遅ればせながら、JR甲府駅北口に建った「甲府時の鐘」を見てきた。
車で通過しながら、片目にはいつも見ていたのだが……。
この鐘楼にはひときわ思い入れがある。
復元のモデルとなった鐘楼のあった玄法院(天神町)は、近いし、縁続きだからだ。
当代住職は従兄でもある。
観てきて、説明パネルに次のようにあって、納得して帰ってきた。
(引用始まり)
寛文年間(1661-1673)ごろ、横近習町(現・中央2丁目)に在った超勝山歓喜院(現・廃寺)に鐘楼が建立されました。柳沢時代の城下再整備に伴い、宝永5(1708)年に愛宕町へ移転後、火災で焼失しましたが、文化15(1818)年に再建され、明治5(1872)年まで使われていたといわれています。
この鐘楼は、甲府市民の幸福と甲府市の発展とともに、甲府を訪れる多くの方々のご多幸を記念して、141年の時を経て、平成25(2013)年に、甲州夢小路に新造されました。前述の愛宕町の鐘楼を模造したと伝わる法性山玄法院(現・天神町)の鐘楼を模し、同寺に残されていた写真・鳥瞰図・礎石を基に、底辺3間(5.4m)角、高さ5丈(15m)、銅張の外壁といった仕様で、忠実に再現されています。
(引用終わり)
玄法院は山号を法性山という。
山号、寺号とも武田信玄に由来する真言宗醍醐派の名刹である。
「時の鐘」について、先先代の文城法印は、「鐘は戦争の時に供出させられた。その後も利用されることもなく放置されていたようだったが、探しても行方知れずになっていた」と嘆いたことを覚えている。
なにやら新美南吉の童話「ごんごろ鐘」を想起させるはなしだ。
かつてはこの鐘の音と、愛宕山の大砲「午砲(ドン)」の音が、甲府の名物で、甲府市民に時の検討をつけさせていたという。
境内には天然記念物の大銀杏、お岩さんを祀ったお稲荷さんもある。
後者には、芝居を演じる者や映画人がひそかにお参りすることもあるという。
それにしても、計画立案者の丹沢さん自身が見学者に説明をしているのには感心した。
氏は見学者に鐘を鳴らすボタンを持たせて試させていた。
「20秒たって鳴ります」と言いつつ。
「いずれ箱をおいて東日本大震災の被災者にカンパをしようと思ってますが、今はタダです」とも笑いながら。
施設は造りっぱなしでななくて、こういう人の手わざが大事だと痛感する。
夢小路のテナントにも、観光客ばかりでなく、近隣の人も行きたくなるようなきらりと光るような魅力的なショップが続々と入ってほしい。
「時の鐘」の四面に貼られている銅版も、緑青が吹くようになってくるとさらに落ち着いて見えるだろう。
鐘の音も、拍子抜けするほど、静かな、威圧的ではない音だった。