そこで注意すべきことは、?史的意識は?史を單に平面的なものとしてではなく寧ろつねに立體的なものとして考へてゐるといふことである。換言すれば、それは?史のうちに、或はイデーとその現象、或は下部建築たる物質的生産的生活的と上部建築たるイデオロギーといふ風に、いはば階層組織を考へてゐる。このことは、我々の意見によれば、根本的には、?史が事實としての?史と存在としての?史といふ二重のものであることから來るのであつて、この二重のものの一定の史觀にもとづく解釋として現はれるのである。フンボルトのやうな?史の見方は觀念論的な史觀と云はれ、マルクスの如き?史の把握の仕方は唯物論的な史觀と云はれる。二人の史觀はかく對立せるに拘らず、共に?史的意識を有したと云はれ得るならば、「?史的意識」の概念が「史觀」の概念に對して或る形式的な意味のものであることは明らかであろう。丁度ヘーゲルは觀念論者であり、マルクスは唯物論者であるが、共に辯證家であるところから、兩者に共通な辯證法一般の理論といふものが考へられ、且つかかる辯證法一般の理論が打ち建てられ得るやうに、我々はヘーゲル、フンボルト等の觀念論的な史觀及びマルクス主義の唯物論的な史觀に共通な?史意識一般の理論といふものを考へることが出來、且つこのやうな理論を打ち建てることが出來よう。?史哲學とはかかる?史的意識の理論である、と定義されてもよい。この理論は哲學的である。 |