おはようございます。
今日4月19日は、
語呂合わせで
『食育の日』なんだそうです。
食育と云えば、
新しい朝ドラで、
これぞ食育―
そんな素晴らしいシーンがありました。
ヒロインと、そのお兄さんが、
大切に世話をしていた2頭の豚さん、
ある日、夕食に招いたお客様へのおもてなしの膳には、
らふてー や、 てびちーなど、
豚肉の料理が並んでいます。
が、その料理になった豚さんは・・・
けれど、お父ちゃんが、
黙って豚を潰した事を詫びたうえで、
「いただきます」は、命をいただくこと―
と、みんなを諭して、
改めて食材に手を合せ、
「いただきます」と云って、
しっかり味わったあの食事のシーン―
本当に感動しました。
そう。人間も動物。
動物である限り、
他の命を食べる事でしか命は繋げません。
食とは、それほど残酷な事であって、
命は、命の犠牲のうえにしか成り立ちません。
ただやはり、
自分の手で命を処して味わう―
この行為というのは、多くの人にとって、
かなりハードルが高い行為です。
ましてや家畜や、野生生物の命を処す行為は、
なかなか目にするものではありませんし、
体験できる行為でもありません。
でも、それを知る事は、とても大事です。
一方で、魚釣りで自ら釣った魚を、
自分の手で捌いて食べる行為であれば、
同じ野生生物でも、だいぶハードルが下がります。
そして、
この活動は、生きる事を理解するのに、
本当に大きな体験となるでしょう。
そんな事から、
自分の活動として釣りを指導させて戴く際には、
可能な限り、
釣って、捌いて、食う―
この事を、実践して戴ける様に工夫しています。
このブログの毎日更新を始めた最初の頃、
「釣りの七要素」と、云う概念をお伝えしました。
海の釣り本文 (lab2c.net)その中に、
「絞める・捌く」・
「料理する」「食べる」・
「片付ける」と、
七つの要素のうちの4つまでもが、
「食」と、
「食事」に関わるものになっています。
魚にも、心臓があり、胃があり、腸があり、
血液があり、細胞があります。
解剖ではありませんが、
魚を捌いていく段階には、魚がまだ生きていたら、
瞬時に命を絶って、細胞を活かしておく事が大事だし、
血液から毒素が出ない様にするためにも、
「絞める」と、云う行為が大事です。
その様に絞めた魚は、
血合いの臭いも殆どせず、白身は白身のまま
赤身は赤いまま、細胞が生きているので、
美味しそうに輝いてみえます。
捌き方も理にかなっています。
3枚下ろし、5枚下ろし、
魚体に合せた魚の捌き方を学びます。
調理(料理)もそうです。
刺身のツマはどうして付けるのか―
煮魚する時、
煮汁は先に火を入れ沸騰させてから魚を入れます。
それだけに臭いは消されます。
それは何故か―
焼き魚なら、遠火の強火で焼けって言われます。
じゃあ、
遠火の強火ってどういう意味―
全て処した命を美味しく味わうための、
所作の様なものです。
命への感謝するための行為です。
自分は、過去の活動の中で、
自分で魚を捌いている子ども達の目が、
次第に真剣に向き合う姿に出会います。
例えば、
例年の八丈キャンプの釣りができる日―
釣れたら・・・の、条件で、自分で釣った魚を自分で捌いて、
そこにいる全員で、料理して食べています。
最初は、気持ち悪がっていた子も、
自分のやっている行為に責任を感じて、
真顔で包丁を握る姿に感動させられます。
上手にできなかった子ほど、
申し訳なさそうに魚を扱い、
本当に味わって食べている姿に目を見張ります。
もしかしたら、
借りに八丈に行けても、
釣りは、できないかもしれません。
期間が1日短縮の予定なので、
釣りができる日が削られたからです。
でも、命と向き合う活動は、
それだけではありません。
食べると云う事は当たり前ではない。
食事は命に感謝するための大切なセレモニー。
育ち盛りの子ども達に、
伝わって欲しい
「命」の尊さ・・・
だからこそ、今年はなんとしても行きたい。
短縮になっても、
活動に制限が掛かってしまったとしても、
島で命と向き合って欲しい。
自分自身と向き合って欲しい。
釣りはやっぱり、食育に通ず