鯛損の「でっかい夢釣りあげよう!!」

魚釣りをもっと楽しく、 魚釣りでもっと綺麗な海を!! フィッシングメッセンジャー野澤鯛損は、 釣りの世界のインタープリターです。 HOOKかんきょう『協育』事務所のページと、 併せてご覧下さい!! 釣り人も、そうでない人も、大人も、子供も、 でっかい夢、釣りに来て下さい。
 
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2022/08/16 9:06:01|その他
八丈島で見つけた素敵なお店 1 コーヒーハウスLLさん
おはようございます。
今日はお盆の最終日。
ご先祖様が再び、お帰りになる日です。
送り火を焚いて、感謝の気持ちを捧げましょう。

さて、長らくブログ更新を怠ってしまって居りました。
自分が、毎年の夏に力を注ぎ続けて来た、
八丈島での長期キャンプ『やまなし少年海洋道中』が、
3年ぶりに実施され、先日、無事に戻って来ました。

出発間際に新型コロナウィルスの「第七波」が押し寄せて、
県内でも連日、1000人を超す感染者が出ている情況―
では、ありました。

が、
万全の対策を続けて来た事、
八丈町との繋がりを途絶えさせない事、
そして何より、子ども達の貴重な体験の機会を、
無駄にしない事・・・。などを重視して、
多くの大人達の英断もあって、
3年ぶりの強行開催となりました。

が、期間中、誰一人の感染者を出す事もなく、
無事に事業をやり切る事ができたのです。
正に奇跡の再開であった―。
そう思っています。

ところで、当方は子ども達がやって来る前に、
八丈島に渡り、キャンプ場の整備をして、
本隊を迎える「先発隊」として、
7月31日に、空路で八丈入りしました。

初日は、目まいがしそうな程暑くって、
夕方から、自分達が寝るテントの設営を始めたので、
テントを張り終わった頃には暗くなってしまい、
美味しいお店を探す作業は、明日以降としたのです。

3年ぶりに迎えたキャンプ地での朝日は、
本当に神々しく、期待と緊張が入り交じった、
不思議な感覚でした。

そして、
いつもは島のスーパーで買った菓子パンなどで、
簡単に済ませてしまう朝食でしたが、

出発前、
ネットで気になるお店を見つけたので、
ご一緒した先発隊メンバーお二人を誘って、
朝ご飯を食べに訪れたのが、
タイトルに書いた『コーヒーハウスLL』さんでした。

港を一望できる高台にあって、
お店を探し当てるまで、
ちょっと苦労したのであります。

でも、
入った途端に、その雰囲気の良さにビックリ!!
3人とも、迷う事なく朝食をお願いしたのでした。

お値段も実にリーズナブルで、
和朝食とトーストセットは600円という安さ。

そこで、両方頼んで、
シェアすることにしたのです。

いやあ、美味しかったぁ!!
しかも、オーナーの方が、この山梨のキャンプの事も、
良くご存じの方で、お話しも弾んでしまって、
その居心地の良さに、3人とも戻りたくなーい!!
を、連発困った

いつでも使って下さいネ
と、連絡先まで戴いたばかりか、
子ども達が島を歩くプログラムの際には、
なんと、全班に差し入れまでして下さって、感激ラブ

本当に素敵なお店を見つけちゃいました。
定休日は、水曜日と木曜日なんだそうですが、
そこにいるだけで、気持ちよくなる・・・。
そんなカフェでした。

八丈島は、朝ご飯を食べられるお店が少ないので、
この隠れ家のような素敵なカフェのこと、
ホントは教えたくはないのですが、

子ども達への差し入れの感謝や、
また行きたいと願う強い気持ちを込めて、
紹介させて戴きました。

もし、八丈島へ訪れる機会があったら、
お店の名前から、探し当てて下さいませ。

行けば、分かる!!

美味しい朝食、本当にごちそうさまでした。
子ども達へのご支援、本当にありがとうございましたハート

写真は、リーズナブルなトーストセット600円です。
セットのコーヒーも、最高でしたチョキ

朝食がまだの方、ごめんなさいネ
 






2022/04/18 9:06:01|その他
定置網漁業を考える
おはようございます。

さて、昨今の物価高に伴う原油価格の高騰は、
やっと少しづつ、
コロナ禍から抜け出せそうになった途端に、
自分達の生活を、ジワジワと苦しめています。

なかなかℓ170円を切って来ないガソリンの値段。
クルマで遠出もできません。
ああ、でも海釣りがしてーっびっくり

ですが、自分が燃料費で悩む以上に、
漁業者は苦境に立たされています

漁師さん達は、高騰する燃料費で漁にも出られません。
本当に死活問題ですよね。

やはり、燃料こそ原動力ですから、
一日も早く、適正な値段に戻って欲しいですよね。

ところで、今の状況の中で、
どんな魚の獲リ方が最も収益が高いのか

そんな事を、ふと考えました。

前提として、漁師と云う仕事を営むには、
漁業権がないと漁師はできません。

単独として取得する場合もあれば、
共同漁業権として、
漁協や、漁連に付与される場合もあります。
付与するのは、当該地域の知事になります。

さて、最もリスクが高いのは遠洋漁業でしょう。
続いては、底引き網やトロール漁業。

やはり、船も大型で、しかも漁場が遠い、
深い、1船では無理・・・
こうした漁業は、相当に厳しいでしょう。

また、小型の船舶での漁は、
小回りは利くものの、
燃料費が嵩んで儲からない。

そんな状況ではないかと予想できるのです。
遊漁船も同様ではないでしょうか。

こうした様々な不安な状況を考慮した場合、
最もリスクを軽減できる漁業は、
定置網漁業ではないだろうか・・・
そんな風に考えています。

定置網漁業は、定置網漁業権が、
網が設置される海域の、
知事から付与されます。

まず、は個人所有ではない、
共有の資産である事です。

漁協や、漁連の組合員が出資しあって、
定置網様の網を所有する。

その漁網を、
組合員が漁をする特定の海域に仕掛ける。

網を上げるのも組合員総出で行い、
取れ高を分配する。

誰かが吐出して獲った

そう云う結果にはならないと云うのが、
定置網漁の最大のメリットではないでしょうか。

一攫千金はないのでしょうが、
確実な漁獲と、その分配が保障されます。
また、技術がきちんと受け継がれる―
そう云うメリットもあるかと思います。

ところで、2019年の3月に東伊豆で、
『海辺の環境教育フォーラム』が開催されました。

その際、様々な分科会が行われ、
自分は伊東市内の某漁協の、

定置網漁の元締めの方―。

の、お話しを伺ったり、
漁業の課題などについて意見交換する―
そんな分科会に参加しました。

そこで伺ったお話で特に印象に残ったのは、
組合員の月収などの所得のお話しでした。

20代~30代の漁師で、
おおよその額だとして、35万円ほど―
そんなお話しをして下さいました。

勿論、漁協に所属されていますから、
各種の保険や補償も整ったうえでの月収です。

この額を聞いて、

へえー、そんなに安定しているんだ・・・

と、素直に感じました。
が、通常漁師さん達が動かす額は、
1回の操業で、
ウン百万円とか、数千万円とか、
きっと、そんな数字だと思います。

そこから経費をさっ引いて、

幾ら利益として残るのか―

手にする額も大きいのだろうけれど、
経費が嵩めば、赤字だってあり得る―

そんなギリギリの状況の中でも、
それが漁師だと、
懸命に頑張る漁師さんもいらっしゃる・・・

生き方とか、
生き様論で、漁業を語る人もいると思うのですが、
これからは、やはり安定収入と、補償だと思います。

定置網漁業の今後を、
経済と、漁師の方々の生活水準の双方から、
しっかり見ていきたいと思っています。

どんな状況であっても、
日本が海と共に生きていく事は、
この先も変わらないのだから・・・

上の写真は、
前記のフォーラムの中で、実行委員会のメンバーが、
漁に参加した際の、写真です。
 






2022/04/10 9:06:01|その他
1925年に移入された魚です 2 殺せと言われる自然保護はNO
おはようございます。

終わってしまった朝ドラの、
キーとなった曲がありました。

サッチモこと、
ルイアームストロングが歌った、
ジャズの名曲

On the Sunny Side of the Street

です。
只今、熱烈に練習中グッド

いつか、歌ってみたいなあ・・・
な~んてねウィンク

この曲が産まれたのは、
1930年 世界恐慌が始まった時で、
世界は不況で真っ暗な状況だったそうです。

そんな時代にサッチモが、

コートも帽子も脱ぎ捨てて、
日の当たる道を歩こうぜ!!


日の当たる道を歩けば、
きっと人生は輝くんだから!!


って、歌ってヒットした曲だそうです。

前回、ブラックバスの移入の背景を話しました。

1925年にブラックバスが移入されたはいいものの、
世界はどんどん不景気になっていきました。

少なからず日本もその影響を受け、
その後の太平洋戦争へと、
突き進んで行く事になるんですね。

さて、
ブラックバスが日本全国で爆発的に増え出したのは、
昭和40年代になってからです。

琵琶湖で最初に発見されたのが、
確か1974年だったと記憶しています。

自分が小学生の頃、
初めて、この魚の名前を聞きました。

が、「バス」ではなく、
「マス」って、聞いた覚えがあります。
ブラックマスって云う名前で、最初は覚えました。

へ~、そんな魚がいるんだ・・・

って、思って居た矢先、
ルアーフィッシングや、
スポーツフィッシングって云う言葉―

釣っては逃がす、キャッチ&リリースって云う、
言葉が、一気に釣り業界に広がります。
そんな、どことなくオシャレな釣りは、
若者達中心に受容れられていきました。

そして、
バスを釣ってお金を得る―
バスプロと云う存在も認知されるに至ります。

戦後、高度経済成長を遂げた日本。
昭和39年に、平和の祭典『東京オリンピック』が、
開催されます。
自分が産まれた年です。

経済の成長に比例するように、
全国各地で問題になったのが、
「公害」です。

海も、川も、湖も・・・
全ての日本の水辺が痛みました

ですから当時の水辺で釣れる魚の多くが、
汚染されている魚
って云うレッテルが貼られてしまった事で、
食の対象から外れてしまったのです。

食べられない魚であり、
食べてはいけない魚が増えてしまえば、
当然、魚を釣ると云う行為は先細ります。

が、そんな厳しい状況の中でも、
旺盛な食欲と、環境への順応力の高さで、
生き抜いて来れたのがブラックバスでした。

釣り業界は、
こぞってルアーフィッシングの普及に走ります。

ですから、拡散の背景に当時の釣りメーカーや、
釣り人、広告塔であるバスプロ達が、
各地で放流をした事は、逃れようもない事実だし、
決して業界でも否定している訳ではありません。

そんな状況が第一次バスブームです。
むしろバスが他魚を食い尽くしたのではなく、

水辺環境が著しく悪化した事で、
在来生物たちの、
脆弱性が露呈したと云うのが本当でしょう。

水辺を殺したのは、
バスでも、釣り人でもありません。
産業振興や、「開発」という経済活動です

一方で、
現在の外来種問題がクローズアップされたのは、
自分が釣り業界に飛び込んだ、バブル期でした。

有名芸能人が趣味で楽しんでいる―
日本のバスプロが海外のトーナメントで勝った―

そんなニュースが溢れ、
女性も釣りに参加するようになり、
一部メーカーのルアーにはプレミアも付き、
ブラックバス釣りの用品は、
異様な売れ方をしていました。

そんな折りに、
ブラックバスの異常な繁殖によって、
在来種のシンボル的な存在であったメダカが、
バスにことごとく食われている。


だから、
駆除をしなきゃダメだ!!
ブラックバスは悪者だ!!

と、云うイメージの固定に至った、
書籍がセンセーショナルに出版されます。

ここから一気にバス叩きが始まりました。
キャッチ&キルと云う物騒な言葉が飛び交います。

そんな馬鹿げた状況の中で、
このメダカの本に反論する形で出版されたのが、
上の写真の本です。

著者の名前に見覚え、聞き覚えがある人が多い筈―
あの有名コメディアンが司会を務める、
バラエティー番組に出演されている、あの先生です。

先生は、昆虫が専門の生物学者ですが、
この異様なバス叩きに一石を投じます。
先生ご自身は、釣りをされないそうです。

この本の冒頭で、
釣りもしないし、
ましてや釣り業界とは一切の関わりもない―
と、断言されているところから始まります。

そして、その本の帯にあるのが、

殺せと言われる自然保護はNOだ

と、云う言葉です。

その他にも、この問題の本質を突く、
ショッキングな言葉が踊っています。

残念ながら、この本も既に絶盤になっていますが、
興味がある方は、図書館などで探してみて下さい。
きっと目からウロコの本当が分かってきます。

そして再び今、
あの侵略的な番組が幅を利かせています。

池の水を抜いて外来種を駆除しては、
得意がるあの番組です。

確かに生きものを捕獲するのは単純に楽しいし、
ましてや自分のした事で、
日本の生態系が保たれたって云う優越感は、
本当に大事な「命」の事を、ないがしろにしています。

ちゃんと本質を見抜く眼力を持って、
声を挙げて下さい。

一時の俄な知識だけで批判するのは、
フェアではありません。

こんな影を背負わされてしまったブラックバスに、
本当にまぶしいお日様を見せてあげられるのは、
あなたかもしれません。

 






2022/04/09 9:06:01|その他
1925年に移入された魚です 1 赤星家との関わり
おはようございます。

例年、この時季には「信玄公まつり」と、
相場は決まっていましたが、
コロナ禍で3年連続で中止となりました。

まあでも、現状では秋に延期になっています。
その代替えのイベントが、
甲府駅の北口広場であるみたいですよ。
信玄公生誕500年記念イベント「春の宴」が開催されます!|お知らせ・新着ニュース|甲府観光ナビ - 甲府市観光協会公式サイト (kofu-tourism.com)
さて、とうとう終わってしまいました泣く

何が終わったのか―

って、云えば「朝ドラ」ですよ。
『カムカムエブリバディー』です。
昨日の本編の最終回には、
怒濤の伏線回収に、ビックリしました。

一子さんのご主人には、
これまたビックリ!!

夫の田中(さん)―

には、笑ってしまいました幸せ

最初は、

余りに展開が速い―

なんて思うこともありましたが、
とても大好きなドラマになりました。
なので、ちょっとロスかも・・・

このドラマのメインヒロインのトップは、
橘 安子さん(アンコ)でした。

劇中では、上白石萌音さんが演じていて、
最終版で、ざわわの森山良子さんが、
アニーヒラカワとなって演じましたね。

るいちゃんと安子さんの再会のシーンには、
思わず号泣してしまいました泣き

その安子さんが産まれた年が、
ドラマの設定では、1925年になっていました。
和暦では大正14年です。

この年に、北米から日本にやって来た魚がいます。
この魚こそ、ブラックバスです(当時はバッス)。

実業家であった赤星鉄馬氏の手により、
神奈川県の芦ノ湖に、
およそ100尾ほどのバスが、放流されました。
6月22日の事です。

興味深いのは、赤星氏の当所の考えでは、
本県の山中湖が候補になっていた事です。

が、当時芦ノ湖に、
東京大学の淡水魚実験所があったこと
が、最終的な判断材料となった様です。

目的は、

ブラックバスの食用としての利用

これが最も大きく、次に釣りの振興でした。

赤星氏は、無類の釣り好きで、
米国へ留学した際に、現地でバスを釣り、
それを食した経験から、

これこそ我が国に必要な魚である

そんな結論にいたり、
国を思い、国の水辺環境を憂いて、
ブラックバスの移入に踏み切ったのです。

憂う

と、云うのは、
当時の水辺の多くは様々な産業によって、
汚染が進んでいたとされます。
その状況を、彼は憂いていたと云います。

だからこそ、繁殖力も高く、
しかも美味しい魚である―
と、云う事が必要であったと思います。

相当な私財もつぎ込み、
ブラックバスの日本定着を願った赤星氏。

結果だけを見れば、
ある意味、それは達成できたのかもしれません。
一方で、その代償も大きかったと、
云わざるを得ません。

が、現状、
その影の部分も非常に大きく、
彼の国の行く末を按じての強い思いは、
一部、踏みにじられる結果になっています。
愚行と罵られた側面もあるでしょう。

軍需産業で巨万の富を築いた赤星家だけに、
忽然と歴史から名を消してしまった事も、
何か皮肉な気がします。

が、これだけは云います。
ブラックバスとて生きものであり、
決して人の都合で、駆除・排除されるべき、
存在ではありません。

2025年で、移入100年となるブラックバス。

ブラックバス問題環境問題などではなく、
社会問題である
と云う事を、

改めて申上げます。

写真は、既に廃版になってしまいましたが、
ブラックバス移入の経緯を記した、

『ブラックバッス』です。

もう少し、触れたい事もあるので、
今日はここで終わりにします。






 






2022/04/08 9:06:01|その他
甲府には意外と釣り堀があったのですが・・・
おはようございます。

甲府市内の桜も、
そろそろ散り始めましたね。

つい先日、小瀬のスポーツ公園を、
桜を見ながらウォーキングウォーキング

今年こそ野外体験活動も復活!!
を、信じて、
なまった身体を動かし始めました。

ところで、
もう殆どなくなってしまったのですが、
甲府市内には、意外なほどたくさんの、
釣り堀がありましたムフフ


甲府自体、もともと沼地だったので、
裏を返せば、
土地の有効利用
だったのかもしれません。

自分はこれまでも何度も云っていた通り、
圧倒的に海釣りの経験の方が多かったので、
多くの人が初めて釣りに触れる場所―
である、釣り堀には余り行った事がないんです。

昨年の今頃だったでしょうか。
山梨市の「ちどり湖」には、
肉うどん目当てに、父良くと行っていた―
なんて話題を紹介しました。

春になって、
今年も少し、ノスタルジックな気持ちに、
なっているんでしょうか・・・困った

そこで、

実際に釣りに行った

もしくは、

行った事はないんんだけど・・・

も、含めて、自分が知っている限りの、
甲府市内にあった釣り堀を紹介します。

が、おそらく今は何処も営業はしていません泣く
なので、

そんなん無いじゃん怒る

と、云われても、一切の責任は負えませんので、
悪しからず・・・ウィンク

さて、自分の実家は元々、
甲府市の酒折にあったのです。

以前、ちょっと触れた気がしますが、
学院大の裏手に釣り堀ではないのですが、
大きな沼があったそうです。

そこから最も近いつり堀だったと記憶しているのが、
「甲東堀」です。
里吉地区にありましたね。

昔は「おじ堀」って、
呼ばれていたんじゃないかなぁ・・・。

フナやコイが放流されていたと思います。
が、ここで釣った記憶は一切ないんです。

次に近かったのは、城東地区にあった、
「ゆうちゃん堀」でしょうかね。
昭和40年代には、既になくなったと思います。

今は埋め立てられて面影もありませんが、
ここも、フナやコイが釣れました。

兄はここで釣りをした

って、云ってましたが、
残念ながら自分はないんです。

まだありますよ。
夏にはプールになって、
オフシーズンは釣り堀になる―
そんな、釣り堀もありましたね。

「中楯プール」です。
キンギョ釣りができたんですよね。
平和通りにあったんですよ。

更には、バカデカいコイがいる、
「和田堀」ですね。
千代田湖に向かう、和田峠の入り口辺り
H園病院の手前に、大きな釣り堀がありました。

そうそう。
柳町通りにあった老舗の釣具屋さんが管理されていた、
「竜華池」も、忘れちゃいけませんね。
こちらは、武田神社の直ぐ近くです。

今では季節限定の、
エリアフィッシングスポットだっそうです。

そして極めつけの街中釣り堀がありました。
と、云うか最も最近まで営業していたと思います。
それが、飯田にあった「窪沢つり堀」さんですね。

県立大や某公共放送局の支局が、
直ぐ近くにありましたし、
いわゆる「ハコ釣り」スタイルの、
へら鮒釣りができる釣り堀だったので、
ファンは多かったんじゃないかなあ・・・

上の写真が、その窪沢つり堀さんです。

管釣りが人気な一方で、
釣り堀は、全国でもどんどん無くなっていますガッカリ

前記したように、
子ども達が初めて釣りに触れる場所として、
こうした釣り堀があるといいと思うのですが、
維持管理に掛かる経費を考えたら、
営業は非常に厳しいのも当然ですね。

懐かしさが込み上げる一方で、
どこか復活を望んでしまう自分がいます。

市民レベルでどうにかならないかなあ・・・

他にも、皆さんのご自宅の近くに、
大小問わず、色んな釣り堀があったと思います。
よろしかったら、情報を寄せて下さい。



 






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