先日の祭りの終わり、青少年のための「愛のパトロール」っちゅやつに出かけてきました。「愛」の意味が、いまいちよくわからないまま(爆)。 小学校のPTAの時も含めると今年でたしか3回目なんですが、悪天候やらなんやらで、毎年たいして声かけたくなる子どもたちもおらんかった。
ところが今回は久しぶりに、ちょっとやんちゃな高校生らのグループがおって。 正確には高校生と、元高校生やったみたい。 一緒に回ってた、某高校の生徒指導の先生と顔見知りやったよぉで。
「もぉわし○○の生徒とちゃうわいっ!」 可愛らしぃタンカきる、リーダー格の茶髪の兄ちゃん。背丈も恰幅も、ワタシなんかよりとってもでかくて、なかなかの迫力。 先生が言うた。 「けどな、こぉして皆がちゃんと帰るの、大人が見まわってるねん。さっさと帰れ」 ・・・そんなよぉなこと言ぅたと思います。 押し問答の挙句、しぶしぶ退散する若者たち。 退散いぅても、ちょっとづつ移動するだけやけどね。
あとで、先生はこんなこともおっしゃってました。 「こんなとこでしか、存在をアピールすることができんのです」
ワタシ、言ぅときますけど、その先生に何の恨みもありませんからね、たぶん初めてお会いした方やし、ほんまにちゃんと生徒指導やってるっていぅ意気込みの伝わってくる先生でしたから。私服警官とも顔馴染みのよぉやったし。
けど、ワタシはパトロールの間じゅうずっと、自問自答繰り返してた。 カツアゲしてたりシンナー吸ってたりすりゃ問答無用で止めさすけど、ただ車座になって、ウンコ座りしてるだけで、 「なんでおったらあかんねん。なんも悪いことしてへんやないかい!」 そなぃ言うてきたら、ワタシはなんと返答するんやろ?
規則やから? めんどくさい連中に巻き込まれんよぉに?
「こんなとこでしか・・・」 確かにそぉかもしれん。 けど、子どもらをそこまで追い込んだ責任は、はたして大人たちには無いんやろか?
勉強できるやつは勉強で認められる。 スポーツできるやつはスポーツで認められる。 けど、勉強もスポーツもそんなに得意やない、仮になんか得意なことがあっても、 それを周りは評価してくれない。 自分はいったい何のために存在してるんやっ!? 自分の頭で考えようとすればする子どもほど、やりきれない気持ちでいっぱいになるんやないやろか?
しかも、そんな子どもたちの目標をさらに奪うように、お手本となるはずの大人たちの、目に余る身勝手。 親やったり、教師やったり、政治やったり、倫理の欠落した企業やったり。 そんなことがまかり通る世の中で、 「こんなとこでしか、存在をアピールすることができんのです」と、 ひとくくりに決めつけることは、ワタシにはできません。
未熟かもしれん、いや、未熟でしょう。 未熟やから、もがき苦しんでるねん。
遠い昔、不良やった頃、心はちっとも楽やなかった。 大切にしてたものを、ひとつづつ失っていく日々。 その絶望や虚しさから逃れようと、さらにヒートアップする狂気・・・。 苦しくて苦しくて、しょうがありませんでした。
こんなヘタレはワタシだけかもしれませんが、 できるだけ早く、気がついてほしいです。 自分を救うのは、結局は自分なんやといぅことに。
世の中に、必要のない人間なんていない。 必ず、必要としてくれている人がいる。 宮城の少年院の子どもたちが、被災地でボランティア活動を始めた記事を読んで、 ふとそんなことを思いました。
|