新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2014/11/29 9:53:49|ちょっと昔のこと
行政職でなくてよかった
行政職にしばらくいたことがあって、「ああ、自分は教職としての採用でよかったなあ」と思うことが度々あった。
そう思った理由の一つは、教職には議会対応と予算対応という仕事がなかったからである。
教職にある者の弱点は、実のところこの二点から来るのだが、当時の私はこれらのことがどうにも世俗的で詰らぬ仕事に見えた。

新年度の予算について、自分より年若の財政課の担当と何十ぺん話をする。
こちらは行政担当二人と学芸担当の私である。
行政の担当は、「どうにかなりませんか、お願いしますよ」といった「泣き落とし」型と、「知事が小野家ーし散る仕事なんだから、通してくれ。通してくれないのなら知事部局にそう言ってくれ」という「脅迫」型である。
刑事の取り調べのようだ。
裏付けのデータ・補足説明が必要な場合には私におはちが巡ってくる。
腹の中では「勝手にこんな職場に配置しておいて、要望出せばストップだなんてとんでもない」
という気持ちである。
あるいは、「知事は、俺は了解だが、行政の組織だから下から挙げて行ってくれ」なんて、そんなことで通りっこないのに」とも。
向こうは、文化学術行政には予算はビタ一文増やしたくないのだから。

若い財政担当というのは、さすがに頭脳明晰で、こちらがやや根拠が甘い、データ不足だと思っているようなところは、悉く見破られて、「ここんところはどうなっているんでしょう」と攻めて来る。
担当は財政課の上司・班長のところへ行って、また、「?」という箇所をいくつも持って戻ってくる。
これらの指摘もなかなか厄介である。

担当がおおよそ了解をし、気のせいかもしれないが、こちらの仕事にも多少共感的になってきた。
そうなると、今度は班長とのやり取りである。
たいてい片付いていると思えた話が、ここでは最初からやりなおしだ。
細かいところも大きなところも、班長が気付いたところを好き勝手に攻めて来る。

たとえば、与謝野晶子の『みだれ髪』の売値は百万だと言うのは、何に由来する。
市場価格でしかない、と数冊の目録を見せるほかない。
その『みだれ髪』と山梨ゆかりの小尾十三の『雑巾先生』も同じく百万だと言うのは?
「これは満州の文英春秋が出したもので、国内に所在が確認されれいるのは3冊です」

「大体こういうものがなぜ必要なのだ」
「知事が諮問委員会をつくって、そこでの答申にこれこれの機能、所蔵資料が必要だと指摘されているからです」
班長は言う。
「井伏鱒二のものをもう少し集めたらどうか、それなら俺も大賛成だ」
「なぜです」
「俺は渓流釣りが好きだからだ」
と。

こういうことをやりながら、予算の付きそうなものはつきそうになって、しかし、5月、9月、12月と議会を送られ、新年度に改めてということも十分あり得る。
県のトップの体制が変わったりすれば、改めてやり直しもありうる。







2014/11/23 14:52:02|アート
榎並和春個展
榎並和春個展−あるがままに−を見せてもらってきた。
いつものごとく、穏やかで思索的な画風が好もしかった。

楽師や紳士、女たち等々描かれた人物を村落の広場や町の巷などで群れで見かけたいなどと、一瞬夢想した。
これは文学的なというか、なんというか、氏の作品に叙事的な物語を求めていたのかもしれない。
褒められた見方ではない。

会場では過去の個展のDMを置き、希望者にわかっていた。
これはまことにありがたい作業で、自分の関心で、氏のミニアルバムがこしらえられる。
私も5枚選んだが、もっと何組も分けてもらえばよかったと後悔した。

それにしても、自分が、最近、自作を「どうだっ!」と発表してやろうとか、旧作を本のかたちにどうしてもまとめたいとかの執着が薄い。
ましてや文章文によって賞金や稿料をせしめたいなどとも、つゆ思わない。
金も名もあまりほしくはないのだ。
これは悟りなのか、さぼりなのか?
おそらくは後者だろう。
「最近、新聞などでもお見かけしないですね」などと言われても、
「やむを得ない」とは思うが、「しまった」とか「困った」とは思わない。
まえほど「恥ずかしい」とも思えない。
これこそ「困った」症状である。







2014/11/08 10:45:44|ちょっと昔のこと
どこへ行ったか、漬けもの都市
立冬も過ぎた。
冬支度の様子もずいぶん変わってきた。

子供のころ、この季節は漬物用の白菜や大根、地菜が縁側はもとより、塀の上から軒先、道端まであふれていた。
行き交うオート三輪やカブなんかにも満載されていた。
晩秋の日を浴びたこれらは、やがて昔ながらの木桶に漬けられ、重石を載せられて物置の隅に置かれた。
朝など、言いつけられれば、変なにおいのする物置に行って、薄氷をパリンと割っては漬けものを掴みだして、ぼたぼたさせながら台所へ運ぶ。
酸っぱくなってくれば油いためにしたり、チリメンボシとあえたりして食べた。

甲府城下のこの冬支度の光景は昔から有名だったようで、江戸の「裏見寒話」にも、明治の「甲斐の落葉」にもある。

いまやこの光景はほとんどない。
白菜や大根はどこへ行ってしまったのか。
みんな漬けものは食べなくなったのか?
その割には山梨の塩分摂取は日本一で健康上問題だと報じられている。

かつてはお隣の長野がそうだったが、大変な努力で模範的な摂取量になったようだ。
「信州の連中はこたつで漬けものをつまみながら、だっちもねえ議論をえんえんとする」
なんて笑えなくなってしまった。

漬けものはむやみに好きだ。
取り寄せても食べたい。
塩分は控えたいが、風物詩だった光景は残したい。
残っている頃なら食生活改善も、かえって進むのではないかと思ったりする。
風物詩と共にあったひとの生活感情も失いたくない。

近郊で作った大根や白菜を干して、漬ける。
町場も近郊も生活のバランスがとれていた。
こういう暮らしぶりが面倒臭くなっていなければいいが。

ファミレスはもとより、ショッピングモールが全盛だ。
街中に人はいない。

この面倒がりがこの土地も政治も経済もを荒廃させているように思う。







自業自得で忙しく
昔から切羽詰まらないと四つになって相撲は取れないという悪い癖である。
常に念頭にあって、「考えてはいるのだ」などとロシアの小説の人物のようなことを言いつつ。

実際、色々なことが切羽詰まって来た。
高校生の作品の講評、某校の入学者選抜問題作成、「猫町文庫」5集の編集窓等、合い間に大学の講義に出かけている。
お返事を差し上げなければならない手紙も、順次たまってゆく。
とても失礼な話である。

体調のせいにばかりできない。
本を読んでばっかりいたり、紅葉のグラデーションを眺めていたりも、少し我慢して、一つずつ片づけなければと怠惰な自分に鞭を入れるSMバー。







2014/10/04 14:05:20|本・読書・図書館
金水敏編「〈役割語〉小辞典」をいただく
大阪大学大学院で特任研究員をしている若い友人から、また、また、興味深い本をいただいた。
本をいただいたことはもちろん、勉強を継続していることもうれしい。

6人の共著。

彼女は阪神淡路大震災の春に、親の心配をよそに神戸大に入り、長田区で焼け残ったアパートから4年間大学に通った。
その後、大阪大学の大学院を修了して、今に至る。

〈役割語〉とは、特定の人物像と密接に結びついて特徴的な言葉遣いのこと。

○そうじゃ、わしが知っておるんじゃ
○あら、そうよ、わたくしが知っておりますわ
○さよう、拙者が存じておる
○そうだよ、僕が知っているよ
○んだ、おら知ってるだ

それぞれどんな人物の台詞か?

彼女の担当したのは「あたい」「あたし」「あります」「おお」ほか

楽しみに読ませてもらう。
今後に期待をしている。

研究社2000円 ISBN978-4-7674-9113-4