山梨県のほぼ全域と長野県東南部を自営仕事で飛び回っています ついでに立ち寄った所の道草紀行 日常のあれこれ 家庭菜園の様子等々 気が向いたときにぼそぼそっと投稿して行きます。
 
2020/08/19 16:37:00|その他
かっぱ寿司

娘の一家がちょっと遅い盆休みで帰省しています
今日は孫が好きなお寿司を食べに甲府のカッパ寿司へ

事前にネット予約しておいた「食べ放題レギュラーコース」です
殆どの寿司が食べ放題でフリードリンク、デザートも食べられます

何といってもリーズナブルなのが魅力です
一般男性の1848円(税込み)はまあまあ、
シニアの1408円、小学生の858円はお値打ちです

1時間食べまくって満腹、満腹。







2020/08/13 20:15:00|その他
道(続きの続き)
またしても道についてですが
映画の話です

私が初めて映画を見て涙した作品が
フェデリコ・フェリーニ監督の「道」という映画です

1954年にイタリアでつくられた映画です

ご存知の方も多いでしょうが簡単なあらすじです

ザンパノという大道芸人が海辺近くの貧村で母親から娘を金で買います
娘はジュリエッタ・マシーナが演じるジェルソミーナです
決して美人でもなくグラマーでもないのですがコミカルな動きがどことなく可愛く表情豊かな女優です(フェリーニの奥さんです)

娘はザンパノに連れられて街から街へと移動しながら大道芸のピエロ役として
働きます、散々にこき使われバカにされるのですがいつしか
ザンパノを愛するようになっていました
ところがザンパノは金が入れば酒におぼれ女を買い、修道院で盗みを働き、暴力をふるい警察沙汰等悪いことばかりします、ジェルソミーナの悲しみの表情が胸に突き刺さります

いつしかジェルソミーナは精神に異常をきたしてきます
手を焼いたザンパノは彼女が寝ている間に置き去りにして出て行きました、

その後ザンパノは知り合いのサーカスの一員になり成功
ジェルソミーナは画面からピタッと消えてしまいます
遊興にふける生活のザンパノの画像は流れてきますがジェルソミーナが出てこない(テレビの映画劇場だとここがカットされるケースが多いのですが絶対にここはカットしてはならないところです)

視聴者はジェルソミーナはどうしたんだろう、どうしたんだろとヤキモキするわけですよ
(この辺の演出がフェリーニ監督の憎い所です)

ある日ザンパノは海辺近くの街でいつもジェルロミーナが口ずさみラッパで奏でていた曲を歌っている娘と会います

「その歌はどこで覚えたのか?」ザンパノは聞きます
「以前、ここに流れ着いたちょっとあたまのおかしい娘が歌っていたのよ」
「その娘はどうしたのか」
「いつの日か浜辺で死んでいたよ」

ザンパノは初めてジェルソミーナがいかに自分に尽くしてくれていたか
愛情を注いでくれていたのかそしてかけがえのない存在だったのかやっと理解します

そしてザンパノはふらふらと歩きながら浜辺へ
大の字に倒れこんで号泣です

いやー、見ている者はたまらないですね
ジェルソミーナを思い
ザンパノと共に号泣してしまいます、

この映画のメロディーも素敵です
フイギュアスケートの高橋大輔が演技に取り入れた曲として有名になりましたね

最高の映画です。
 







2020/08/12 17:32:00|その他
原風景の「道」
前回の続きです、

当時の道には子供とおかみさんだけではなく
実に多くの行商人が行きかっていました

早朝、豆腐屋のラッパの音
シジミ売りの「あさり〜やしじみー」の売り声

日中は金魚売り「きんぎょ〜えきんぎょ」
物干し竿 「さおやーさおだけー」

ポンポン煎餅
玄米パン 「玄米パンのほかほかー」
紙芝居
富山の薬売り

石焼き芋 「石焼き芋 やきいもー」
よなきそばの音色

チンドン屋の行列

空からはビラが降ってきました

考えてみると当時の道は実に賑やかでした
今は行商人どころかセールスマンも歩いてません
道行くのは車だけです

そして当時の行商人の人たちは自動車ではなく荷車に商品を載せて引き売りしていたのですからかなりの重労働だったでしょうね

車が普及してない時代の人の方がはるかに足腰が丈夫だったように思います
大体、何処に行くのも徒歩か自転車です
たまの遠出はチンチン電車です

話は変わりますが
昔、八王子に住んでいたころ
村内ホビーというホームセンターが開店しました、当時としては珍しいお店でしたので
開店セールのときは多くの客(車)が殺到
駐車場は店の裏手にウナギの寝床のような形で細長く伸びていました
混んでいたので警備員は奥へ奥へと誘導します
そして車を停めると
恰幅のいい中年の男が「こんなに奥にとめさせやがって」と警備員に食って掛かっていました

私はしみじみと男の顔を覗いて腹の底から軽蔑しましたね

よほどのお年寄りや障害者の方ならいざしらず
働き盛りの中年の男がたかが数十メートル歩くことになるだけで
大声で文句を言っている
情けないことです。
 







2020/08/11 18:03:00|その他
画像は我が家の前面道路です
幸いにして(と思っているのは私だけかもしれませんが)未舗装の砂利道です
雨が降ればいい具合に水たまりが出来、地中に浸透、晴天になれば蒸散、自然のサイクルです

我が尊敬する心の師、倉本聰氏脚本の「やすらぎの刻、道」が終了してしまいましたね当初テレビ朝日で放映されていたのですがUTYで再放送されました
劇中劇の「道」がよかったですね、戦前、戦中、戦後動乱の時期、山梨のとある村、道の変遷とともに変わっていく人々の暮らし、生き様を描いた感動的なドラマでした、

私の原風景の「道」
それは昭和30年台初頭の東京下町です
幹線道路以外は殆ど舗装されてなかったですね
車はめったにとおらない
とおるのは自転車と大八車、たまに馬がパカパカと、
道には子供たちが遊ぶ歓声が溢れていました、
所々で買い物かごをぶら下げた若いおかみさんたちが延々と立ち話

雨が降れば水たまりができる 
傘をさして長靴をはいて「ピチピチチャプチャプランランラン」でしたね、

いつの頃からですかね、道は立派に舗装され子供の遊び場ではなく車のためのものになったのは、
道から子供の声が消え、おかみさんの姿が消えました

私も車社会の一員なので何とも複雑な思いですが・・・


 







2020/08/07 17:56:00|みちくさ紀行
義清神社
先日は昭和町で仕事でした
昭和町市街地の中にある義清神社へ立ち寄りました

甲斐源氏の祖、源 義清を祀った神社です
社の西には義清の墳墓もあります

木立の中は直射日光が避けられるので真夏のこの時期は
ちょっとしたオアシスになっているようです。