開館時間延長など利便性の向上について、この措置を歓迎する声がある一方、「営利ではない図書館運営が委託に向くか、質の維持向上は大丈夫か」、図書館は結局、貸本屋なのかという指摘もある。 個人情報や貸し出し履歴の管理にも懸念の声が上がり、雑誌・文具販売には街中の専門の同業者が不安を漏らす。 運営計画の詳細決定はこれから市議会で議論される。 BOOKOFFがとか「よむよむ」運営の図書館も林立する恐れもある。 図書館人からも、「これも悪くない。いまのままじゃ図書館は生き残れない」などという声も出る。 恥ずかしいはなしだ。 こういう考え方をする人は、そもそも本物の、「公共の」図書館人ではない。 「金や人が浮いて、改善したサービスを提供して運営できるのじゃ、悪くないはなしだ」という行政首長サイドからの声も打ち消すことは難しい。 各自治体当局や利用者が、このことがなぜ、如何に困ったことなのかをしっかり認識しないと、さらに事態は進みそうだ。 貸し賃を取るようになれば、「資料・情報の提供」に対価はとらない、という図書館法が、まず崩れる。 蔵書構成も、借りられる本やDVD中心になってゆくだろう。 ポピュリズムのまん延だ。 つたやカードが利用者カードに代用されるとなると、個人のプライバシーはカードに残り、パソコンで読み取れる。 本の貸借は、司書資格を持った専門家が助言をしながらするべきだという必要性も薄くなり、アルバイトでも、なんなら機械でもオーケーとなる。 だから、施設職員は限定して運営できる。 かたや販売事業もあれば、施設内で「営業」も「キャンペーン」も当然出てくるだろう。 交流施設や貸出スペースは「なんでもあり」という雰囲気になるんじゃないか。 「図書館戦争」の恐怖も他人事ではない。 全国の図書館で指定管理者制度を導入して運営委託されているのは8.6%(2010年度)。 導入によって、図書館として一層充実したという話はきかない。 むしろ、質が落ちた、被災への対応ができないというデメリットの方が多い。 ひところの「何が何でも指定管理者制度」というスピードもやや低調になりつつあるようだ。 けれども、この例のような運営委託型、図書館の公民館化によって、本来の姿をだいぶん変えつつあるところもある。 山梨の県立図書館も全館学習スペース化が進行している。 司書の手助けを受けながら、館内の資料で調査活動をするというのがかえって肩身が狭い。 交流ルームで講座ならともかく、塾や製品のプレゼンテーションをやっている、フルートの練習会、落語会……なんでもありの様相を呈している。 施設貸出、企画という部門を民間にゆだねたから、「ノーと言えない」のか、仕方がないのか。 おまけに鶴太郎のうまくもない幕絵まがいのものを陳列しているのも不愉快だ。 県立中央病院に彼のタイルが貼られた時から、品格もなく、芸術的でもないものに県税をどれほどつぎ込んだかと思うと不愉快だったが、「図書館よ、お前もか」という嫌な気がした。 社会教育を含む教育、文化は「わからずや」でいいのだ。 図書館だってそうだ。 利用者に媚びるな。 まして、行政内部の総務、人事当局に。 「なんでもあり」なんて、なんのためにもならない。 図書館というものを、行政、住民に、本当に分かってもらわねばならぬ。 |