新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2013/12/29 13:16:00|本・読書・図書館
図書館を使えること
我々は、その時の自分に必要な情報をすべて持ちうることはできない。
古来、大きな文庫を構え、数多くの書籍を集めた著名な人々も、自分に必要な情報の何割かを蒐集しえただろうか。
この自覚がないから、この国には「ものしり」や「好事家」は育つが、大きな学問体系や古今東西に影響力を持つ学者、作家、思索家は育たない。
知りえた範囲でしかものを語れないからである。
世に行われる著述もしかり。
彼の知りうる(捉えうる)範囲からしか、ものを言えない。

個人が持たなければならないのは、何を見れば、どこへすっ飛んで行けば「そのことが分かるか」「何が最新段階で正確か」というインデックスである。
これが精細に出来ていればいるほどよい。
ネット上の情報を連想したら大間違いだ。
ネット上の情報が、どの程度正確で、量的にも圧倒的か否か、だれも保証してくれない。
むしろ、捨てるべき情報の多い、無駄に広いジャングルの感がある。
肝心なのは、そのインデックスを活用できる図書館の充実である。
これは個人の文庫や蔵書、コレクションをはるかに超える者でなければならない。
各地の図書館は、さらにさらに充実し、サービス体制や人的体制も含めて、さらにさらに中身のあるものとならなければならない。
図書館は、もう「完成した(成熟した)」ものではないのだ。

つまり、インデックスの次に大事なのは、図書館をどれほど活用できるか、その体制を用意できるか、である。

新年度の非常勤の講座が決まってきそうだ。
正直、身体的にもきついから、そろそろ引退させてもらおうかと考え始めていた。
が、上記のような、最も伝わっていない、伝えるべき考え方を片端でも伝えたいから、また、引き受けることにした。
小中高大という教育課程において、こういうことを教育されてこなかった彼らに、これを伝えることは大きいだろう。
知る範囲では、最も伝え甲斐と理解能力のある学生だとも思う。

写真:写真と記事とは関係ありません。甲州市塩山「さぬき」のかき鍋焼き。これの美味い季節になってきた。ここの出汁と手打ちのさぬき麺を大いに気に入っている。







キャデラック・ローザ
ユースホステルの前に赤い大きなスポーツタイプの車が停まった。
誰かが「キャデラックだ」と囁いた。
大きな花柄のワンピースに大きなストローハット、サングラスの若い女が下りてきた。
そして、「泊りたいが、空いていますか」と聞く。
ここは新興のリゾート地といえたが、ユースホステルの客としては、また、やって来方としてはいかにも唐突だった。

連泊している彼女は、1週間の間、どこを見て廻るでもなく、山に登るでもなく、何をする訳でもなかった。
朝食を摂ると、ヘルパーが掃除をしたり、干しものをするのを肘をついて眺めていた。
夕食を撮ると、夜のミーティングに参加しはするが、格別楽しんでいる風でもなかった。
欠かさず参加はしていた。

何日目かの昼、彼女が
「手が明きましたか?」と聞く。
「一段落した」と言うと、近くを案内してくれとの頼みだ。
「運転は私がするから、車で行けるところでいい」と言う。

面映ゆかったが助手席に乗った。
山麓の平原や灌木の中に車を停めてぼんやりしたり、せせらぎに小魚のひらめきを眼で追ったり、牧場の柵から連嶺を眺めていたりした。

話がずいぶん弾んだ覚えはない。
かといって、気詰まりというのでもなかった。
彼女は、問わず語りに家のことを話した。
家では両親同士がうまくいっていないようなことを話した。
とは言え、嘆いたりすがったりという感もなしに。
私も相談に乗るなどという気の重さもなしに。
大学に籍を置いて2年、彼女は私とは別の状況で大学には熱心に通ってもいないようだ。

不意にキャデラックはユースホステルを去った。

しばらくして、また、現れた。
同じような日々を過ごして、また、立ち去った。
ヘルパー仲間が言う。
「ブルジョアの娘かよ。いい御身分だよな。別荘気分かよ?」と。

彼女が来なくなった。

新宿やお茶の水で全共闘と機動隊の小競り合いがあった。
騒乱化して「カルチェラタン」などちょいうしゃらくさい形容もされた。
学生たちは「もしかして、本当に、世の中が変わるかもしれない」と勘違いするところもあった。
新宿の小競り合いでもお茶の水でも、学生たちの投石用の砕いた敷石をせっせと前線へ運ぶ女子学生がいた。
赤いキャデラックのスポーツ車もあったという。
誰いうともなく「キャデラック・ローザ(ルクセンブルグ)」。

それがユースホステルの彼女だったか否かは、何の確証もない。

写真:記事と無関係(開花亭・静岡興津)







年に一度の狂騒
時はクリスマスから暮れ。
車の中でラジオをかけっぱなしにしていると、この時季、大きなお世話にも、遊びに行くんだろう、デートか、プレゼントは何、といった話題が多い。
それにお決まりのクリスマスソング。

聞き流しながら思い出したのは、大学時代のこの季節。
金もなかったし、ロマンチックなことなど何もなかった。
私は、たいてい、何処かのユースホステルでボランティアの飯炊きやヘルパーをしていた。
長ければ数週間も。

ユースホステルは、今はどうなっているのか知らないが、通常、禁酒・禁煙、男女別だった。
私が常連のヘルパーをしていた山麓のユースホステルでは、年一回クリスマスの晩のみ、飲酒を解禁した。
炊事、洗濯、飯炊き、掃除、夜のミーティングに明け暮れるボランティア・ヘルパーをオーナーがねぎらってくれたのだ。
酒と牛肉をしこたま仕入れて来て、その晩宿泊した客(ホステラー)も一緒に、年に一度の大騒ぎやった。
呑んで歌って踊って笑って泣いて……たわいのないものだったが、青春の疾風怒涛の一端を繰り広げた。

近くに散策コースの滝があった。
皆が止めるのも聞かず、何人かが滝を登り始めた。
こけつまろびつ、氷結した滝の周辺で遊んで泥だらけでユースホステルに戻った。
館内のあちこちに酔いつぶれた若者がいた。

翌朝、起きるのが遅れたら、オーナーの母親であるおばあさんが、せっせと朝食を用意してくれていた。

あちらこちらの宿でこんなことばかりしていて、大学の前半期、私には大学に行く暇がなかった。
 







一期一会
いくらなんでも、もう、年賀状を仕上げねばならない。

このところ「喪中欠礼」の葉書が多い。
ここ何年か両親の年賀状処理も請け負っているから、90歳前後の両親の知人の不幸が多いのはやむを得ないことかもしれないとは思う。
いつ自家が挨拶状を出さないとも限らない。

若い、働き盛りの教え子など、あるいはその連れ合いのなど、子どもさん方の心情など思うと、とても胸が痛む。
欠落感のような、力の抜ける感じがする。
正月早々にクラス会の連絡があったが、殆ど毎回出席(年によっては息子連れで)のメンバーが、一人減ってしまった。

遠くない先に消息があった人の、暮れ迫ってからの不幸は衝撃的だ。
若い時から山登りの先陣を切って元気のいい人だったが、消息の内容も体調不良をかこつ内容で淋しげなものだった。
あの人でさえ古稀で逝ってしまうのだという嘆きである。

時日がたってから、知らなかった友人の死の事実を奥さんや家族から知らされるのは、一番こたえる。
「7月」とある。
見れば住所も変わっている。
悔みの挨拶をどうしようか、どうしようかととつ追いつするうちに、どんどん時日は経ってしまう。
いざという時に、近県へでもどこへでもすっ飛んで行けない自分の健康状態が、とても歯がゆいし、情けない思いをする。
心をこめた便りでも書くしか方法はないだろう。
今春の年賀状を繰っていたら、税理事務所運営に張り切っている旨、「互いに健康に留意しよう」との葉書が出てきて、それから7カ月かと思うと、ますます無常の感を深くする。

何回か三途の川を渡りかけたわが身も、いずれは遅れ先立つ身の上とは思いながら、「一期一会」のご縁は大切にせねばならぬ、と痛感する。
なんとかミクスなんていうゴミみたいな掛け声に、うろうろする時じゃないのだ。







2013/12/10 15:15:34|MY FAVORITE THINGS
デジタルカメラ、画像
デジカメを見失って、焦って、買い換えた。
雑誌編集やブログのために画像は欠かせないからだ。

ふと、デジタルカメラによって画像の色調は変わるのだろうか、と不意に考えた。
レンズが違い、画像のデジタル化ソフトが変われば色調も変わるはずだ。
が、昔のフィルムのコダック、フジ、さくらほどの違いはあるのだろうか?
同じ対象を違ったデジタルカメラで撮り比べてみれば分かるだろうが、それをしている時間もない。

フィルムの場合、フィルムパッケージの色調に強いなどと言った。
となるとコダックは赤橙黄系統。
フジは青緑系統。
さくらは赤ピンクか?

フィルムカメラの場合、やはりレンズ構成によって、色調に限らず、画像が大きく変わってきた。
フジペットから始まって、オリンパスペン、オリンパスシリーズ……と殆ど十台以上のオリンパスのカメラでフィルムを消費してきた。
出始めの頃、デジカメなんていやだし、写真ではないなどと思っていた。
が、画像のデジタルデータの圧倒的な需要に負けて、フィルムカメラの出番は減り、ギャゼットの中に眠っていることも多くなった。
今や、冬眠のようなものだ。
最初は残念だし、かわいそうだと思ったが、だんだんその気持ちも薄れた。

コンパクトだったらデジカメは安く買い替えられるから、ニコンだの、SONYだの、FUJIだの、やはりオリンパスだのと浮気しまくった。
これという機種に執着がなかったとも言える。
じゃんじゃん撮った画像にもさして未練はなかった。

フィルムカメラからデジタルカメラへの過渡期(あるいは併行期)には、フィルムのデジタルデータ化が大変だった。
さもなければ撮った写真も、フィルムカメラと同様「冬眠」して使い道がなくなっただろうから。
毎年のように海外旅行をし始めたころが、過渡期にあたったから、しばらくして、余計に厄介だった。

今は「撮る」ツールはほぼ戦闘終結した。
同じ機能がカメラとして使われるか、携帯電話付きスマホとされるかくらいの違いだろう。
けれども、撮れたものの見方は、まだまだ多様化してゆくだろう。
いちいちそれに付き合っていたら、経済的にもかなわないので、私のデジタル写真の撮影、鑑賞、活用は、現在の方式のままで行きたいと思う。
可能な限り。

写真:ホテル花月(松本)の喫茶室