| 86万アクセスを突破 | 「みんなで剣道やろうよ! 直心是道場〜甲斐直心館」ブログへのアクセスが3月7日、86万件を突破しました。2月26日に85万件を突破していましたので、9日間での1万アクセス増となりました。現在、一日1,000アクセス超えは3日連続で継続中です。
剣道に限定せず、幅広い話題を紹介していきたいと思います。ご愛読ありがとうございます。
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| 甲斐市スポーツグループリーダー研修会! | 平成24年度甲斐市スポーツグループリーダー研修会が3月7日、敷島総合文化会館で行われました。
山梨学院大の水泳部監督の神田忠彦さんが「私の指導理念」と題して、非常に興味深い講演をしてくださいました。
水泳を基にしたお話をされましたが、競技名を入れ替えるだけで共通することが非常にたくさんあり、共感する場面が多かったです。要旨は
・ジュニアを速くすることは案外たやすいが、継続させることはとても難しいことを心得ておかなければならない
・悪い指導者は水泳(○○)を嫌いにさせてしまう指導者だということを自覚する必要がある
・シニアはスポーツ人生の成功者である
・ジュニアがこれから継続できるか否かは指導者が大きく関与している
・できることをすることが大切である
・環境の短所と長所を活用する
・五輪で「成功」とはメダルの数よりも自己記録の更新ができたかどうかである
山梨学院大水泳部の練習のビデオも見せていただきました。筋トレにしても「腕の可動域」を広げるための工夫や体幹トレーニングなどが興味深かったです。
鈴木聡美選手から五輪の苦労話を直接じっくり聞かせていただいたことがありますが、今回指導者のお話を聞けたことで、点と点が線でつながったような感覚を覚えました。体重管理のお話も個人的には勉強になりました。
講演の中で通底していたのは、
・与えられた環境の中で言い訳をせず、工夫してスポーツを楽しむ
・一方的な指導でインターハイ出場など、ある程度のところまではいける。しかし、大学生、社会人となって以降も競技を続けるためには、本人の心が育っていないと、心が育った選手には太刀打ちできなくなる。心を鍛えることが非常に大切
というようなことでした。
甲斐直心館の旗印にしている「直心是道場(じきしんこれどうじょう)」につながる事柄ばかりです。
中学、高校、大学と学校の部活動そのものでは指導者に恵まれなかった人は少なくないかもしれませんが、その分、「自分で自分を奮い立たせた」「自分から求めて多くのことを吸収した」という意味で心が鍛えられた−と自負するのも悪くないと個人的には思いました。
社会体育施設の利用方法についての研修会として毎年、素晴らしい講師の先生のお話を聞ける貴重な機会です。神田監督、体協、教育委員会の皆さま、関係の皆さまに感謝します。
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| 3.6 通常稽古! | | 3月6日の甲斐直心館の通常稽古には出稽古の大学生を含め27人が参加しました。到達度テスト前日とのことでしたが、中学生の多くが参加して、やる気が感じられました。
第2回森島旗争奪東日本少年大会で悔しい思いをした館生が多かったことを受けて、稽古内容を大幅に変えてみました。最初の素振りを上下素振り30本、正面素振り30本に限定して、足さばきの稽古も剣道の送り足・踏み込み足に特化。剣先の振りを小さく鋭くする踏み込み面を意識しました。
この日は日本剣道形、基本技稽古法の稽古は行いませんでした。
面着け時間を1時間確保しました。最初の30分間は、大きく速い面打ちと擦り込む面打ちの2種類を使い分けられることをテーマに稽古しました。後半30分は20秒の掛かり稽古を延々と行いました。掛かり稽古では体の軸をしっかり保ち、まっすぐ打ち込むことを意識させました。中学生にも交代で元立ちを務めてもらい、応じ技を出すことを意識させました。
最後に45秒ないし30秒の地稽古を行いました。中学生は積極的に技を出す意識が高まっていました。
2回往復の切り返し、面一本を行い、初めに行わなかった跳躍素振りを20本行って締めました。
小学生を中心に、自主強化稽古会を来週月曜から復活させようと思います。「週4回で稽古をつけてください」というお母さまもいて、頼もしい限りです。剣道を上達させるには短時間でもできるだけ多く、面を着ける回数を増やすことです。初心者は裸足で足さばきと素振りの稽古を増やすことです。
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| 法政大学マスコミオレンジ会! | 法政大学マスコミオレンジ会第32回ミーティング&パーティーが3月2日、飯田橋の法大外濠校舎、ボアソナードタワーで開かれ、初参加してみた。
セミナーの講師はフジテレビめざましテレビでも長年活躍された小島奈津子さん。コーディネートした稲増教授は「学生のころから聞くチカラにたけていた」と評した。
ミーティングには約100人の参加があり、大勢の同窓と知り合う貴重な機会となった。増田総長は昨年、後援会山梨支部の会合にも参加され、「山登りが好きなので、甲府は昔からよく訪れる。甲府駅前が大きく変わったのには驚いた」という感想を話された。
山梨放送のキャスターを務める原アナウンサーも参加。経済学部の出身で多摩キャンパスの同窓だ。現在のYBSニュースの酒井キャスターも法大出身で、偶然にも法大出身者がキャスターを務めている。 ミーティングでは、山崎製パンのコラボランチパックの開発秘話が学生から披露され、キーマカレーは他大学コラボパックに引けを取っていないという感想が出ていた。
福島のマスコミに勤める会員からは「復興番組の制作にかかりきり」とメッセージも届き、全国各地で奮闘する同窓生の今を垣間見ることができた。
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2013/03/01 21:19:00| 随想・雑観 | 「三・一」卒業旅行 | もう25年も前のことになる。大学卒業と就職を目前に控え、2月から3月にかけて2週間余りの卒業旅行に出掛けた。
欧米とアジアを見てきたいという思いがあった。選んだのは米国と韓国。「地球の歩き方」を片手に、ニューヨークやワシントンDC、カナダのナイアガラの滝、そして韓国はソウルオリンピックに向けて整備が進むソウルや慶州、釜山などを、従弟や友人と途中で別れたり、合流したりしながら一人旅をした。
米国ではユースホステルに泊まり、見知らぬ米国人と相部屋になったり、バスターミナルで「Can you fight!?」とファイティングポーズで友人がお金を脅し取られそうになったところを日本語で撃退したりと、それはそれはドキドキの旅だった。
お金もない大学生のこと。飛行機は「自分ではまず落ちない」と安全性の高さを評価された大韓航空機を選んだ。成田からまず金浦空港経由でアンカレッジに到着。トランジットしてさらに大陸を西から東に向かった。
ニューヨークマンハッタン、ブロードウェーでミュージカルをたくさん見て、エール大学に遊びに行き、アーリントン墓地にお参りし、リンカーンの巨大な座像の前でゆっくり時間が過ぎるのを満喫した。9.11のテロの標的になってしまったワールドトレードセンターに上り、自由の女神の頭の中に入ってみた。ウォールストリートの活気に感動を覚えた。米国を離れると、再び韓国に向かった。まず板門店ツアーに向かった。38度線の休戦地帯は自然の宝庫といわれ、貴重な動植物が多いと聞いた。
板門店に行くのにあたり、まず注意されたのが「粗末な服装で参加しないこと」、「スニーカーではなく革靴を履くこと」などだった。「なぜ?」と思うが、その時の説明は「粗末な服装で行くと、北側に写真を撮られて、『南はこんなに貧しい生活をしている』とすぐに広められてしまうからだ」というものだった。
板門店の停戦協議会議室に入ると、中には机といす。そしてマイクのコードが机の真ん中にずっと渡されており、そのコードが南北を分けているのだと。一瞬だったが、「北」の地に立ってみた。複雑な心境だった。
机の上には北朝鮮とUN連合軍の旗があった。北側が旗の高さ競い、UN連合軍側も同じ高さにしていったら、ついに天井までついてしまったという逸話がある。「棒を同じ高さにしよう」と同意したはずだったが、北側は今度は旗の台座を二段か三段にしてきて、「棒の高さは同じにしたから問題はない」と主張したという。その分、北側の旗が高かった覚えがある。笑い話のようだが、真剣にこういうやり取りをする精神が笑えないところでもある。
北側の兵士は大きな銃を持っており、「ポプラ並木事件」などが脳裏に浮かんだ私には相当な緊張感があったが、そのころ親交のあった全国紙の論説副主幹に後で報告した時には「板門店なんて、いまや緊張感なんてない」と一笑に付された。
そして韓国を選んだ理由のもう一つは「3月1日」だった。
3月1日は韓国にとっては特別な日で、「三・一(サミル)独立運動」の結果、「三・一独立記念日」と呼ばれる。日本の植民地支配からの独立の記念日なのだ。
韓国の地ではこの日は一体どんな行動がとられるのか、この目で見ておきたかった。今のような日本の国旗を焼くなどの強硬な抗議活動こそ目にすることはなかったが、あちこちの公園で集会が開かれていた。その時だけは、自分の日本人の気配を消すことに努めた。
韓国のオンドルは最高だった。暖かく、宿泊費も安く、快適だった。「日本円をウォンに替えるよ」と街でしつこく声を掛けられたり、向こうで知り合った学生と相部屋にしていた時に、仲間がちょっと外出した際に、すぐフロント経由で「かわいい子を紹介するよ」という誘惑は数々あったものの、概して韓国民は非常に親切だった。
民族村に行ったり、仏国寺で掛け軸を書いていただいたり、同じアジアの文化に居心地のよさも感じた。
帰国は海路にした。釜山から下関に一晩かけてフェリーで渡るのだ。下関から釜山に向かう便は「関釜(かんぷ)フェリー」と呼ばれるが、釜山から下関に向かう便は「釜関(プカン)フェリー」と呼ばれる。響きだけをとっても日本と韓国の違いが感じられる。
ふぐの町下関に降り立ったときに、日本の女性に何か違和感を覚えた。韓国女性に比べると、日本女性の化粧は濃く、少々どぎつく感じた。その当時は。
そこからは新幹線に乗って広島に途中下車した。平和祈念館や原爆ドームを見るためである。
いろいろな乗り物を乗り継ぎ、しかも往路と復路を違う乗り物で移動するという手間暇のかかる方法だったが、今考えてみると「戦争」についてもっと知らなければならないという気持ちが強かったのだろうと思う。
先日、2度目の沖縄を旅した。「戦争を語り継いでいかなければならない」という思いも強くした。
「戦争を放棄」した国だからこそ、戦争を二度としないために知恵を絞り、工夫していかなければならないのだろうと思う。
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