ある日あの時 母と私と

2005年 追想・記述の自分史
 
2020/07/06 17:24:38|自分史
34.旅立ちまでの243日-2/4
年初から母の「体調管理と介護記録」をPCファイルに新設して記録を始めていた。
母はこの療養入院中に九十七歳の誕生日を迎えた。
孫や娘夫婦(妹と義弟)(めい)、花屋の奥さんからプレゼントを嬉しそうに貰っていた。
毎日病院の庭を車椅子で散歩もしていた。病院の周りの(すもも)や桜の花見も楽しんでいた。
 
 療養病棟を退院して一週間経ったころから母に異変が表われた。
歩行が不安定・・起床・入浴〔365日毎日入っていたのに〕の拒否が見られるようになった。
薔薇(ばら)菖蒲(あやめ)を見に行っても車を降りようとしない。
 
母は手助けなくトイレはした。パットを使っていてオムツはしていなかった。
気に入っていたパットは行きつけのドラッグストアーにはなく注文取り寄せしていた。
小用の失禁も時々あるようになった。
 
母の部屋を夜中に様子見(ようすみ)した。
五月十一日、朝二時半トイレ内で失禁していた。
私が気付いた時は便器の中でマットを水洗していた。
その光景を目にしたその瞬間は異状と思った・・・・・が理解した。
シャワーをと思ったが夜中だったから濡れタオルで下半身を(ぬぐ)い消毒した。
朝八時ごろ入浴させた。
なかなか上がってこない。・・・・・風呂椅子から立ち上がれない母の姿がそこにはあった。
トイレや風呂、一階の母の行動範囲にはすべてチャイムが設置されていたが呼び出しはなかった。
 
五月十二日、急ぎ役場に「介護認定」を申請した。
役場の担当はその場で介護支援サービスをKK病院系列に頼んでくれた。
「特養」の入所順位の筆頭(今は失権してはいるが)にいた事も話した・・・・・
役場では「良くここまで・・」とも言ってくれた。
一ヵ月後に「要介護三」と認定された。
 





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