新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2013/05/02 15:08:00|グルメ
藤の盛り

藤の花盛りである。
蔦性だから、生命力も強いのか、高速道路沿いのあちらこちらの切り岸などに、淡い青紫の房が乱雑に垂れているのが目に入る。
青い花は目を休めると言うが、余り主張しすぎないのが奥ゆかしい。
亀戸天神だとか、山梨岡神社とか、各地の藤の名樹・巨木の報せも多い。

何年経っても忘れられないのは、京都の大山崎山荘美術館の庭だ。
所蔵のモネの「睡蓮」の色あいと庭園の若緑、藤の色とが重複して思い出される。

もちろん、大山崎の思い出はこれに留まらず、これまでのベスト○に入ると思っている季節料理とのセットである。
荏胡麻の「油祖」である離宮八幡宮のお下がりの油をもって創業したという、天麩羅屋「三笑亭」の筍尽くし。
この旬に現地で食べるのなら、刺身でも丸焼きでも若竹煮でももちろん天麩羅でも何でも美味しい。
老舗でありながら、出すぎない親父さんも食べ物職人として見事だった。
本当の老舗、名店というのは余計なストレスを感じさせないものだろう。
野生の古い藤のように。

写真上は山梨岡神社(山梨県山梨市)
宗祇ゆかりの歌も残る。







2013/05/01 17:04:27|ちょっと昔のこと
あーあ、やんなっちゃった、驚いた
1972年に沖縄が「返還された」時に感じたどうしようもない違和感は、今も生々しい。
「屋良さん、沖縄は、本当に、『本土』復帰でいいのですか」と。
祝賀会もむなしかった。
現に主流にはならなかったが、「沖縄独立」論もあったはずだ。
その後、現代までの経緯は見てのとおりだ。

佐藤栄作がノーベル平和賞をもらった時も強烈に違和感を覚えた。
非核三原則の功績だという(?)
沖縄かと思った。
彼は、言うまでもなく現総理の大叔父、岸信介は祖父だ。
こういう素生の総理大臣を、この国の国民は60パーセント以上も支持している(らしい)。

どうしてこうなのだろう?
いつからこうなのだろう?
選挙も、勝つときは「圧勝」で、負けるときは「完敗」だ。
勝利も敗北も、常に「歴史的」という「瞬間湯沸かし器」的国民性。
ジャーナリズムの見識・勇気のなさ。
この国には二大政党なり、健全な第三局なり、社会民主主義なりが育つ風土は、絶えてないのだろうか?

原発処理、憲法、靖国、米軍基地、オスプレイ、教育再生会議、TPP、雇用法、金融緩和とバブル、税金、福祉(公共)の切り捨て……等への対処を見ると、一党の「圧勝」は危険だし、真に困る。
その体制が、またまた何十年も続くのはまったくもって致命的だ。
しかしながら、政治をスポーツイヴェントと同様に考える我が「忠良なる」国民は、こういう奔流を圧しとどめられないまま、繰り返して来た。
次の選挙の結果もかたやの「圧勝」、一方の「完敗」→「消滅」ということになれば、国民自ら「大政翼賛」政治を望んだことになる。
小説「笛吹川」の自滅の流れは、今も昔も変わらない。
大衆が、いつも、時代に流されることも。
迎合するか、イロニイを弄ぶだけの無力な「知識人」?

牧伸二でなくとも、
「あーあ、やんなっちゃった、驚いた」
と言いたくもなるだろう。







GWだって?
GW(ゴールデンウイーク)という文字や音がやたら耳に入る。
というより、月水金、月水金の日程が未来まで(生きている限り)決ま
ている自分には、この音が無性に耳障りである。
この間の天候だとか、道路状況、果ては国内旅行か海外旅行か、おススメの店にグルメ等々。
クリニックの技師でさえ
「どこか行く予定あるんですか?」
などと無意味な質問をする。

八つ当たりついでに言えば、最近、天気予報のおねえさんなどが、
「お出かけ日和です」とか、
「お帰りが遅くなる時には、雨具をお持ちください」とか、附け加えることが少なくない。
世の中、何につけそういう傾向だが、お節介千万でさもしい。

とは言え、自分も、かつては人込みや車の渋滞に好んで塗れていたのだから、大きなことは言えない。

教員になったばかりの頃、5月最初の土日あるいは連休には、山岳部の生徒を連れて山へ行っていた。
5月中旬には県の総合体育大会があり、鳳凰三山とか八ヶ岳連峰の○岳とか、方面・コースも決まっている。
そのための練習登山を行ったのだ。
余分なお金などないから、幕営(テント)の山行である。年によって気象条件もずいぶん違っていた。
凍らないように山靴をテント内に持ち込んで寝させたり、雪を踏み固めながらテント設営をするような年もあった。

練習の効果ばかりではないが、勤務校は県総体での「競技としての登山」では、割合成績が好かった。
ということは、関東大会出場が例年のこととなる。
場合によっては、全国総体(インタハイ)出場もない訳ではない。
練習山行から本番……を繰り返し、5月から7月までは、休みは殆どつぶれることになる。
8月になればなったで課外の明け暮れである。
それでも、顧問をしている間に、南アルプス、八ヶ岳連峰、秩父連峰、丹沢山塊……と地元のたいていの山には登って、山によっては繰り返し登ることになった。
それでも、平日勤務は出来ていたのだから、若さと健康とはありがたいものである。
今では考えられない。

写真は甲斐大泉







2013/04/25 9:14:08|学習指導と学校図書館A
Q&A図書館の蔵書

図書館がどんな本をどれだけ備えるのか、ということは、各図書館の役割にもよります。

図書館は、国立国会図書館から各都道府県・政令指定年立図書館、銀杏村立図書館……の公共図書館があります。
後へ行けばいくほど、住民に身近です。
つまり地域の「暮らし」に近いのです。
一方、並べた前に行けば行くほど、専門的な、抽象的なメディア(資料)の必要性が増します。

予算にも収蔵スペースにも限りのあることですし、蔵書の種類や点数は違ってくるはずです。

また、企業や研究機関の情報集積部門、また、テーマを限定した専門図書館もあります。
ここの収蔵メディアは「狭く、深い」収集がされています。
レファレンス(メディア活用相談)のレベルも同様です。

学齢の異なる児童生徒を預かって学習をさせる学校の図書館は、それに対応した蔵書が必要となってきます。
ファンタジーを好きな子供もいれば、科学的な本を見たい子どももいるということです。
また、将来の進路を考える学齢になれば、多様な進路に応じた参考図書があってもいいのです。

もちろん学年・学期・単元学習のテーマに即して、蔵書は充実させていかなければなりません。
小学校なら、中学年学齢の子どもが使える百科辞典、学習百科を何セットか用意したいものです。
予算にも年間分がありますので、年次計画で整備してゆきましょう。

図書館の蔵書冊数にも多寡があっていいのです。
だから図書館同士はネットワークを組んで相互貸借をして、図書館活動をしています。
学校図書館間でも、必要なテーマに関わる本を融通し合って活用をはかるべきです。
教員の学校図書館利用についても、ネットワークは大事です。
それに本を子どもに手渡せる「ひと」の存在ですね。







2013/04/24 17:35:08|病を飼いならす
わくわくどくどき
一昨年の病気では24時間人工透析を続けるということを何日も続け、一気に30キロ体重を落とすことになった。
この「荒業」で心臓の負担を軽減し、弁の置換手術で、私の命は助かったようなものだ。
多少リバウンドしたものの、最重時からは20キロ以上落ちている。
持久力がないのも、歯が悪くなるのも、ここに由来するかもしれない。

困ったことに、着るものの殆どがサイズが全く合わなくなった。
職にあった時のスーツが何十着もだぶだぶになってしまった。
特にズボンなど袴のようだ。
造った店に「なんとか直しができないか」と聞いたら、
「そこまで痩せたのなら、全てのバランスが狂っているから、申し訳ないが、無理だ」と言われた。
納得した。

スーツを着ている頃は、何処へ行くにも、あんまり考えずにスーツを羽織って出かけた。
着るものがなくなると、準公式の場にも着てゆくものに苦悩する。
やむを得ず、「吊るし」の略礼服を初めて買った。
不祝儀の全てを無視する訳にもいかないからだ。
後は、あんまり公式の場へ出なかったし、体力的に出る自信もなかったので、だいたいMとかUとかの気軽な上下で事足りた。

病後3年経って、体調が少々安定してきてみると、「お前は、もはや、死にそうではないのか」と念を押す人が出始めた。
「負け惜しみ」ではないが、「万全だ」とも「病人だ」とも言いづらいし、言いたくない。
本当の公式ではないにしても、準公式くらいの会や催しの連絡があったりする。
「シャバ」にあまり執着する気はないし、執着するのもみっともないとは思っている。
が、自分でも「生きている証」に、いくつかの機会には出席してみたい気も出てきた。

やむを得ず、スーツとこれまた首周りの縮んだワイシャツの既製品の安物を買うはめになった。
いまさら紺スーツも気が重いから、グレーの縞にした。
これを着て、せめて自分が学年主任をした生徒らが「当番」となる母校の同窓会総会くらいには行かねばならない。
「わくわくですねえ」「どきどきです」という感じだ。
それにしても5月は多いな。