下岡 忠治(しもおか ちゅうじ、1870年9月29日(明治3年8月27日) - 1925年(大正14年)11月22日)は、日本の内務・農商務官僚、政治家。衆議院議員、朝鮮総督府政務総監。号・三峰。
庄屋・酒造業、下岡直一の二男として摂津国川辺郡広根村(現:兵庫県川辺郡猪名川町)で生まれる。大阪中学、第三高等中学校を経て、1895年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務属となり内務省官房文書課勤務となる。同年11月、文官高等試験に合格。
1896年1月、熊本県参事官に就任し、京都府参事官、茨城県書記官、法制局参事官、兼法制局書記官などを歴任。1906年11月、秋田県知事となる。1908年10月、農商務省農務局長に転じ、農商務次官、枢密院書記官長、内務次官を歴任した。
1915年3月、兵庫県郡部区から第12回衆議院議員総選挙に出馬し当選。以後、1924年5月の第15回総選挙まで連続4回当選した。公友倶楽部、公正会に所属。第2次大隈内閣では、1915年7月から8月まで内務参政官に就任。その後、憲政会総務も務めた。
1924年7月、朝鮮総督府政務総監に就任。鉄道局長事務取扱などを兼務。1925年11月に現職で死去した。
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