子どもの頃の自分には、朝日通りというのが甲府の「町」への入口だった。 そこには、文房具屋、バイク屋、写真屋、餅屋、レコード屋、帽子屋、洋食屋、琴三弦屋は当然、本屋も3軒、古本屋が2軒、映画館だって2軒あった。 年に1,2度ここに寄り道するのは、甲府の「町」の匂いを嗅げる「上」の部類だった。 子どもにはあまり関係なかったが、通りを上りきったところと下りきった鉄道のガードの近くに少々いかがわしい呑み屋街もあった。 大学生くらいになって、坂上の呑み屋街の何軒かには御厄介になった。 駅から向こうへ行くなど、自分には「特上」の「祭り」のようなものだった。
ガード付近から駅前まで、おそらくは戦前からの、車馬が滑らないためだろう、石畳が敷かれていた。 この思い出を語る人が少ないのは、甲府にも田舎もんが流入していて、知らないのかもと思う。 残念である。 通りは、陸軍の甲府連隊に通ずる「門前町」だったのだ。 現在の国立病院から緑が丘のグランド、北は山梨大学のあたりまで、連隊と練兵場が広がっていた(はずだ)。 私自身は、いくつか残った連隊の兵舎や防空壕、弾薬庫・浴場跡、グランドに整備される頃の練兵場の土塁や塹壕を辛うじて覚えているくらいなものだ。 それでもこの練兵場を舞台とする太宰治の『畜犬談』とか読むと、あの頃の暗がりがそぞろ偲ばれて、懐かしい。 あるいは『I can speak』とか『美少女』。 それぞれの小説の舞台やモデルまで目に浮かぶ。
今日は高齢者の夫婦連れなどがずいぶん西から朝日通りを目指して歩いているなあ、と気付いた。 通りには、タープが立ち並んで、年に幾日も見ないほどの群衆でびっくりした。 そういえば、先日のローカルニュースで、 「『花水木祭り』も、今年は珍しく花と葉が一緒になっている」 などと言っていたのを思い出した。 スーパーの駐車場に車を置いて、上から下へ、下から上へ、通りを歩いてみた。 「祭り」は、障害者授産施設などのパンやクッキー、手芸品、リサイクル品などが多い。 幼稚園にガールスカウトのバザー。 焼そば、焼鳥。 これらも微笑ましい光景ではあるが、たちまちに売り切れ、店じまいになりそうだ。 また、昔からの地元の朝日商店街がカタチばかりの参加であるのは、少々寂しい。 花水木の頃だけでなく、毎月でもやればいいとは思うが、商店街の人々がこれだけ老い、訪れる人々の腰が曲がり、「祭り」がボランティア頼みではそれも難しいか。
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