新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
静かな夜
立冬である。
静かに雨も降っている。
眠れない夜の、しんしんと寒さをこらえる季節もほどない。
昔ほど家の窓窓を吹きつけるような激しい木枯らしも吹かなくなって、夜はとても静かである。
我が家あたりのように、車の進入が小型で住民の使用車だけになると、宵を過ぎると静まり返ってしまう。
時折、窓の下の歩道を通りながら奇声を発する若い人もいるが、それもめったにない。
心細い街灯だけが時折点滅している。
裏の大きな通りの車の音も殆ど響かない。
何処かで集団で暴走しているバイクの音が唸りをあげている。
追っかけるパトカーの音も殆どしない。
寒くなれば、根性のないことに、バイクも減ってくる。
たまに救急車のサイレン、鉄路の電車の響き。
この静かな夜を、私はどちらかと言えば好きだ。
そこはかとない幸福感さえ覚える。

昨日から、また、読み始めた吉田健一の訳詞集『葡萄酒の色』の一句一句が胸に沁み込んでくる。
シェクスピアのソネット〈十四行詩)連作は以前から好きだったが、久しぶりに読み返しているが、何ともいい。

来る春に向けて、少しずつ自分の思考や仕事を深めていかねばと思う。
編集している文芸誌「猫町文庫」の経済的基盤の底入れ、しっかりした掲載作品を見つけることもやってゆきたい。
「猫町文庫」は刊行の間の、エッセイ中心の広報誌(パンフレット様の)があってもいいのではないかなどと思いもする。
また、文章、記事集めに一人で悪戦苦闘してしまうだろうか。

冬眠じゃない、雌伏の時だ。
体調を飼いならしながら。







2013/11/05 16:29:35|アート
榎並和春展 絵とお面 いったりきたり
榎並和春さんから個展のご案内をいただいた。
ペルソナと絵の二本立てだ。
神格か、人格か、それとも魔格か……何者かに憑依して、舞い、演じ、戦う。
草原の痩骨の戦士、青き騎士。
画家の戦闘意欲もこのようなものであるかも知れない。
「いったりきたり」という副題も暗示的だ。
ブログを拝見しては、氏の静かな戦いぶりにいつも共感している。
千葉、西宮は残念をした。
これは甲府での開催である。
拝見するのが楽しみである。

榎並和春展
絵とお面
いったりきたり


2013.11.16−11.24 11時ー18時
20日休み
イノセント
〒400−0031 甲府市丸の内2−12−3







2013/11/03 10:52:53|グルメ
恥知らず日本
スーパーの鮮魚の隅にいつしか大量の氷漬けエビが売られるようになった。
目玉商品のように、立派で、安い。
頭つきなんかブイヤベースの出汁取りようにうってつけだった。
でもある時から、この光景を見て、ベトナムやタイのエビの養殖場の光景を思い出して、食欲がわかなくなってしまった。
大根おろしまで使っていくら洗っても、鼠色に水は濁る。
あの泥水思い出すとあんまり気持ちのいいものではない。
足の速い有頭エビも減ってきた。
炒めようが、焼こうが養殖バナメイエビは食べたくなくなった。
身体に悪いものが蓄積しそうだったから。

タイやベトナムで見かけた養魚場とは、元々の湿地帯を資格に土手を作って、岸に小屋が建っている。
たまっている水質環境も管理体制もしごく心配な様である。
トイレさえ養魚場に張り出して作っているのじゃないかという噂さえあった。
そこで育てた殆どが頭をはずして、氷詰めで日本のスーパーの目玉商品として輸出される。
タイはいまは殆どアメリカ向けになったから、日本へは来ていないと思える。
かわりに中国、ミャンマーあたりが多そうだ。
こちらの飼育環境もすさまじそうだ。

スーパーの目玉商品ばかりかと思ったら、一流ホテルチェーン、レストランでもこれを使っているという。
メニューには養殖のバナメイと言わずに。
いや、小ぶりのものは柴海老だとか偽って。
余りにも姑息だわ。
老舗、一流ホテルの飲食が高いのは材料費、技術料、接待マナーの点で仕方のないことだと今までは思わされてきた。
それなりにバリー・オブ・プライズというようなものも感じていたのだ。

しかし、時々不審に思うことがあった。
このホテルはチェーン傘下に入って、ウエディングを主要商品とするようになったらしい。
なにもかもが段違いに悪くなった。
みんなが憧れるような滋賀県の一流どころだ。
前は料金が高くても納得できた。
しかし、接客の態度はもちろん、素材、味、森付けのセンスまですっかり変わってしまった。
何もかもが三流である。
相変わらずのお値段以外は。
ため息が出た。
腹立たしかった。
今でも騙されて高い金払っている客も、日夜居ることだろう。
何人が首かしげていることだろうか?
次第に衰退はするだろうがね。

老舗や有名レストランの駅中、ファッションビル内の支店。
ひどい店がいくつかあった。
本店と同じ支払いをするのが腹立たしかった。
本店のシェフさえニセモノに見えてくる。
これで客をだまし、摘発され、つぶれちゃった老舗もあることはある。
こういう老舗の下部は比較的多い。

一流ホテルチェーンもついにやりだしたか。
いや、ばれ始めたか。
日本の商人道徳も職人根性もついに地に墜ちたな。
客もレベルや舌の堕ちた成りあがりが多く、店の一切の享受もできずに黙ってカードをきっているだけ?

海外の人をやたら歓迎して「お・も・て・な・し」で接するのだという。
ここまで来てしまうと、かなり困難なことじゃないのか?
精神がだめ、素材などに嘘がある、技術も日本に根付かない。
ここでできる「お・も・て・な・し」は、放射能汚染と通り魔、それに添加物と金勘定じゃ、店員教育もさぞや大変だろう。

眼の前で、「これが○○のサイマキエビです。車エビともいいますが」と踊っているのを見ながら天麩羅に仕上げてもらう、昨日から仕込んである新子なんかを眼の前で小さく握ってもらう。
贅沢するなら、こういう小規模のライブしか信用できなくなっているかもしれない。
毒食らわされているのは、コンビニからファミレス、スーパーの店先から一流レストランまで拡大しているようだから。

良心が咎めるところは、はやく白状してしまった方がいい。
「地元野菜は使えていません。冷凍魚に牛脂注入のステーキ肉です。ですからお安く、(それでもお高く)なっています」、と。







2013/11/02 14:30:12|樋口一葉
ふるさとは遠きにありて思ふもの?
「樋口一葉を歩く・山梨編」(2010年6月初版)について、一葉記念館から「残部が2部ほどになったから、追加を20部ほど送るように」と言われた。
早速荷造りをしてお送りする。
ありがたいことである。
猫町文庫刊のベストセラーで、記念館だけで100部近くお求めいただいている。
ボランティアの方々の学習材料ともなっているようで、これもありがたいことだ。
こないだは神田の古書店主からもリクエストのあったところだ。
合わせて寄せられた質問は、主が山梨の出のわりには相当な事実錯誤があったけれど。

夭折、エトランゼの印象も付きまとう一葉について、冒頭の山梨文学散歩のようなささやかな著書も、多少意味があるのかと思う。
現在第2版第1刷だが、版元にも残部がもう殆どなく、増刷をするか否か迷うところ。
表紙の慈雲寺の写真は、ピクセルの大きい版に替えたいのだが、抱える在庫を考えるとまだ決断できない。

今年は碑前祭を欠席した。
東京のはなんとか顔を出したいと思っているが……。
一葉資料について、先日、心ある方と「年々歳歳花相似 歳歳年々人不同」的な嘆き話をしたところである。
これは一例である。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」か?
「詩人郷里にいれられず」か?

 







紅葉の功徳
紅葉の進んだ光景というのは、何かわくわくする。
瑞垣山麓の紅葉は、去年に比べ色が今一つと思っていたが、至ったみづがき公園辺りでは、晴天の空と相まってとてもすがすがしかった。
このところ陰険で自滅的な年寄りにSNSで執拗にからまれたり、自身微熱が続いて、医者に行くのが一日増えたり、なんとなくグロッキーという、気分も晴れなかったのが、すうっと吸い取られるようだった。
連載完結以来ほったらかしておいた原稿を見直して仕上げておこうという元気が出てきた。
これ以上病の種を増やしてもしょうがない。