新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
CATEGORY:病を飼いならす

2014/12/27 13:36:04|病を飼いならす
年の瀬に
中央病院に一カ月ごとの定期検診に行く。
心臓科だ。
体調のあちらこちらの不調を唱えても、「心臓のせいではない、透析の不十分だ」
とたいてい言われる。
腎臓科へはふだん行くことがない。

透析生活と言うのは、当たり前だが、健康な人間の生活ではない。
体調の現状維持ができているように見えて、実は全然そうではないこともある。
どこかかしこが悪くなってゆく危険性もある。
これはやむを得ないことなのかもしれない。
代わりに気をつけていて、異常を感じたら、自分から医者にすっ飛んでいかなければならない。
ておくれにならぬためにも。
しかし、病的に異常なのか、よくありうる異常なのかの見分けが難しい。
微妙過ぎて、医者に症状説明もしにくい。

たとえば透析の後、背中の筋肉が硬直して、食事がしづらい。
普段でも汁やスープがないと、物がのどを通って行かない。
先日は消化器科に掛け込んで、このことを訴え、内視鏡検査まで綿密にやって、逆流性とか心配していた食道がんというものではない言われた。
要するに消化器系には問題はないということだ。
症状説明しにくいとはこのことだ。

遅ればせながら、「猫町」第5集のレイアウトをやっている。
国立国会図書館でも、「「猫町文庫」の納品のお忘れではありませんか」まで言ってきてくれる。
きめ細かいサービスが出来るようになったものだ。
アドビのindesignというプロの印刷屋も使っている優秀なソフトを使っている。
優秀は優秀でありがたいが、年一回くらいの使用では、使い方を忘れてしまいそうだ。
ときおりマニュアルに帰ったりしながら、進めている。
若い時に倣ったのと違って、物覚えがだいぶん悪くなっている。

様々なものにカタチをつけていかねばならない。
大学の方も迷惑をかけてはいけないから、今年度いっぱいにするつもりだ。
ますます世間が狭くなってゆくが、しょうがない。
やがては消える身だから。

この病院に「長期滞在」したことを思い出して、長々とお世話になるもんではないな、とひとつぶるっとした。






2014/12/06 16:39:55|病を飼いならす
ある会誌に
今年もある団体から会誌が送られてきた。
自分も属した「職」のOB会のようなものだから、100歳になんなんとする人から、今年の春、退職した人までいる。

短信というのがあって、(私は今書きそこなったが)回収率がまことに高い。
知らない方、名前のみ知っている方、同僚だった方など、色々な方が登場する。
元気な人、病んでいる人、農業をやっている人、地域の役目を果たしている人様々である。
退職後の職を幾つ目かひけらかす人もいれば、「老いることの辛さ、死ぬまで生きねばならぬ厳しさを痛感いたしました」とつれあいが書いている人もいて、まことに辛い。

最後は健康寿命になってくるのかな。
あるいは一病なんとかで行くか。

三十数年勤めた後、いかにみっともなくないように過ごすか、いかにそっと消えていくか、どれほど難しいことか。
「来年も引き続き……」という某学からのメールに、「体調から新年度はご辞退申し上げたいと思っている」と返信をしたところ。
未練はあるけれど、ね。

某コンクールの講評9割仕上がる。
この後、「猫町」5集の編集を急がねばならぬ。
 






2014/05/15 8:58:21|病を飼いならす
社会保障の見直し?
私は身体障害者である。
腎臓の機能がなく、週3回各4時間の人工透析を受けて生命維持をしている。
6年前、心臓のバイパス手術と共に人工透析を導入した時、赤い手帖を交付された。
人口透析は毎月30万円を超える大変な医療費がかかるから、30年近く昔は、田地田畑売りつくせば、あとは医療処置もできず死んでゆくばかりだったという。
今は身体障害者扱い、難病認定をしてくれているからこそ、治療・改善とはいかないが、現状維持くらいしてもらっているのかなと楽観的に感じている。

とは言え、透析施設はみな同じだが、私の通うクリニックも透析を繰り返すだけで、腎臓始め併発する病状の治療は何にもしない(し患者数から行って、できない)。
だから、金曜日まではぴんぴんして透析に来たのに、月曜日にはこの世にはいなかったということも、時々はある。
脳血管や、心臓へ来てしまうケースが多い。

何年か前から、世の中には不穏な空気が流れている。
「社会保障」の合理化というやつだ。
「国民皆保険」制度の見直しというのもそうだ。
はっきり言えば、医療費の自己負担率のアップである。
難病患者の切り捨て策だ。

これが通れば、難病を抱えている病人の何割かは、医療措置の継続が難しく、早晩、この世を去っていかねばならない。
TPPによって医療現場が海外を含めた民間経営にゆだねられてゆくと、医療費における自己責任、「自己負担は顕著になってゆくだろう。

教育、福祉、食……如何なる「聖域」も例外なく「合理化」だ、「自己責任」だといわれると、申し訳ないが、常に後がないような、崖っぷちに立たされているような気がする。






2014/01/02 8:53:54|病を飼いならす
非人の意識
新年のご挨拶を申し上げます。
変わらぬご厚誼をお願いいたします。
世の中をいじろうとする人のいる限り、留めようもなく、ますます厳しい世相になってゆくような予感がしますが、子や孫や親愛する人のためにがんばっていただきたい。

月水金、月水金……と人工透析に頼っている自分は、大晦日も元日もありません。
特別な用事があって変更をしない限り、生きている限り、いつも同じペースです。
今年も元旦から4時間ベッドです。
まあ役立たの、いわば「益なき者」である。

病をしてから、わがままなようだがはっきりと思い決めたのは、「残り時間をなるべく自分のために、したいことのために使おう」ということだった。
世のため人のためにはなんら役に立たぬかもしれない。
社会保障制度などにはむしろ依存しているウエイトの方が高いかも。
その合理化、事業仕分けに怯えているし。

最近、民俗学方面の文献を読んでいて、そこに現れる「非人」とは自分のことだとつくづく思いいたった。
時代的な社会的事象と思っていたことが、振り返ってみたら……。

二度目の危機から3年は経った。
常に、どこからともなく湧いてくる、生きているだけまし、現状維持できればいいやという気持ちを、もはや抑えねばいけない、と自分でも思う。
気が弱くなっているのではないけれど、億劫になってきているのである。
がむしゃらがなくなってきた。
さらに、他人に語りかけることもしたいし、まとめる仕事もしたいし、気になっていることに眼を停めて考えてみたい。
これをしなけりゃ駄目でしょ!

写真:富士川町穂積あたりから 冬至前の候






2013/11/21 9:05:31|病を飼いならす
腰痛辛し
慢性的な腰痛だ、それも週3回の透析患者の宿命だろう、などと思っていたが、今回のはひどかった。
椅子にすわているのはいい。
たとえば車の運転など。
しかし、降りて歩こうとするととてもとても辛い。
腰のちょうつがいがまっすぐ伸びず、まっすぐには立てない。
無理やりやろうとするととても痛い。
動かないでいればどうなるか分からないから、少しは動いて身の回りのことをする。
動くことがいい影響をもたらすか、悪影響になるか分からない。
温めたり、貼り薬を貼ったり、気休めみたいなことを色々やってみる。

出席すべき会合を直前になってひとつ失礼してしまった。
今度のひどい腰痛が支障なくなるまで5日もかかってしまった。
発作というのかどうか、こういう症状がやってきて回復するのに次第に日数がかかるようになっている。
思えば、不安なことは多い。






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