行政職にしばらくいたことがあって、「ああ、自分は教職としての採用でよかったなあ」と思うことが度々あった。 そう思った理由の一つは、教職には議会対応と予算対応という仕事がなかったからである。 教職にある者の弱点は、実のところこの二点から来るのだが、当時の私はこれらのことがどうにも世俗的で詰らぬ仕事に見えた。
新年度の予算について、自分より年若の財政課の担当と何十ぺん話をする。 こちらは行政担当二人と学芸担当の私である。 行政の担当は、「どうにかなりませんか、お願いしますよ」といった「泣き落とし」型と、「知事が小野家ーし散る仕事なんだから、通してくれ。通してくれないのなら知事部局にそう言ってくれ」という「脅迫」型である。 刑事の取り調べのようだ。 裏付けのデータ・補足説明が必要な場合には私におはちが巡ってくる。 腹の中では「勝手にこんな職場に配置しておいて、要望出せばストップだなんてとんでもない」 という気持ちである。 あるいは、「知事は、俺は了解だが、行政の組織だから下から挙げて行ってくれ」なんて、そんなことで通りっこないのに」とも。 向こうは、文化学術行政には予算はビタ一文増やしたくないのだから。
若い財政担当というのは、さすがに頭脳明晰で、こちらがやや根拠が甘い、データ不足だと思っているようなところは、悉く見破られて、「ここんところはどうなっているんでしょう」と攻めて来る。 担当は財政課の上司・班長のところへ行って、また、「?」という箇所をいくつも持って戻ってくる。 これらの指摘もなかなか厄介である。
担当がおおよそ了解をし、気のせいかもしれないが、こちらの仕事にも多少共感的になってきた。 そうなると、今度は班長とのやり取りである。 たいてい片付いていると思えた話が、ここでは最初からやりなおしだ。 細かいところも大きなところも、班長が気付いたところを好き勝手に攻めて来る。
たとえば、与謝野晶子の『みだれ髪』の売値は百万だと言うのは、何に由来する。 市場価格でしかない、と数冊の目録を見せるほかない。 その『みだれ髪』と山梨ゆかりの小尾十三の『雑巾先生』も同じく百万だと言うのは? 「これは満州の文英春秋が出したもので、国内に所在が確認されれいるのは3冊です」
「大体こういうものがなぜ必要なのだ」 「知事が諮問委員会をつくって、そこでの答申にこれこれの機能、所蔵資料が必要だと指摘されているからです」 班長は言う。 「井伏鱒二のものをもう少し集めたらどうか、それなら俺も大賛成だ」 「なぜです」 「俺は渓流釣りが好きだからだ」 と。
こういうことをやりながら、予算の付きそうなものはつきそうになって、しかし、5月、9月、12月と議会を送られ、新年度に改めてということも十分あり得る。 県のトップの体制が変わったりすれば、改めてやり直しもありうる。 |