新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2010/11/26 17:17:03|アート
高橋辰雄絵画個展
今度のギャラリーも、元医院だというが、実際、面白い空間だ。
「こうふのまちの芸術祭」でTV報道された時には、多少、おどろおどろしい感がしたものだったが……。
よくぞ、こういう空間を用意する人もいれば、高橋さんのように、見つけてはアニマを吹き込もうという人もいるものだ。

個展は、「Steps by Air drawing自身のためのリメイクシリーズno.10『空気のように』」と銘打たれている、
1975年以降の自己の表現活動を、再展示・再制作で確認しようという試み。

一見、とても明朗で闊達な感じがする。
それは、35年前は若かったからというのではなく、今回の27点がその後の足跡だとすれば、一貫しているイメージだ。
モノクロームの作品や多様な素材を使った作品も、息苦しくもないし、切羽詰まってもいない。

体調も落ち着いているというし、これからも高橋さんは「空気のように」あるいは、意外性のある表現活動を続けるのだろう。

高橋さんの書き物のファンである私としては、着眼点も面白く、文章家でもある氏の文字の仕事の方も、是非振り返って見せていただきたいものと願っている。

2010.11.23-28
atギャラリー・エアリーAIRY
甲府市丸の内2-37-2
090-6152-2786







2010/11/25 10:54:00|山梨
山梨に瞽女(ごぜ)さんのいた頃
今週末に開かれる甲府文芸講座は聴講に値する内容なので、再度、PRしておきたい。

盲目の女門付け芸人に「瞽女(ごぜ)」さんがいる。
越後が有名で、昭和40年代を最後に、本当の瞽女は消滅したといわれる。

山梨は、この瞽女さんの一つの拠点だった感があるようだ。
江戸期の野田成方の『裏見寒話』にも、明治期の山中共古の『甲斐の落葉』にも、甲府にいた瞽女の女親分の記述がある。
瞽女というなりわいは視覚障害のある女児の「子捨て」の意味合いもあったようだ。
山梨は視覚障害者が多かったという記述も見たこともある。

今回の講座は、瞽女の「音楽」から研究に入って、学位もとり、浩瀚な著書もある山梨大学のグローマー教授。
音源も聴かせてもらえるとも聞く。
私自身、是非とも聴かせてもらおうと思っている。

第2回講座
11月27日(土)13:30〜16:00
甲府市立図書館視聴覚ホール
「瞽女(ごぜ)文化と甲府」
講師 ジェラルド グローマー(山梨大学教授)

 瞽女唄の紹介


写真は瞽女を1テーマに制作をしていた故斉藤真一氏の作品







2010/11/25 9:43:47|その他
部活のご縁
みんなで剣道やろうよ!☆☆☆直心是道場」さんと相互リンクさせてもらうことになった。
勤めの傍ら、甲斐市に道場を開き、子どもからシニアまで生涯剣道に尽力している鷹野裕之さんのサイトだ。
彼は、若いながらも、教育とか、練成とか、地域貢献という関心が強く、実行力もあって、私はいつも感心している。
彼とは甲府西高剣道部時代、私が顧問を務めたというご縁による。

私は高校教員時代、1校1種目でやってきた。
今はない峡北高校では山岳部を4年。
甲府西高では剣道部を10年。
甲府第一高では水泳部を8年。
文化系の部では西高、一高を通じて新聞部を18年やった。

私自身は、どれも専門的にやったものはない素人だから、顧問をしている間は、部活の予算獲得や部員の練習、試合出場のための環境整備などを懸命にやった(つもりである)。

そのせいではないが、前記の3種目とも関東大会はもちろん、インタハイまで経験させてもらっている。
たまたまインタハイが地元開催だったりした僥倖もあるが、「3種目制覇」は実に珍しいし、幸せなことだろう。
もちろん、これはすべて、その時の部員の頑張りによる。
彼らによって、関東や全国の強豪を垣間見させてもらうことができ、素人である己の指導力のなさを恥じ、内心、部員たちに詫びたいような気持を抱いたものである。

水泳部は過日記した「松原湖会」にもつながるし、剣道部は今度の「甲斐直心道場」につながる。
さらに言えば、こないだの鏡味仙三さんとのことも、一高の生徒自治会、学園祭からの因縁である。

人のご縁とは不思議なもので、一旦結ばれれば、ほどけたようでもほどけてはいないのだと思う。








2010/11/24 16:31:46|樋口一葉
一葉を考えるためのフレーズ(4) 小学校をやめる
一葉を読んでみて、彼女の短い生涯、その心の有り様を見るとき、どうあっても見過ごしてはいけない、
と私が考えるフレーズを抜き出してみました。

 十二といふとし、学校をやめけるが、そは母君の意見にて、女子にながく学問をさせなんは行々(ゆくゆく)の為よろしからず、針仕事にても学ぱせ、家事の見ならひなどさせんとて成(なり)き。父君はしかるべからず、猶(なお)今しばしと争ひ給へり「塵之中」

文京区東大赤門向かいの法真寺。一葉が裕福な少女時代を過ごした懐かしい「桜木の家」はこの寺のとなり。







2010/11/24 14:10:54|アート
デューラー展を観て

久しぶりに上野の国立西洋美術館へ行く。
JR上野駅から公園に入ると、焼きイカと銀杏の匂いが混じりあって、ものすごい匂いがする。

「アルブレヒト・デューラー版画・素描展」という渋いテーマだから、比較的すいている。
壁面に近づいて、好きな作品たちをゆっくり観ることができた。

それにしても「大受難」などは、イエス・キリストの逸話をもとにした数々の場面だから、
これはどんな場面だっけ、この図像は何の象徴だっけと、
考えながら観ているのだから、かなり疲れる。
しかも「受難」(パッション)をテーマとする版画群は3セットもあったのだから……。

よく分からないテーマもあって、
かつてよく眺めていたのだけれど、
もういっぺん「美術の中のキリスト教」的な本をひっくり返さねば駄目だと思う。

あり得ない自己犠牲とか、労苦とか、信仰の篤さとか、「聖人」という存在に、私はかなり関心がある。
中世に数多くまとめられた聖人伝や「黄金伝説」にも、かなり惹かれるものがある。
彼らの骨とか歯とかに対する「聖遺物」崇敬は、ちょっとぎょっとするけれど。

職人デューラーの腕の確かさにも、改めて感心する。
エッチングならともかく、「木版」の凸版でここまでの線が出せるか、とびっくりした。
一瞬凹版じゃないかと思えるような入り組んだ線跡がある。
木版じゃ、日本の浮世絵版画が最高峰だなどと、簡単には言えないなと痛感する。

印刷術の出始めの頃だ。
宗教改革の頃でもある。
デューラーの作品と出版、出版と宗教改革、また、人々のものの考え方の変化との関係にも関心があった。
電子書籍、オンラインの情報の占める割合が増え、書物が消えていく時代の、
人間のものの考え方はどう変わってゆくのだろうか、と、不安が一瞬頭の中をよぎった。