八ヶ岳南麓山鳥亭の日常を綴ります。
 
2017/12/10 16:49:11|旅行
別所温泉-浅間山の旅(1)

一度、浅間山を間近に見ようと思い立って出かけた。浅間山だけでは芸がないので、上田市の別所温泉で一泊して、翌日、浅間山の北側を巡る計画にした。
 
大門峠を越えて上田市内に入る。市役所で観光地図とハザードマップをもらって、上田城址や市立博物館、池波正太郎真田太平記館、そして北国街道の雰囲気が残る柳町を見学した。真田三代(幸隆、昌幸、幸村)のうち幸隆の事績を知らなかったのだが、昨年だったか、NHK-BSで再放送していた「武田信玄」で信玄の重臣の一人として活躍していた真田氏が幸隆だったことが分かり、三代の真田氏と、それぞれが活躍した時代との関係が、頭の中で整理できたような気がした。
 
別所温泉は、塩田平の奥まったところにある。観光パンフレット風に言うと、塩田平の奥座敷である。藤田宜永の小説「愛の領分」の舞台となった。数年前に読んだのだが、出かける前に図書館で借りて、情景描写の部分を拾い読みした。始めの方に次のように書かれている。
  *    *
 上田市の南西に拡がる塩田平は、東西五キロ、南北2キロという小さな盆地である。独鈷山を南に夫神山、女神山を北に従えたこの盆地は、土壌にも気候にも恵まれ、昔から米の産地として名高い。
 電車は上田駅を離れると、やがて、捨て置かれたように拡がる田園地帯に出た。閑々とした枯れ色の景色に、レールを叩くのびやかな音が響いている。(藤田宜永「愛の領分」より)
  *    *
 
電車とあるのは上田電鉄別所線である。上田駅には、長野新幹線としなの鉄道の駅もあり、一つの建物の中に3つの駅がある。浅間山巡りをするために車で出かけたので、列車の旅の風情を味わうことはできなかったが、せめて駅の雰囲気だけでもと、駅前に駐車して改札周辺を見物した。
 
別所温泉では、大正6年(1917年)創業の純和風建築の旅館に泊まった。部屋から浴場まで、ぎしぎしと鳴る吹きさらしの渡り廊下を歩かなければならない。階段を上がったり下ったり、旅館の中で迷いそうになる。湯は、PH8.9の滑らかな硫黄泉。微かに硫黄が匂った。食事の時、給仕をしてくれた仲居さんに前記の小説の事を聞いたが、ご存じなかった。藤田宜永は2001年に「愛の領分」で直木賞を受賞しているから、その時には話題になったと思うが、もう忘れられたか。
 
翌朝は9時ごろから雪が降り出し、浅間山の北を回る峠越えの道の状態を心配したが、幸い1時間ほどで上がってよい天気になった。小説の中で塩田平を見晴らすと書かれていた前山寺に寄った。参道横に樹齢約700年の大ケヤキがある(写真1)。樹木が成長したせいか、盆地は部分的にしか見られない(写真2)。塩田平は、かつては湖だったらしい。そこに現在は千曲川に流れ込んでいる二つの川(産川と浦野川)が土砂を運んできて肥沃な土地になったらしい。小説にも書かれているように、名高い米の産地である。藤田宜永を知らない仲居さんも、「塩田平産のこしひかりでございます」とご飯を勧めてくれた。
 
上田市から国道144号線を嬬恋村へと向かった。浅間山の北麓を時計回りに廻ることになる。途中の鳥居峠はさすがに雪が少し残っていたが、徐行して無事に通過した。嬬恋村役場でも観光地図とハザードマップをもらった。観光課の職員の一人に見どころを一通り聞いて、立ち去る前に「確か、この辺りはヤマトタケルの神話と関係が・・・」と切り出すと、それまで無関心を装っていた他の職員も急に立ち上がって「そうなんですよ」とニコニコ顔で話しに加わってきた。予想外の反応に驚いた。観光課職員としては、これまで観光客に神話の話を持ち出しても捗々しい反応がなく、どうせ観光客は神話になんか関心がないのだろうと諦めていたのかもしれない。ヤマトタケルは、さっき筆者達が徐行して通った鳥居峠で「わがつまや・・・」と亡き妻を偲んだそうな。
 
村役場から少し道を逆戻りして、観光課で聞いた浅間山の間近に見られるキャベツ畑に立ち寄った。間近に見る浅間山は迫力満点である(写真3)。大量の白煙を噴き出していた。2015年6月に小噴火があって以来、浅間山の警戒レベルは2(火口周辺規制)が継続している。キャベツ畑で寒風にさらされた後は、これも観光課で教えてもらった、吾妻線の万座・鹿沢駅近くの食堂で昼食をとった。食堂の横には実にレトロな散髪屋があった(写真4)。しかし、改めて写真をよく見るとレトロなのは出入り口付近と通りに面した壁だけで、他の部分は新建材が用いられているようだ。改装に当たって、昔の風情を残そうとした、店主のこだわりが感じられる。連れ合いに記念に散髪してもらったらと言われたが、あいにく毛はあまり伸びていなかった。
 
五目蕎麦を食べながら観光課でもらったパンフを見ていると、嬬恋郷土博物館の傍にある鎌原(かんばら)観音堂で、1783年の大噴火について地元の人が語り部活動を毎日していると書いてある。博物館は予定に入っていたので、観音堂も覗いてみることにした。ただ、この時点で2時をまわっていた。当初は一泊だけのつもりだったのだが、後の見学を考えるともう一泊する方がよいということになって、急遽、スマホで鬼押し出し近くのホテルを予約した。(この稿続く)
 
 





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