哲学が 根本になければ、砂上の楼閣にすぎぬ。このサイトは持続可能な社会を目指して、地球温暖化防止、緑化の推進、世界平和、世界連邦建設等を目的としたものです。左の写真は、尾崎行雄先生と尾崎先生の意思を継承した相馬雪香先生です。相馬雪香先生の教えを受けた人は多数いると思いますが、雪香先生をおんぶしたことがあるのは、私(中澤誠)だけでしょう。すべての組織は利害で動く 日本は敗戦国となった時から、植民地以下の国になった。だが日本には至るとこに神社がある。それが唯一の救いだ。天之御中主様 この日本を目覚めさせていただきたく。 殺戮の無かった縄文時代に戻ることこそ重要である。
 
2026/06/20 16:03:24|その他
三木清全集  第六巻  ?史哲學  第二章 一 存在の?史性 71p1g
然しながら自我の無限なる反省可能といふことも、かのボルツァノに於ける眞理へ無限に多くあるといふ論證と同樣に、或る形式的なものであり、從つて少くとも?史を考へる立場にとつては或る空虚なものであり得る。さうであるべきでない限り、われがわれを省みるといふことは、かの發心または更生といはれる場合の如く、われが新たに生れるといふ意味をもつのでなければならぬ。然るにかくの如きことは、宗教家がそれを神の恩寵に歸して説明するやうに、純粹に内在的な立場からは眞に理解され得ない。そこではまさにわれそのもの、意識そのものが新たに生れることが問題になつてゐるのであるからである。そのやうに、?史はわれそのもの、意識そのものの生まれるところから始まる。われといはれ、意識といはれるものも、生れたもの、作られたものとしては存在と考へられなけならぬ。このやうにわれそのものを作り、意識そのものを生むところのものこそまさしく我々が事實と呼ぶものである。われは事實に於て絶えず新たに作られつつある。そして意識を生むものは固より意識に内在的なものであることが出來ない。事實は寧ろ意識を絶えず破るところのものである。事實はまことに超越的なものである。たとひ存在が或る意味では内在的なものと考へられねばならぬとしても、事實は決して内在的と考へられ得ないものである。