた。
勿論交通費は自前、でも時々出張名目で帰ったこともあった。
 
彼らは私に、遊びのコールサインについて説明した。
「『サロンU』は主催名U、『行く』は飲みに、『やる』は麻雀、『1800』は6時、『1G』は正門前集合」
よく覚えておいてくださいよと、茶目っ気に・・・・私に教えた。
お二方とも歳は40台後半くらいだった。
 
彼らはS部長の両隣りに少し離れて席がある。
私の席から3~5メートル。それでも電話でコールサインする。
部長が在席していても・・・・でも、その部長も(たま)にメンバーの一員だった。
ただコールサインについては知らなかった。
 





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