二科 山梨支部

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2014/07/17 7:30:17|その他
続 織田廣喜先生のこと
続 織田廣喜先生のこと

95才の誕生日の頃の対談より


この対談の中で、織田先生の生い立ち、人柄、絵に対する取り組みなどにじみ出てきますが、戦後二科の復興につくし、多くの画家を育て、世に送り出した東郷青児の人間としての器の大きさ、二科会が作家の個性、一人一人の自由を尊重する伝統を感じとって頂ければと思います。



画家 織田 廣喜 氏
日本女性は素晴らしい

 (インタビュアー 橋本純子)

「お誕生日おめでとうございます」そんなリボンのかかったたくさんの胡蝶蘭が玄関に飾られていた。
 
お誕生日だったんですね

 ええ、四月に九十五歳になりました。 絵が好きで好きで十歳から描き始めて九十五歳です。周りからの反対ばかりからはじまりましたが、 人生、絵一筋でした。
 僕は男ばかりの九人兄弟の長男でしたが、 逆に僕の母は女ばかりの姉妹の長女で、 幼い時から母方の叔母たちに囲まれて育ったようなものです。 夏には山の中の小さな川で叔母達が行水をします。 それをじっと眺めて遊んだり、 家でそれぞれ化粧をする姿を見ていました。顔も違い、 化粧の仕方も違いその仕草は絵を描くのと同じでしたのでとても勉強になりました(笑い)。 叔母達はあんまり魅力がなかったのでモデルにはしませんでした(笑い)。
 父も絵が好きだったようですが、 僕なりに東京へ出て美術学校へ入りたい。 しかし、家が貧乏で描きたくても絵の具もない。 周りから、「就職して結婚したほうがいい。 絵描きなんて食べていけないのだから」と言われ続け、 毎日泣いていました。
せっかくこの世に生まれてきて、こんなに絵が好きで絵描きになれないなんて‥ってね。
 そんな時、恩師の犬丸琴堂先生が母を説得してくださり十八歳の時、下関からひとり夜行列車に乗って上京することができて、 二十歳の時に美術学校へ入学しました。 先生のおかげです。 故郷の碓井の美術館も開館十二年目でたくさんの人に観に来ていただいて感謝しています。


今、毎日お描きになるのですか。

 そうです。次から次に追われています。 二百号や三百号の大きな絵を十枚も二十枚も頼まれることもあります。 小さな絵を一枚描くのも大変ですが、 却って力が集中して、元気が出るものです。
 
先生にとって「絵」とは?


 人生そのもの。 命です。 絵の完成はなかなか簡単にはできませんが、 嬉しい時っていうのは、 その場その時にあります。 完成に至るまでの中間の時ですね。 そしてたまに思いとおりに完成した時。 モデルなしで苦労もしますが、 どこにもないものが出来上がった時、静かに眺めて涙が出ます。 捨てたものではないなぁと思います。
 僕には絵以外ありませんが、 妻がそれを支えてくれました。 神様は僕にちょうどいい相手を与えてくださいました。 彼女は素晴らしい絵描きでしたし、 学校に行かなかった僕にそれ以上の力で助けてくれて、 絵一筋にさせてくれました。 僕の絵を批評してくれて、 そのおかげでいい絵に仕上がったものです。
 これからの希望はいい絵を描くこと。 自分で考えた、誰にも描けない、描いたことのないものを描きたいと思っています。
 画風は若い頃と変わりません。 変わろうと思ってもなかなか変えられません。 これは親に貰った性格で、 僕は弱虫で、 それが絵に出てしまいます。
 
画家にとってフランスとは憧れの地ですか。


 フランスは素晴らしいところです。 でも僕は言葉などわかりません。 手振り、身振りです(笑い)。 日本語と仏語で、 「私は貧乏絵描きです。 学校へも行っていません。 少女の絵を描きます。 ご希望の方は観て下さい」と書いた紙を胸から下げて絵を広げていました。 そうしているうちにだんだんと顔見知りになって、 しまいには友だちになっていきました。
 フランス人は「日本にはモデルとして日本女性がいるの、になぜフランスへ来るのですか」と言いました。 今、想うと日本女性が一番です。 小柄で美しくやさしい。 絵が好きで、夫を大切にします。 いくつになっても、 九十歳を過ぎても素晴らしい。
 
エピソードがあるそうですね。


 東郷青児先生に推薦していただきフランスに行ったのに、 絵も描けずに帰国の日が迫ってきた時、 その日を延ばすために映画出演の試験を受けました。 日本軍の部隊長の役でしたが、 カンヌ映画祭にも出た映画です。 ギャラをいただき、タキシードも二着いただきました。
 それで一年帰国が延びたのですが、叱られるのを覚悟で先生に「絵を描かずにサボって申し訳ありませんでした」とお詫びしました。そうしたら「絵描きは色んなことが勉強なんだ。いい勉強をしてくれた」と羨ましがってくれました。
 それからわかったことは、絵描きの人生はまじめだけではなくいろんなことで幅広く美しさを追求しなければならないということです。

 
先生の絵のなかには「さびしさ」のようなものが感じられます。

 絵は漫画のようになってはいけません。 ある程度の楽しさはあっても厳粛で哀愁をもつべきです。 いいモデルを求めて、どこかにいないかと世界中を旅して回ってもなかなかいないものです。 女性の美しさは見ただけではわかりません。裏、表、斜めから見るのです。 モデルには必ず良さがありますし、おかしいところは直せばいいのです。 つまり、モデルは作り物でもあります。 例えば、鼻の高さ、左右の目の働き、顔の輪郭、流行のおしゃれなどを含めて勉強して、 それをコントロールしながら地球上に同じ物が二つとないものを描くのが絵描きでもあります。 そのコントロールができるようになって女性の美しさがわかってくるのです。
 しかし、 これまた「人間の顔」が一番難しくてなかなか思い通りにいかないし名画に繋がらないのです。 僕は女性の表情のなかに幸せな寂しさを出したいと思っています。

 
二科会の理事長として

 昨年から二科展会場を永年の上野より六本木の国立新美術館に移しました。 今秋も九月十五日、 第九十三回二科展が終了したところです。 展覧会にはみんな懸命に描いて出品してきます。 ちょっとした呼吸で褒められた人はそのひと声で有名になって期待されていく。 その繰り返しですが、 なかなか褒められないものです。 神ではなく人間が審査し、その審査員によって評価が違ってきますから、 必ずしも入選作が自慢できるとは限りません。しかし、入選すると大変な騒ぎになりますね。
 
健康法は?

 特別にはなにもありません。 若い頃は日本酒を好みましたが、今は焼酎が好きです。 食事は子供の頃から貧乏でしたから何でも食べるようになっています(笑い)。
 兄弟は僕と一番末の弟以外は亡くなりました。 みんなそれだけ年なんですよ。 僕自身、一日に描く時間は不定ですが立て込んだ時は続けて描くので手足がしびれたりします。 でも大きな三百号などを描く時に梯子を使って描いたりしますので運動になりますね。



 
 





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