先日、事務所内の書棚の整理をしていた時、 以前の活動の記録などを残していた、 スクラップブックを、何となく開いてみました。
自分が『フィッシングメッセンジャー』 を、肩書きにして活動を始めた頃には、 まだブログなどは使って居ませんでした。
一応、ホームページは開設したものの、 まだまだアナログの方が、 人の目に留まりやすいメディアでした。
なので、活動の報告などには、 いわゆる業界紙を使いました。
自分が企画して実践した体験会やイベントを、 原稿を書き写真を添えて、 釣り新聞の発行先の出版社に投稿し、 採用されれば、記事として載せてくれました。
また、採用されれば、 幾らかの原稿料も戴けたのです。
費用対効果としてどうだったかというと、 些か疑問は残るのですが、 原稿料は貴重な収入でした。
また、思わぬ活動の広がりに、 繋がったケースもあったんです。
随分と前置きが長くなってしまいました(^_^;) そんな業界紙の記事のスクラップに、
ハゼ釣りの体験と、 釣ったハゼを食べると云う企画を、 実践した際の記事の切り抜きを見つけました。
ハゼ釣り体験を行った場所は、 静岡市清水区の三保にある某堤防で行いました。 でもこの時は、まだ清水市だったかなあ・・・
ところで、 初めての釣り体験に、ハゼ釣りはうってつけですが、 一応海釣りですから、 山梨の方には、意外とハードルが高いのです。
なので参加して下さった方々は、 当時自分が所属していた自然体験のグループを、 企画の窓口に使わせてもらって募集した、 親も子も、とても意欲的な方々でした。
ですが今日の投稿は、 その記事を回顧するものではありません。
ハゼ釣りを通じて学べる知識や、 経験値による成長と効果を、 改めて検証するための投稿だとご理解下さい。
ハゼは、年魚と呼ばれる、 寿命が1年のみの魚です。 ここでは、ハゼ=マハゼとします。
春先に干潟などで産卵された後、 初夏にかけて孵化し、自らも浮遊生活をしながら プランクトン(浮遊生物)を食べ成長します。
おおよそ、2センチ位の個体になると、 再び、底生生活に戻っていきます。 そして、今度はプランクトン食から、 ベントス(底生生物)を、 好んで食べる様になります。
この成長の過程でハゼは、 いわゆる出世魚ではないものの、 呼び名が変っていきます。
ハゼの仲間は、腹びれが吸盤状になって居り、 泳ぐのではなく、どちらかと言えば、 歩く感覚で、沿岸部の浅瀬や河口などの、 汽水域まで移動し、急成長します。
この移動の最中、 5センチ~10センチくらいの個体を、 デキハゼと呼んで、 ハゼ釣りシーズンの開幕となります。
これが丁度、夏休みの頃と重なるので、 夏休みの思い出がハゼ釣り―。 と、仰る人が多いのは、このせいです。
盛夏を過ぎる頃、個体は15センチ程に達し、 次第に、深場へ移動を始めます。 この大きくなったハゼを、 落ちハゼと呼んで、 今度は、船やボートで釣る様になります。
伝統工芸に指定されている『江戸和竿』には、 手バネと呼ばれる 糸巻き(リールの原型)が付いたハゼ竿は、 風流な趣味として愛されて、 今も愛好家がいらっしゃいます。
ハゼは、腸でも呼吸ができるため、 周辺の水質に拘わらず、 さほど食味に影響が出ないので、 一時の東京湾でも続いていました。
白身で淡泊な食味は、 唐揚げや、天ぷらなどの揚げ物で良し、 通は、刺身を塩で食べたりだとか、 江戸前寿司のネタになったりもします。 高級食材なのです。
また、佃煮にごく小さな鯊煮があったり、 デキハゼの甘露煮なども美味しいですよね(^o^)
こんな風に、ハゼとハゼ釣りは、 日本沿岸の自然環境や、四季の移り変わりも、 釣りで直接的に感じる事ができます。
単に釣るだけではなくって、 様々な学びのきっかけになる、 とても貴重な釣りだと考えています。
記事になった体験会では、仕掛けを作り、 釣ったハゼを自分で捌いて天ぷらで食べる―。 ここまで体験しました。
捌く際に、ハゼの体のつくりを知ったり、 美味しくできる調理方法も覚えたり、 親子での会話も自然に増えて、 良い体験会になったかと思っています。
また、ハゼの生活史は、 四季の移ろいとともに循環していくので、 様々な環境に棲む他の生きものたちや、 環境問題にも意識が及んでいくことでしょう。
単にたくさん釣れたり、楽しいだけではなく、 やはり、体験から学びに繋がっていけば、 この釣りも、きっとサスティナブルです。
つい先日の投稿で、 『謎のあんこう』なる商品を紹介しましたが、 あのカワイイあんこうは、 きっとハゼ釣りにうってつけです(^^)/
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