今回の決意にあたって様々な人と話しましたが、その中には「政治」や「選挙」と聞いただけで、あからさまな拒否を示す方がいました。
「親たちが政治や選挙に関わることで周りの人と激しい軋轢を生じ、その後の付き合いに深い傷跡を残した様を見てきた。だから、間に合うのだったら君にもそんなこと止めるよう忠告する」
「私は政治には何も求めない。だから一切政治には関わつもりはないので、協力はできない」 数人からこんなことを言われました。
私自身、政治家などと名乗るものには、密かに侮蔑を、他人に威張りたい、(行政や法律の)隙を見て金を儲けたい、支持者を得るために地位を利用してゴリ押しをする、選挙民の歓心を得るためだけに様々な事をマニフェストに書く、そんな人間に違いないと見ていました。
しかし、そういう侮蔑から、政治そのものを忌避し、政治をそういう(風に想像される)人たちに任せておくことが、結局、現在の政治の混迷をもたらしているのかも知れない、政治がそうであるならば、誰かが、特にあらゆる面で責任を負うべき世代となった私たちの誰かが、それを直すべきではないのか、それが私たちの世代の責務の一つではないのか、そんなことを考えました。
少し気取って言うなら、政治に美しい言葉(正義とか公平とか優しさとか自己犠牲とか)を蘇らせなければならない、と半分本気で考えています。
その誰かが私である必然は全くないのですが、不思議な偶然で(私の個人的なあれこれが混じり合い)、名乗りを挙げることになりました。 |