| 「私の心の中に『友人は財産なり』、『教育とは命を大切にすること』などが生きつづけていることは、この青年団活動時代に培われた」「人を信頼し、たとえ非力であっても、誠心誠意、精いっぱいの力を出して行動することを信条とし、それを教育行政の中に反映していこうと決心した」。平成5年に発刊された『教育長走る』の中の一節です。
著者の西山賢吾さんは平成4年まで竜王町教育長を8年間お務めになり、ちょうど在任中の平成元年、2年度と2年間、峡中地区の取材を担当していた私は公私にわたりたいへんにお世話になりました。山梨県教育委員長もお務めになりましたが、退任された後も親しみを込めて「西山教育長」と呼ばれていました。
「教育長らしくない教育長」とよく評された方で、ご本人はむしろそれを誇りとされているようでした。私もそんな評を耳にするたび、「それでは、教育長らしい教育長とは、いったいどんな人物像なのか」ということを考えたことを思い出します。
とにかくフットワークが抜群で、腰も低く、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を体現しているような方でした。いろいろなイベント会場などにも「お忍び」でよく足を運んで、いろんな情報収集にも努めていらっしゃいました。
うちの父親と同じ、働き者の代名詞でもある昭和一けた(昭和6年)生まれ。農家の三男で、10歳の時にお父様を亡くされたことで、家計を助けながら、苦学をされたことをお聞きしたことがあります。
青年団活動に奔走したほか、当時の白根町教育委員会に勤務して社会教育振興に活躍し、今では全国に知られた桃源郷マラソンを企画したアイデアマンとしても知られています。竜王町役場に教育長として「トレード」されて後は、山梨県内初のオープンスクールとして開校した竜王東小学校、また赤坂台の台地を自衛隊の協力も得て切り開いて開校した竜王北中学校の開校に尽力され、甲斐市になっても続く「大弐学問祭り」を企画するなど、数々の新しい発想で難題を中心になって解決してきました。難しい用地交渉も最後は人と人との心が通じ合わないと成功しないということを常々語っていらっしゃいました。
西山教育長の長女が私の姉と同級生、長男が私と同級生というご縁もあり、息子の一人のようにかわいがっていただいたことを思い出します。結婚式の披露宴にもご出席いただきました。
そんな思い出の数多い西山教育長の訃報に接し、実に寂しい思いでいっぱいです。2月11日が85歳の誕生日となるはずでした。
昨年、西山教育長のお孫さんが甲斐直心館に入門し、剣道を始めてくれています。西山教育長に受けた教えを、地域の子どもたちに剣道を通じていろいろなことを伝えていくことでご恩返しをしていきたいと思います。ありがとうございました。合掌 にほんブログ村 人気ブログランキングへ |
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