いつか、わたし気功が趣味やて書いたかと思うんですが、その先生が導いてくださった樹林気功に、目から鱗が落ちる思いがしてます。 樹林気功とは、今田求仁生という方が着想されたものやそうですが、氏は凄まじいご自身の体験をもとに、自然の一部である人間と樹木が癒し合えることに気づき、現代を蝕む医療や教育の崩壊、身体性の喪失、環境破壊、暴力の蔓延に対して、とても大切なメッセージと技法を発信することになったんやそうです。 ここでぜったい勘違いしたらあかんのは、樹木のそばや森で気功したら病気とかが治ると思わんこと。そんな短絡的なもんやないんやそうです。 以下、先生の言葉をお借りします。 『大切なのは「自分が具合良くなるために、パワーアップするために樹木から気を取ろう」という姑息な発想ではなく、「樹木・自然の気と交流しよう、お互いにいたわり合い、癒し合おう」という姿勢で臨むことです。 樹木と自分との「命のつながり」を感じ、共に育ち合う姿勢です。 そのためには、樹木の所へズカズカと入っていくのではなく、樹木とそれがつくる「気場」に礼節を持って入っていき、樹木に挨拶し、語りかけるような態度で行います。実際に 「やあ、楠さん、また来たよ。今日もよろしく」と語りかけたっていい。』
わたしつい最近、まさにこれ体験したんです。ある日の夜明け、わたしは瑞牆山の山ん中におった。そばを流れる川はセセラギという言葉を否定して、ワタシというよそ者をしぶきと音で威嚇してくる。いくつもの巨石が、圧倒的な迫力でじっとワタシをニラんでくる。 「うわっ、生きとる、こいつら!!」思わず声をあげてしまいました。 でも、ここでひるんだら、病んだ人間のままで終わる。あまりの気のパワーに押されて、いったんその場を離れたんですがもう一度、こんどは先生の言葉を思い出して、礼節を持って近づいたんですね。最初はおっかなびっくりやった。 せやけど、心を静かに、あんたらと寄り添いたいんやと念じながら気を集中させてたら、いつのまにか、さっきまであんなにざわついてた周りの木々や石や水の音が、こんどはとても心地良い音に変わってきてたんです。 理屈とか、難しいことはわからんけど、ほんまに自然というのは凄まじいなと、奢り高ぶった人間どもの一人であるわたしを、ちゃぁんと導こうとしてくれてんねやなと、その懐の 深さに心が震えました。 これ、クセになりまっせ。 |