ある日あの時 母と私と

2005年 追想・記述の自分史
 
2020/05/13 9:39:44|自分史
32.変り種(だね)作家 淺川 純ほか・・・1/3
退職した時、私は勤続三十七年だった。
直接お付き合いをした中には、変り(だね)〔人〕もいた。
 
K工場時代、私が資材に転属した係に私より四歳上(入社は同期)の先輩H.A氏(京大法学部)がいた。
事務所の席は彼と向かい合わせだった。
彼は沖縄出身の熊本(人吉盆地)育ちと話してくれた。
精悍(せいかん)な顔立ちだったが物腰(ものごし)は柔らかで酒豪(しゅごう)、飾り()はなかった。
 
彼は鋼材や非鉄金属の購買を担当していて購入高では部内でトップだった。
私はそのころ事務消耗品と木材、鋳造関係の材料などの購買を担当していた。
彼は資材部の同期I氏(立教、東北電力役員の御曹司(おんぞうし))と麻雀や飲食に時々誘ってくれた。
 
私がKf工場に転勤した3年後に彼は本社に転勤、Ya工場を経てH社本丸のH工場購買課長に就任した。
その2年後に会社を辞めた。
「焼き鳥や」などしながら社会観察?探訪(たんぼう)?していたことを聞き知った。
その後、作家デビュー「(あさ)(かわ) (じゅん)」が誕生した。
初版は短編小説〔会社時代のできごとをもとにフィクション〕が「毎日新聞・・・新人賞」を受賞。
 
彼は平成6年(A.D.’94)随筆集「人生リホームing」(講談社)のなかで・・・・・・
何故辞めたのかについて
「多年念願の浪人に身をやつしてしばし野に吹く風の冷気に酔眼(すいがん)を洗いながら世紀末にかかる後半生の
処し方について愚考(ぐこう)いたしたいと考えております」と退職の「心境」を開陳(かいちん)している。
 
著書には11刷約16万部を出版した「社内犯罪学講座」(’93新潮文庫)(「人生リホームing」)
「わが社のつむじ風」(実業之日本社・新潮文庫)ほか
評論家()(だか)(まこと)氏はサンデー毎日で「新たな経済小説に可能性を感じさせる」と評していた。
「社内犯罪学講座」に収録されている七編のうち二編は英語に翻訳され・・・・・
そのひとつは「ハーバード・ビジネス・レビュー」に掲載されている。
 





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