前回の続きです、
当時の道には子供とおかみさんだけではなく 実に多くの行商人が行きかっていました
早朝、豆腐屋のラッパの音 シジミ売りの「あさり〜やしじみー」の売り声
日中は金魚売り「きんぎょ〜えきんぎょ」 物干し竿 「さおやーさおだけー」
ポンポン煎餅 玄米パン 「玄米パンのほかほかー」 紙芝居 富山の薬売り
石焼き芋 「石焼き芋 やきいもー」 よなきそばの音色
チンドン屋の行列
空からはビラが降ってきました
考えてみると当時の道は実に賑やかでした 今は行商人どころかセールスマンも歩いてません 道行くのは車だけです
そして当時の行商人の人たちは自動車ではなく荷車に商品を載せて引き売りしていたのですからかなりの重労働だったでしょうね
車が普及してない時代の人の方がはるかに足腰が丈夫だったように思います 大体、何処に行くのも徒歩か自転車です たまの遠出はチンチン電車です
話は変わりますが 昔、八王子に住んでいたころ 村内ホビーというホームセンターが開店しました、当時としては珍しいお店でしたので 開店セールのときは多くの客(車)が殺到 駐車場は店の裏手にウナギの寝床のような形で細長く伸びていました 混んでいたので警備員は奥へ奥へと誘導します そして車を停めると 恰幅のいい中年の男が「こんなに奥にとめさせやがって」と警備員に食って掛かっていました
私はしみじみと男の顔を覗いて腹の底から軽蔑しましたね
よほどのお年寄りや障害者の方ならいざしらず 働き盛りの中年の男がたかが数十メートル歩くことになるだけで 大声で文句を言っている 情けないことです。 |