哲学が根本になければ、砂上の楼閣にすぎぬ。このサイトは持続可能な社会を目指して、地球温暖化防止、緑化の推進、世界平和、世界連邦建設等を目的としたものです。左の写真は、尾崎行雄先生と尾崎先生の意思を継承した相馬雪香先生です。相馬雪香先生の教えを受けた人は多数いると思いますが、雪香先生をおんぶしたことがあるのは、私(中澤誠)だけでしょう。すべての組織は利害で動く 日本は敗戦国となった時から、植民地以下の国になった。だが日本には至るとこに神社がある。それが唯一の救いだ。天之御中主様 この日本を目覚めさせていただきたく。 殺戮の無かった縄文時代に戻ることこそ重要である。
 
2025/11/13 21:27:25|その他
ライプツィヒ 第 10 巻 普遍学 百科全書あるいは普遍学のための予備知識 214p3g
「それ自身で確実な認識」は、われわれがおおいに同意する他の認識によっては検証されえないというしかたで、それに対して、まさにその認識自身を理由にわれわれが同意を与えるものである。このことから明らかになるのは、それ自身で知られる命題がすべて、さらにそれ自身で確実な認識でもあること、さらに、加えて、それ自身で確実な認識は、われわれの諸々の思考に関する経験であること、つまり、自分がそれを思考していることを意識しているとわれわれが見なしている事がらを、われわれが現実に思考していることである。それゆえ、二種類のそれ自身で確実な命題がある。すなわち、そうした命題の一つは、理性的根拠により確実である。つまり、項からして明白な命題であり、それらの明白は疑うことのできない経験によってわれわれに知られることになる。また、そうした命題自身は現に働く意識の証言なのである。しかし、さまざまの事実には、そのさまざまな根拠があり、そのかぎりで事実の本質が分析されうるにしても、事物の系列の全体が認識されないかぎり、ーーこのようなことは人間精神の力を超越しているが、ーー事実は、われわれにアプリオリにその原因を通して知られることはありえない。したがって、諸々の事実は、アポステリオリに経験によって学ばれるものなのである。