光の旅人☆彡

🎼ようこそいらっしゃいました。 ★★★宇宙が誕生して138億年・・・。 私たちはいったいどこから来て、どこに向かうのでしょう・・・。 宇宙を旅すること・・・それはひたすら私たちのアイデンティティを求める旅に出ることではないでしょうか。 あなたも、あなた自身の”本質”を捜し求める”心の旅”に同行しませんか。 ・・・荷物はひとつ、”探究心”のみです。
 
2018/09/11 20:27:36|心の旅路
磨かれること
※今日も一日お疲れさまでした。

あなたと子どもは偶然親子になったのではありません。乗り越えるべき課題があるからこそ、出会ったのです。その必然に感謝しながら課題にチャレンジして下さい。

 

〜スピリチュアルメッセージ〜
 「磨かれること」

人はよく「傷ついた」、「傷つけられた」という言葉を使います。

ですが、傷つくのは往々にして人間の我欲にすぎないのではないでしょうか。

自分の思い通りにしたい、わがままを通したいといった我欲が傷つくだけ。

たましいは決して傷つくことはありません。

傷つくのではなく磨かれると云うこと。

あなたが「傷ついた」、「傷つけられた」と思う過去を振り返ってみて下さい。

それは今でも辛くて悔しい思い出かも知れません。

でも、そのことがもし、なかったら、あなたはどうなっていたでしょう。

今ほど成長していなかったのではないでしょうか。

「傷ついた」と思う経験は、本当はあなたを成長させてくれた「研磨剤」であると云えます。

磨かれることを重ねながら、人は本当の幸せに近づいて行くのですから。







2018/09/02 20:00:04|心の旅路
生まれ持った「素材」と「個性」

※今日も一日お疲れさまでした。
季節の変わり目には様々な環境の変化が伴うものです。たとえば、学校や職場など人が入れ替わり、時には自身の意に反して、受け入れなければならないプレッシャーもあるかも知れません。そういう意味も含めて、この時期は多くの学びが用意されています。どうか、あなたのペースで乗り切って下さい。


〜スピリチュアルメッセージ〜
 「生まれ持った”素材”と”個性”」

 

たとえば「私はなぜ、こんな風に生まれついたのか…」と自分の人生に不平や不満を抱えたりしていませんか。「人間なんて不平等」と愚痴を言っていませんか。

ここで考えてみて下さい。霊的視点で見れば、人はみな平等です。

もちろん、生まれ持った「素材」は千差万別。だから目に見える違いは、あって当たり前です。そして、ややもすると他人と比べて、羨ましく思ったり、自分を卑下して見たりと。

ですが、それは不平等ではないのです。
個性」が違うというだけです。人はみな霊的存在で、それぞれの「個性」と「課題」を持って生まれて来ているのですから。

そして、生まれ持った個性を精一杯輝かせることは、誰にでも可能なのです。その点では誰もが平等だと云えます。不平等と思うのは、見た目の違いにばかりにこだわる物質主義的価値観に振り回されているからではないでしょうか。








2018/08/24 18:59:42|心の旅路
カルマを解消すること
※今日も一日お疲れさまでした。
あなたのなかに、ずっと引きずってきた問題があるかも知れません。あなたはいつか時間が解決してくれるはずと思って来たことでしょう。けれど、どこかで「逃げていた」と感じていませんか。大変ですが、本腰をいれてその問題と向き合ってみて下さい。逃げではなく、卒業する時が訪れたのかも知れません。

〜スピリチュアルメッセージ〜
 「カルマを解消すること」

たとえば、過去に蒔いた悪しきカルマが返って来たとき、霊的真理を中途半端に理解している人は「こんなことが起こるなんて、私はとんでもないカルマを過去に蒔いたにちがいない」と、恐怖に感じてしまうことがあったりします。

「だから天罰が下ったんだ」という風に。

ですが、そこでいたずらに落ち込んでしまうのは間違っています。

カルマが返るのは、自分自身のカルマを見つめるため。これは今までにも学んで来ました。

ですから「天罰」などあり得ないのです。

過去に自分がしてしまったことを、今度は逆の立場で味わう…そのこと自体に大きな意味があるのですから。

そこでもう二度と、そのような悪しきカルマの種を蒔かない自分に成長出来ればそれで良いのです。成長出来た時、そのカルマはやっと解消です。

たましいの成長、そしてあなた自身の幸せ、これこそがカルマの法則の原点であることを思い出して下さい。







2018/08/16 19:00:04|お気に入り
線香花火 by NSP
※八月も後半にさしかかりました。庭先ではコオロギが鳴いています。この曲が似合う季節になりました。

線香花火   (詩・曲:NSP天野 滋)

はじっこつまむと線香花火
ペタンと座ってパチパチ燃やす
この頃の花火はすぐ落ちる
そうぼやいてきみは火をつける

浴衣なんか着たら気分が出るのにね
湯上りでうちわを片手だったらね
はじっこつまむと線香花火
僕は燃えかす拾う係でも


風を背にうけ線香花火
僕はきみの機嫌が気になるけれど
こうしてる二人は絵になるわ
そうつぶやききみは火をつける

きみの目の中で光っているんだ
こっちの方が本物より素敵さ
風を背に受け線香花火
僕たちの恋もきれいに燃やそうよ

パチパチ光る線香花火
来年も二人でできるといいのにね







2018/08/14 9:00:20|心の旅路
盂蘭盆に寄せて
※お盆休みを満喫されていることでしょう。休み中、墓参りに出向いたり、迎え火を炊いたりと、古来からの風習も盛んに行われると思います。今日は過去記事ですが、再確認の意味も含めて再投稿させていただきました。


〜スピリチュアルメッセージ〜
 「供養の”形”」

スピリチュアルな視点では供養で肝心なのは「形」ではありません。

どれだけお金をかけたか、どれだけ立派な供養をしたかではなく、そこにどれだけ「思いを込めたか」が大切なのです。

また、本当の供養とは、子孫である自分たちが、自立して生きていること。

つまり、子孫が先祖に心配をかけない生き方をしていてこそ、先祖は安心して浄化の道をたどることが出来るというものでしょう。

よく目にする光景で、墓前や仏前で合掌しながら「願い事」を唱える人がいますが、スピリチュアルな世界ではそれはタブーとされています。

先祖には子孫である私たちが無事で暮らしている旨を報告しつつ、「安心して浄化の道を歩んで下さい」というを持つことが、何より大切な供養となるのです。

この盆中に墓参りなどに出向いた折に触れて、このことを思い出して下さい。