新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2014/08/09 13:20:05|山梨
治山治水
野生のシカ、サルがずいぶん目につく。
写真は明野の広域農道から一本村中に入った道だ。
大人一匹、子ども二匹が畑のトマトの棚に跨って、食べ放題。
道理でサルはまるまる肥えている。
写真の周辺には10匹以上がたむろし、車を小馬鹿にするように、のんびりと逃げてゆく。
野生のサルには時々あるが、傍若無人とはこのことだ。
今日は、飽食したのだろう。
これじゃ、たとえ家庭用の野菜、果樹畑も成り立たない。
電気柵を巡らせている畑もあるが、きりがないだろう。

シカも多い。
北杜市で道路を渡ろうとしているシカが二匹ほどいるから車を止めたら、後から後から一ダース以上も道を渡っていったので、あっけにとられた。
2月の大雪の時にも、シカは県内で百二十何頭死に、その匂いにつられて熊が出没しているという情報があった。
猟友会が林道でシカの「間引き」をやっているのを見たこともある。
シカ刺しもシカカレーもそうそう食べられるものではない。
彼らは山の植生を食い荒らしたり、高山植物のお花畑を絶滅させたりする。

武田の時代か、時間をさかのぼって、治山治水の基本に立ち返る首長はいないものか?
大雪の時のダメージ、交通遮断のことも、すぐに忘れられてしまう。
 







2014/08/07 11:51:03|文学
エッセイを書き続けるということ
某誌のエッセイ賞の最終選考会をした。
全国から応募数は500編近い。
我々の最終選考で読む数は、今回は80編余り。
10年近くやってきた。
今回、ずば抜けた作品はなかったが、どの作品も面白かった。

10年読んでいるうちに気付いたこともある。
書けば書くほど駄目になるということもある、ということだ。
入選結果を見ても段々にランクが落ちて、やがては選外ということもある。
これはなぜだろう。

題材に頼っているからだと思う。
辛い経験、珍奇な体験、インパクトのある見聞……これは誰も動かす。
多少の表現の欠陥をすっ飛ばして入選することもありうる。
ことに某誌のようにテーマ性を喜ぶ傾向のある雑誌ではそれが顕著である。

ただし同じ題材ばかり描き続けるわけにはいかなくなる。
書く方も取り組みに力が入らないし、読むほうの関心も殺ぐ。
こうなると、日常性の観察の徹底や描写の緻密さ、表現の的確さが勝負の分かれ目になる。

地元のエッセイ賞などでも同じような傾向がある。
一通り書き手が登場してしまうと、そして、一通り自分の体験を書き終えると、スカスカになってしまう。
懸命に入選作を探し、いいところをせっせと見つけようとする。

この国のエッセイ−随筆の伝統は、「こと」に頼ってこなかった。
「こと」を重視したのは「記」であり、たいていは宮中などのなんでもない「こと」の「記」である。
これは、後世の学者の外の読み手を予定しないから、淡々と、だらだらとつづっても一向に差し支えない。
「こと」の受け取り手を意識して話術を尊重したのは「語り」である。

日本の随筆は、「眼」と「ことば」を重視する。
両者の間には、当然「受信機」たる「感覚」がある。
このような随筆はいくらでもかけたし、それぞれを研ぎ澄ます修練の必要は無限に続く。

晩秋にエッセイ講座があって、水木氏と担当する。
どんな人が聴講に来るのか、まだ、分からない。
が、私は初心にかえって近代以降の名随筆の名随筆たるところを見てもらおうと思う。
今のところ予定しているのは、寺田寅彦、森田たま、岩本素白、武田百合子等だが、多少入れ替わるかもしれない。

写真:選考風景、左から五十嵐勉、三神弘、水木亮、都築隆広。







情報産業としてのベネッセ
ビジネスニュースで、出版業から情報関係の業態に転身して成功した数少ない例がベネッセだと言っているのを聞いて首をかしげた。

ベネッセといえば福武書店。
福武哲郎氏を中心とする岡山の学生が、出版事業を始めたくて、とりあえず塾のような通信添削事業を始めた。
これが当たって、T大学学力増進会とか大学受験模擬試験業界に発展した。
一時は一回の模擬試験で50万人以上が受けるという事態になった。
各学校でも年間数千万円の受験料・データ処理料を払うことになった。
三社懇談の資料どころか大学受験の受験校決定には、ここのデータは、今やなくてはならないものになっている。

一方、ベネッセは、赤ちゃんからシニアまでの「生涯学習プログラム」を提供している。
博物館など社会教育事業にも強い関心を示している。

福武書店は、一時、「文芸」色を濃くした。
福武文庫や雑誌「海」の創刊などが象徴している。
文庫は特色があって、ここでしか読めない作品なども収められていた。
だが、御多分にもれず、出版事業はベネッセの経営を圧迫し始めた。
儲からない出版事業なかんずく「文芸」色は薄まることになった。
福武書店−ベネッセにもはや「初志」はないのである。
大きく様変わりしてしまったのである。

そして、ベネッセは相変わらず、高校生、受験生の膨大な成績データを集め、それにも続く大学の難易データを蓄積している。
ベネッセは昔も今も情報で儲ける仕事である。

そのベネッセから大量の個人データが流れたと言う。
「売られた」のだ。
ベネッセ自身は、これは内部の問題ではなく、委託業者の問題だ、としている。
会社内部で処理しきれない、ないしはコストがかかってしまうから情報処理を外部委託する。
このこと自体問題だろう。
できないなら事業拡大すべきではない。
あるいは分社とすべきだ。
新CEOの原田氏は火中のクリを拾ったものだが、事態が分からない人ではないはずだ。
ますます十台になってゆくこのような産業形態の責任も、落とし前の付け方も分かっているだろう。

相変わらず就職希望の高い企業ではある。







夏のビール

暑くなってくると、琥珀色に白いきめ細かい泡の載ったビールというか、発泡酒はたまた第三のビールのような、グイグイと喉で飲む酒のCMが増えてくる。
まことに美味そうだ。
生やロックで飲むウイスキーにくらべて、私は、元来ビールなどはあまり好きではなかった。
弱く、一時しのぎの飲み物という感じしかしなかった。

が、現在のように常に水分制限のかかっている身になってみると、シュワーッ、ゴクリゴクリは何とも羨ましい。

腎不全に心不全というこの病気にかかって、諦めのついたこともあるが、グラスに露がつき、鼻の下に泡をつけて飲むビールは、羨ましいものの最たるものかもしれぬ。
若いころ、グロールシュとかいうベルギービールを美味いと思った時期があるが、他に特に凝った銘柄があるわけでもないから、目覚ましい回想もできないのが残念でもある。
酒の飲み始め頃は、ビールは「高い飲み物」という印象があった。
飲みたがると、先輩に「生意気だ」と言われるから、自分から積極的にしなかった。


セビリア(スペイン)の杭州酒家という食堂で、久しぶりに漢字を見、東洋娘のさっぱりした顔に逢って、なぜかとても安堵してビールをたらふく飲んだ。
そして、98メートルという大聖堂のヒラルダの塔へ上った。
騎乗のままてっぺんまで行けるようにこしらえたそうで、足元は滑り止めの瓦のようなものが細かく埋めてあった。
表は40度を超すようなアンダルシアの炎天。
息は切れるし、シャワーを浴びたような大汗をかいた。
そうして、悪魔のこしらえた鐘楼にいたる頃までに、死ぬほどのどが乾いた

さっきまで紀行の苛烈な甲府盆地の生まれ育ちだから、こんな苛烈な空気の下をはいずりまわることもできると思ったが、体力を消耗すること甚だしい。
そうして、やがてバルかタベルナなんぞを見出せば、また、きんきんに冷えたビールということになる。
まことに悪循環だ。







2014/07/10 11:47:05|その他
エアコンの不調
庭の仕事小屋、まあプレハブだけれど、エアコンの調子が悪い。
クーラーも暖房も効きやしない。
以前にもそんなことがあって、近所の電器屋に取り替えをしてもらったのだが、すぐに駄目だった。
その時、「今ついていているのも、壊れてはいないんですがね」ということだった。
なら、どうしろというのか。

少なくても3カ月という時間を無駄にして、この小屋に寄りつかないというのも困る。
「猫町文庫」第五集の編集にも差し支える。
いただいたメールにも失礼をしがちになってしまう。

それも困るので、あの独裁者のように声の甲高い社長のところへ頼んだ。
下取りありの、低価格の通信販売だ。
近所の知り合いであろうが、郊外の大型店であろうが、通販だろうが、今は購入に、変わりはない。
修理というのは無効だからだ。
「買い換えたほうが」とくるにきまっている。
とは言え、また、機器の不調ということのないのを祈りたい。