新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2014/04/20 13:07:01|甲府
御嶽名物
昇仙峡のかたわら。
廃旅館の戸袋に塗りこまれた「名物」の名。
「桜あまざけ」
「文化清涼飲料」とある。
そういえば、甘酒は現代の印象のように寒い季節のものではなく、夏のスタミナ飲料だったとか。
ちょっと呑んでみたい気もする。
麹室もあったのかとか、様々に連想する。
円実屋は今も、名勝仙峨滝上でそばやヤマメなどを観光客に商っている。
旅館、甘酒は惜しいことに廃業か?
 







年度の始まり
新年度が始まった大学では、キャンパスも教務部も学生であふれている。
この時季、駐車場もマンタンである。
お仕着せだけでなく、関心の湧くこと、やりたいことを精いっぱいやってほしい。
最終的には、そのことが中心で「飯のタネ」になってゆくのだから。

今年は前期15回、後期15回の講座である。
体力的に不安だが、教壇に立ってこの講座の意味なんかを話していると、今年もやってよかった、と思える。
それにしても、できるのも、もうしばらくだな。

自宅に帰れば、目の前の高校から、応援練習という伝統行事だろう、太鼓とブラスバンド、がなり立てる大声が、風に乗ってやってくる。
これまた、新年度の恒例行事だ。
「どうして、応援練習を三日もやり、夏の高校野球県予選に学年を動員するんですかね。別に野球部つよくないのに」
と時々不満顔の生徒がいる。
「野球部は、ある意味利用されているんだ。応援団も応援団吹奏楽部もね」
「?」
「全校応援は学校が一つになる体験なんだ。野球の球場にでもいかなけりゃ、それは経験できない。一つになろうとすることを含めて慣行だけれどね。」
こういうバーバリズムめいた古来の慣習を大好きな教師、OBもいるとは、ことばをのみこんだ。
「自由気ままに登場した選手を応援してゆく方式もある。応援団が潰されて、一所懸命六大学方式の応援スタイルを取り入れようとした学校もあるが、これはこれで、スタンドの生徒の我がままぶり、傍観者ぶりが目立って、変なものだった、ね」

我が校はこういう伝統がある、こうであらねばならないということのおしつけばかりでもね。







2014/04/08 17:41:00|雑誌「猫町文庫」
猫町文庫編集同人(文芸思潮選考委員)オオイトザクラを見る
五十嵐氏のたっての希望もあり慈雲寺のオオイトザクラの花見。
満開にはもう2、3日というところだが、楚々たる花柄でよかった。
一葉の碑にも対面してもらった。

甲府に戻って甲府駅北口で呑む。
都築氏も合流。
前夜からの信玄公祭りで食い物は売れてしまったようだ。

自分には久々の夜の会で、懐かしかった。
わずかな間でも、みんな少しずつ歳をとってゆく。
 







2014/04/06 10:18:00|その他
父の山入り
父の遺骨を愛宕神社の奥津城に納めた。
「山入り」というらしい。
十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭と進んで、今日は五十日。

大変に足下の悪い中、葬儀式前夜祭、葬儀に徒歩で参加してくださった方々の御厚志にはことばでお礼の言いようもない。
その後も家の方にずいぶん多数お参りに来てくださった。
本当にありがとうございました。

今日は仏教でいう四十九日にあたる。
孫、ひ孫が集まった。

亡くなったのがバレンタインディで、甲府では春を告げる厄地蔵尊の祭礼の日。
その後の気象台の歴史以来というような記録的な大雪。
そして、今日は信玄公祭。
決して忘れることはないだろう時間。

墓域からは甲府北部、すなわち自宅の方が見渡せた。
温かい穏やかな日差しだった。
これから一族は、代々この高台に眠ることになる。
登るのは少ししんどいが、場所的にはいい墓域だ。

その後、まつ川で直礼。
小さな子どもたちも含めた、父にふさわしい和やかな会となった。
 







途上にて・シエラネバダを越えて
時として、途上の印象で色濃いものがある。
人生的な意味も、哲学的な意味もない。
労苦のさなかとかでもない。
旅の一場面・一過程=途上である。

スペインでマドリードから南部のアンダルシアに向かうバスに乗った。
バスはうねうねと曲がるくねった山道を登り、幾度も幾度も岩壁を回った。
そのたびに足元には大理石の崩れた崖と、大昔、氷河が土を削り取った地球の骨組みが覗いた。
シエラネバダ山脈だ。

所々のカーブの岩稜には「歌カンテこそ我が生命」などとペンキで大書してある。
あるいは、「恋いこそ我が生命」などと。
私が祈るのは、バスが崩れた岩の角を曲がる度、踏み外すことのないようにということだった。

崖の崩れを這い上がりバスの傍らまで顔を出すのは、野生のヤギである。
旺盛な繁殖力と生命力とで、かれらは草も水も乏しい大理石の崩れの中で生きている。

マドリードなどではなかなか充実して、おしゃれと見える山道具屋が何軒もあった。
フランスやスイスはともかく、スペインのこういうブランドは殆ど知らなかった。
けれども、グラナダあたりから真夏にも頂の白い3000メートル級のシエラネバダの連嶺を遠望すると、この国にアルピニズムが育たなかったという方が不自然だ、と思った。
ヨーロッパとスペインの境界はピレネー山脈だし。

山襞を抜けると、バスはアンダルシアの中心セビリアへと下ってゆく。
彼方は太陽海岸プエタ・デル・ソルだ。

写真:アルハムブラ宮殿にて