新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2014/09/04 9:25:29|甲府
人集め?地域振興?
地域の人が減ってゆく。
おそかりしながらも、何とか対策を、というので県に対策検討委員会のようなものができた。
まあ、トップが退陣を表明している中で、どれだけ本気でやるかは、疑問である。
報道発表したのだから、やらなくてはならないし、やり過ぎれば、次のトップの考えと齟齬するかも知れない。
下手をすれば、仕事が替えられるかもしれない。
くわばらくわばら。
俗に「飛ばされる」というけれどね。

思い付くことが、何と言っても「遅かりし由良之助」なのである。
それと相変わらずのトップと行政のアイデアのなさ。
広報不足と下手さ加減。
それにごますりブレーンども。
管理職になる年齢になった若い友人達も、さぞ頭を悩ましていることだろう。
残り数年だからなんとかサバイバルしてほしい。

県が市のレベルになっても、同様な欠陥は変わらない。
若い人を中心に一部の思いこんだ人達と、「地元企業」とがアートだ、グルメだ、ビールだ、よさこいだと囃すけれども、本当の意味で「地域」への人集め、活性化になんかなっていない。
路地を一つ離れると何事も起こってはいない空気だ。
前者は飽きっぽいし、後者はリスクを取らない。

甲府駅北口のよっちゃばれ広場と称する一画も、イベントは単発で、甲府の町なかへの浸透力もない。
ただ「よっちゃばって」いるばかりだ。
にぎわっていたとしても数千人もいなかろう。
甲府市全域、県全体からすれば、何もおこなわれていないのと変わらない。
担当が僅かな「日銭」を稼ぎ、くたびれて終わる。
その繰り返し。

北口の新聞社のショップ、レストラン、甲州夢小路、県の防災新館の1階。
いずれも網の目の一点であることを意識してはいない。
そこだけだ。
そして、人の入りも淋しいものだ。

ま、色々言ううちにどこやらの文芸誌のようになってきてしまったが。







2014/08/26 11:49:42|その他
吉田調書の公開に
福島原発の吉田所長(故人)の聴き取りが公開されるという。
ただし、個人や国家の安全保障にかかわる部分は墨塗りだという。
事故直後、メルトダウンも始まり、吉田氏は署員に「待機」を命じたが、9割の所員は帰宅を急いでいた。
残りは遺書をしたためていた。
当然の反応だろう。
こういう生々しい箇所も墨塗りなのだろうか。

国も企業も平気でうそをつき、隠ぺいする。
報道を見聞きしても、「どこまで本当だか」「どんな裏があるんだか」と思ってしまう。
日本はこんなに恥知らずな国になってしまったか。

すべてが公開されなければならない。
そして、この狭い島にこれだけの原発があって、再び稼働させようとしていることの誤りを認識しなければならない。
他国に原発システムを売って、企業に金もうけをさせようという破廉恥な行為はやめなければならない。
自分の頭の上のハエもおえないのだから。
原発システムに寄せている関心の在りどころも知れたもんじゃない。

福島さえ廃炉にすれば、あとはなんとでもなると考えているんなら、国民を馬鹿にしすぎている。
事態を理解できないのか、理解しても原子力政策を強行しようとするのは、愚かとしかいいようがない。
中継画面の中で起こった爆発の瞬間を、一人ひとりはどんな思いで受け止めたか。

二十歳前後の時、「この国の国籍なんてなくてもいい。汚辱だ」と思っていた時期があって、周囲から「それはいいが、国民として守られることもないよ」と言われたが、「守ってくれる」なんて、やっぱりあやしいものだ。
人質に取られているようなものだとさえ思う。







2014/08/23 13:47:00|甲府
甲南劇場
街中に映画館が残っているとうれしい。
先日も松本の町角に「上土劇場」というのを発見した。
ただし、シャッターが閉じられ、特定の上映会方式を取っているようにも見えた。
それでも、「シネマ」とか「劇場」の文字を見ると懐かしい。

甲府は町の規模の割には映画館が多く残っていたようだ。
けれども、それも、ここ10年で殆ど姿を消してしまった。
郊外の大型のモール店に集中したシネマモールにはとてもかなわないようだ。
ここでは「アナ雪」だとか、銭湯映画「テルマエ・ロマエ」なんかは、朝から行列して、午後の席をとれるかどうかだ。
とはいえ、こんなことが年中あるわけではない。

写真の映画館は自分たちが子どものころから、多少のいかがわしさを持って囁かれ、今も、どうにか健在である。
成人映画専門なのも一貫している。
石和A館とはそこが違っている。
自分が入場したのは、はるか大昔の暮だと思う。

写真を撮っていたのは開場まじかの時刻だったが、停めた何台かの車の中にかなりの高齢者が坐っていた。
各種映画は、これからこの層の需要もあるのかもしれない。







2014/08/17 14:24:48|その他
一つ一つNOと言っていかなければ
この国には、何に付け、ブレーキがないと見える。
ある時はある政党に雪崩をうち、少し無策だと見れば、次の時には、ゼロ評価に近い評価で永年の政権にびっくりするほどの勢いで戻ってゆく。
若年層もこれに追随するからびっくりしてしまう。

結果、今起こっているようなことどもが、今起こっているようなスピードと規模で生起してゆく。
「敗戦」を「終戦」と置き換えて呑み込んだように、「武力行使権」「攻撃権」は「自衛権」だ、それも「集団の」と置き換える。
靖国も、歴史問題も、憲法の読み替えも、原発の再稼働も技術輸出も、農業から公共事業に至る一切の外注化も、国民が自分の財布だけを気にしているうちに、どんどん推し進められてしまう。

 ますらをのかなしきいのちつみかさねつみかさねまもるやまとしまねを(三井甲之)

靖国神社遊就館の入り口に掛けられた唄である。
彼は日本と明治天皇と詩が好きで、自分の郷里を村長の時に「敷島」と地名改正をしてしまった。
旧制甲府中学の校歌「我等は日本に生れたり」は三井の作詞。
「天地の正機……」と謳う日川高校(旧制中学以来)は三井の親友で「馬酔木」の歌人・大須賀乙字。

テレビで、方や硫黄島の戦闘をやり、かたやペリリュ島だ。
いずれも「皇軍」が最後まで奮闘したところをドラマ化している。
前者は家族と兵士との絆を強調し、後者は無駄死にをさせないことにテーマを引き寄せた。
どちらもおぞましい。
優秀な日本の軍幹部は、過日の研究所の副所長のように、頭は良くても心は弱かったのではないかなどと思わず思ってしまう。
日本の参謀部が理研だとは言わないが。
ブレーキの効かないまま、玉砕、焼け野が原に突入していった。
あれだけ優秀な人材がいても、今も昔も常に大きな「流れ」には逆らえない。

戦争を経験した80、90の人達は「何故あんなことをしたのか?」?と夢見心地である。

ブレーキかける時はかけなくちゃ。
来年は日本中で市町村、都道府県の首長の地方選だ。
ひとつひとつ住民の意思をきちんと発揮して、とめて行く所から始めなければならない。
本丸が、その前に、自滅してくれればいいが、その前に国の経済が自滅しそうだ。
それでもこのままじゃ国民が自滅しそうだ。
自滅しても次の凡人や変人、軍人が出て来るだろうし。







新盆
二月の大雪からはや半年、市内のあちこちの家が足場に囲まれ、屋根や軒の修繕にいとまがない。
ようやく個人宅へ職人も回るようになったのかもしれない。

亡父の新盆を迎えた。
御近所知人の多くがお参りしてくれる。
皆、「あの大雪の中の葬儀は忘れられない」と言う。

神道でも盆は盆でいいそうで、迎え火、精霊棚、胡瓜の馬に茄子の牛それに岐阜提灯もそのままだ
亡くなったときから話はあったのだが、過日、従五位を授かり、受け取りに行ってきた。
かねてから、この制度とは何だろうと思っていたが、家族のこととなるとまんざらでもない。
「五位は受領の官位か」などと惚けつつ、父が41年現職を務めた証明だと思えば、素直に喜びたい。

今は、必ずや孫曾孫の守り神になってくれることと心強く思う。