新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2013/10/26 16:56:00|甲府
ジャズ喫茶「デイトナ」
1960年代の終わりごろ、甲府にデイトナというジャズ喫茶があった。
地元のラジオで久しぶりに旧オーナーの声を聴いて聞いて、当時のことをまざまざと思い出した。
旧桜町のケーキ屋早川ベーカリーの横の、路地とも隙間ともつかぬところを野良猫のようにくぐると、デイトナへ昇り口だった。
公園にあるような、田舎の駅舎のような堅いベンチだった。
総体として、当時「バラック」と言われた建物の印象があった。
が、レコードのコレクションと再生装置の音質は有名だった。

貧乏学生だった私などは、おずおずとこの空間に交じって煙草を練習した。
「水割りください」
「何にする?」
「えーと、ホワイト」
サントリーのホワイトである。
これでも大変な贅沢だ。
普段はレッドしか呑んでいないのだから。
これで2時間ほどを潰す。
リクエストも聞いてくれたが、暗がりのどこかから「チッ」という舌打ちのする排他的な(特権的というか)ムードもあった。
コルトレーンの「至上の愛」をリクエストして舌打ちされるとは、一体どうすればいいのか?
それともお前が、ここでリクエストするな、とでも言いたげだった。
ひたすらジャズ誌「スイングジャーナル」を読んで、分かったような分からぬような観念的な議論を延々としている輩もいた。
たまにはライブもあったが、おそらくチャージが払えなかったのか、自分が聴いた覚えは殆どない。
それとも怯んでいたのか?
元来、狭い店内に客数も限られていたようにも思う。

ラジオで聞いたオーナーの話では、甲府はキャバレー隆盛期で、仕事開けのバンドマンが集って、興が乗れば即興演奏が始まり、夜が明けた、というようなこともあったらしい。
ああ、甲府の佳き時代!!

その後給料取りになって、自分のプレーヤーもささやかなステレオに替り、レコードも一枚、また一枚と買ってゆくようになり、やがてCDになり、あの空気に抵抗するのもますますしんどくなって、自分も足が遠のいた。

デイトナが閉まったこと、いつかアローンという後継の店ができたことも知っていた。
オーナーが一緒なんだか替ったんだかははっきりとは知らなかった。
しかし、饅頭の黒玉の沢田屋本店の横を通る時はいつもいつも気になっていた。
ラジオでオーナーが同一人だったことも知った。

高級どころでムーラン、赤と黒、庶民的なカサブランカ、新しいところで美美(みみ)……隆盛を極めていた甲府裏春日のグランドキャバレーは次々に閉まっていった。
なんとかハワイというような安パブが何箇所か流行るようになって、サラリーマンは安っぽい遊びに流れた。
キャバレー遊びを教わり始めた自分たちも刹那的になっていった。
抱えられて(?)いたバンドマン、ピアニスト、ボーカリスト、ダンサーも何処かへさすらって行ってしまった。

雰囲気があの頃と変わっていなければ怯むし、軽くなっていれば極めて残念だし、久しぶりに覗いてみたくなった。

2013.10.19(先週だが)
【KOFU JAZZ STREET2013】
アローン
 川嶋哲郎(ts) 田窪寛之(p)
 安田幸司(b) 長谷川ガク(ds) 
【桜座】TOKU
【コットンクラブ】ジャネット・サイデルトリオ
【アルフィー】The Garzonians(古谷淳クインテット)







2013/10/24 7:46:33|その他
戒老記1
わろきもの 孤独なる年寄り。

女房の買い物の尻について回り、余計な物を手にしては叱られ、通行の客の邪魔になるはわろし。

いい歳をした女房のみ若きひとのなかで苦労するはいとすさまじ。
亭主の男気ばかりかもろもろの言動も信用できぬはいかんともなし。

暇つぶしに己の道楽に他人を巻き込もうとするはなおわろし。
暇つぶしも上手くゆかず他人のせいにするはわろし。

いにしへ偲びてみずから誇るものもわろし。
何も彼にも物集め(これくしょん)するはわろし。
それを「成果・仕事」と称して、ひとに見せようとするはわろし。
物集めは物集めに過ぎず、思想なし。
調べものに便利ではあるものの、集め人に信頼なくんば拠らず。

老いて人出や人集めを好む。
甚だ迷惑。
大方自ら人集めたることなし。人もよらず。

孤独と実利に耐えず、天下りせしものあり。
こちらに3年あちらに2年、にゅーすなどに緩んだ顔の時々映るも醜くわろし。







2013/10/15 9:10:32|アート
榎並和春個展「どこか遠く」&
榎並和春さんの個展が2件開催される。

○「どこか遠く」10月22日ー27日
 西宮大井手町7−14 ギャラリーSHIMA
 0798-70-7000



○第66回榎並和春個展〜いったりきたり〜

榎並氏ブログより
「表現とは表面的には全く個人的な出来事を吐露しているだけのように見えますが、それだけだがすべてではありません。多くの人の共感を得たいと思うならば、誰にでもある共通の記憶、源泉(オリジン)に触れるような仕事にしたい。
分っていることと出来る事は違います。知ってしまったことを忘れる事は尚難しい。」
11月16日ー24日
山梨県甲府市丸の内2-12-3 ギャラリー・イノセント 
055-222-4402

西宮は無理でも、甲府のは必ず拝見させてもらう。







2013/10/13 12:28:38|アート
ミケランジェロ展
上野の国立西洋美術館で「ミケランジェロ展・天才の軌跡」をやっている。
カーサ・ブオナローテイという子孫の所蔵品だ。
ミケランジェロと縁の深いシスティナ礼拝堂の500年の記念でもあるという。

個人の趣味からはやや遠いし、手稿、手紙、ペン画、エスキスなど品ぞろえがちょっと「研究チック」で渋すぎるけれど、「階段の聖母」のレリーフは本邦初公開だというし、前述の背景もあるし、せっかくだから観覧してきた。

レダの頭部のチョーク習作やクレオパトラ(同)など、500年の時間を超えて壁からそこに浮き出して来たような不思議な印象を受けた。
いいのうまいのというレベルではない。
ありがたく拝見してきた。
観客も何時になく「チケット貰ったから来ました」的な人は多くなかった。
ただしイタリアなら何でもアリ風のお姉さま方も少なからずいるように見受けた。
外国人、年輩客もいる。
総じて「観たいから来た」人が多かったろう。
そうなのだ。
観たくなくても展覧会に来る客が多すぎて、企画展は混むのだ。
新聞やテレビで面白おかしく取り上げるのも考えものだ。

公園の喧騒はいつもどおりで、この一画に多様な施設を密集して設置したことをいつもいぶかしく思う。
明治時代の文化行政ではいいアイデアだったのだろう。
今は……。
行政サイドがどう思おうが、文化芸術と客寄せ、大衆的人気、経済的繁栄とは隔たりのあるものだ。

日本橋で天婦羅を食う。







2013/10/10 12:40:32|本・読書・図書館
ブックマークなど

蔵書印、蔵書票、書皮、ブックマーク……本にまつわるものすべてが慕わしい。
海外旅行に行く人に
「どんな土産がいいか」
と予め聞かれれば、
「できればブックマーク(栞)なんか」
と頼む。
経済的負担も荷物的負担も少なかろうと思う。
相手が美術館も博物館も、まして図書館なんかに立ち寄りそうもない人には、そんなことも言わずにあいまいに笑っている。

こういうものを見ると、書物や読書文化への畏敬の深さとか、尊重心、こだわりなどが感じられるのがいい。

これはエミリー・ブロンテ記念館、ケンブリッジ大学だ。
真ん中のは1805年のワーズーワースの「プレリュード」初版。
立派な装丁だが、出版社の手柄ではない。
出版されるときの装丁は簡素なそっけないものである。
モロッコ皮を使った美しい装丁は、当時の所蔵者の手柄である。
好みの装丁をしたのは、本を読み、収蔵した人自身だからだ。
下写真はそれぞれの裏。