新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2012/11/07 7:22:38|民俗・芸能
新美南吉「最後の胡弓弾き」の音色

『新美南吉童話集』のなかでも「最後の胡弓弾き」という作品がとりわけ好きだ。これは〈童話〉の域を超えて優れた作品だと思う。


木之助は小さい時から胡弓の音が好きだった。十二になって上手な牛飼いのところへ通って習い始め、旧正月になると従兄の松次郎と町へ門附に出かけた。太夫の松次郎が着物、袴、烏帽子で鼓、木之助はよそ行きの晴着にやはり袴で胡弓を持っていた。町には二人を可愛がってくれる味噌屋もあった。小さな村には何組かいて、上手な者は都会や信州へも行って稼いだ。


門附は次第に流行らなくなり、呑んだくれた松次郎は「もう止める」と言い出す。迷った挙句、木之助は一人で出かける。味噌屋の主は彼を歓迎してくれる。


木之助が病気をして二年間を置いて出かけろと、町の家には「諸芸人、物貰い、押し売り、強請(ゆすり)、一切おことわり、警察電話一五〇番」と張り紙がしてある。味噌屋では意地悪だった女中が中へ入れてくれるが、主は亡くなっていた。仏前で弾いて門を出る。


古物屋の前で、木之助は胡弓を売り払おうとする衝動に駆られる。30銭だった。末っ子のためのクレヨンを15銭で買うと、胡弓のことがしきりに悔やまれた。買い戻そうとすると今度は60銭だった。


「午後の三時頃だった。また空は曇り、町は冷えて来た。足の先の凍えが急に身に沁みた。木之助は右も左もみず、深くかがみこんで歩いていった」


何度も読んでいるが、私はこの童話の胡弓の音を「越中おわら風の盆」の闇夜で聴いたりした、どちらかと言えば哀切な音として聴いていたのである。さもなければ、牛飼いに5,6曲習ったというし、味噌屋の主が好んで鑑賞してくれたというから、芸術音楽としてのたとえば藤枝流の「鶴の巣籠」とか「蟬の曲」「千鳥の曲」『栄獅子」「下り葉」「唐子楽」といった雅なもののようにも受け取っていた。


ところが、「日本の放浪芸」というCDで、鼓、三味線と共に正月に門附をして歩く尾張万歳、三曲万歳を聴いてはっとした。これは「ちゃかぽん、ちゃかぽん、ぎーこ、ぎーこ、ぺん、ぺん」と至って陽気で賑やかなのである。元来、正月の祝福芸なのだからそうあるべきなのが本当で、聴きすすむと、鳥取の人形芝居の大黒舞も(三味線、胡弓、太鼓)、香川のはりこま(三味線と胡弓)も同じく、実に聴いているこちらの頬が緩むような、いかにもおめでたい芸だった。


私は分からなくなってしまった。25歳の作者が書いたこの童話のBGMを賑やか、それとも哀切、どちらに聴こうか、と。それとも、音曲が底抜けに明るいから、余計に状況が切なく感じられるのだろうか、とも。





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びっくりしたんです
『最後の胡弓ひき』のBGMを私も哀切なおもっていたので、録音を聞いて、おめでたい音色に驚いたのです。
新美南吉の作品はおおむね好きですが、戦争が近付いたころの作品はなんか「演説」が多くて、少々苦手です。

猫町主人  (2013/06/05 16:51:29) [コメント削除]

哀切な調べだと思い込んでいました。
はじめまして。新美南吉なんとなく苦手意識がありましたが、ブックトークなどで使うため読んでいて、参考資料を集めていてこの猫町文庫に迷いこみました。『最後の胡弓ひき』は抒情性が高く好きな作品なんですけれど、尾張漫才に近い門付芸能ですから目出度く賑やかなのですね。何か勝手な思い込みで哀切な音と決めていました。陽気だけど物悲しく感じさせるジプシー音楽に通じるものがあるのでしょうか。
ギギマトカクロ  (2013/06/04 1:36:44) [コメント削除]

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