梅雨前線が南下して、晴れ間が期待できた6月18-19日に、赤岳-横岳-硫黄岳の稜線歩きを楽しんだ。美濃戸口から美濃戸まで、岩が露出する悪路をなんとか運転していると、若い女性の二人組とすれ違った。乗っていきますかと声をかけたら、結構ですと、けなげな返事だった(後ろを歩いていた人は、乗りたそうだったけれど)。美濃戸に車を置いて、南沢を歩いた。夏の盛りとはちがって、キバナノコマノツメやイワカガミがみずみずしい。行者小屋までぐらいはリードを保てるかと思ったが、さっき声をかけた二人組にあっさり追い抜かれた。やがて沢の水が見えなるなる辺りで、伏流水が岩の間から流れ出ていた。水滴が落ちる音が、岩が組み合わされて作る空間に響くのか、天然の水琴窟の趣があった(写真1)。
行者小屋直前の荒れた沢の風景(写真2上)は、よく覚えている。ガスのために写真では判別しづらいが、肉眼で見ると樹木がV字に切れ込んだところに赤岳の稜線がかすかに見える。展望荘のあたりは樹木の陰になって見えない。2000年(写真2中)に来たときは、赤岳の山頂はもちろん、横岳に向かって伸びる稜線が樹木越に見えていた。生憎、写真を撮ったときは、流れてきたガスに山稜が覆われていた。そのとき河原に三脚を立てて描いた絵を挙げて置く(写真2下)。赤岳を望む絶好の地点だったのだけど、この14年間に成長した樹木の陰に、稜線は隠れてしまった。前景に目を向けると、上半分を切り取られた立木がある。2000年の時は、立木の河原側は草で覆われていたのだが、今年は立木の根元まで土石が迫っている。次に来るときは、倒れているかもしれない。 行者小屋の前で、さっきの二人組にまた会った。阿弥陀岳経由で赤岳展望荘に入る予定だと聞いていたので、どうやらこの山域は初めてのようだし、このペースで大丈夫かとちょっと心配になった。我々は、最短コースの地蔵尾根から展望荘に向かうコースをとった。尾根道とは言え、行者小屋から見上げるような岩壁に取り付けられた鎖や梯子の連続はスリルがある。無事に展望荘に入って、荷物を置いて赤岳山頂を往復した。戻る途中で雨が本格的に降り出した。小屋で休んでいると、件の二人組も元気に到着した。踏み跡に惑わされてアイゼンも無しに急な雪渓を登ったそうだ。阿弥陀岳は諦めて、鞍部から直接赤岳に向かったのは賢明だったが、やっぱりちょっと心配な二人組だ。 赤岳展望荘の夕食は、山小屋とは思えないおいしさだった。生ビールも飲めるし、これで食器さえちゃんとしたものだったら街中のちょっとしたレストランと変わらない。 翌朝も充実した朝食を食べて、ガスの中を赤岳から横岳を経て硫黄岳に向うコースを歩いた。久しぶりに、稜線をわたる風に吹かれて気持ちがいい。この風に吹かれるために山に来るようなものである。高山植物をお目当てに、やってくる人も多い。立派なカメラを提げた人に声を掛けると、気軽に花の名前を教えてくれる。ハクサンシャクナゲやキバナシャクナゲなど色々咲いている中で、この時期の一番のお目当てはツクモグサだ(写真3)。7月に咲くウルップソウと共に、氷河期の置き土産、とガイドブックなどに書いてある。晴れないと花を開かないと聞いていたとおり、花は閉じていたが、ともかくも見られたのでよかった。昼近くにはガスは晴れてきて、振り返ると赤岳と阿弥陀岳の間に、いつもは反対側から見ている権現岳も見えるようになった。硫黄岳の爆裂火口(写真4)が、激しい火山活動の跡を残している。「長野県 地学のガイド(コロナ社)」には、「大月川泥流を流した爆裂火口」とある。大月川泥流は約3万年前〜2000年前の現象らしいから(アーバンクボタ33「特集 八ヶ岳」)、八ヶ岳の歴史の中では最近の出来事と言えるだろう。 下りは、赤岳鉱泉から北沢を下った。 |