新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2013/04/09 14:14:40|本・読書・図書館
図書館は媚びるな
10年以上も前からだが、全国的に図書館も指定管理団体に運営させることが多くなって来た頃から、大変に危惧し、批判的な発言もしてきた。
先日、ついにこうなってきたかと胸を衝かれた。

佐賀県武雄市の図書館がレンタルソフト店「TSUTAYA}を経営するカルチャ・コンビニエンス・クラブに運営を委託したいという。
図書館部門とDVDやCDのリース、文具・書籍を販売するTSUTAYAの通常部門とが、施設内で同居することになるのだろう。

開館時間延長など利便性の向上について、この措置を歓迎する声がある一方、「営利ではない図書館運営が委託に向くか、質の維持向上は大丈夫か」、図書館は結局、貸本屋なのかという指摘もある。
個人情報や貸し出し履歴の管理にも懸念の声が上がり、雑誌・文具販売には街中の専門の同業者が不安を漏らす。
運営計画の詳細決定はこれから市議会で議論される。

BOOKOFFがとか「よむよむ」運営の図書館も林立する恐れもある。
図書館人からも、「これも悪くない。いまのままじゃ図書館は生き残れない」などという声も出る。
恥ずかしいはなしだ。
こういう考え方をする人は、そもそも本物の、「公共の」図書館人ではない。
「金や人が浮いて、改善したサービスを提供して運営できるのじゃ、悪くないはなしだ」という行政首長サイドからの声も打ち消すことは難しい。
各自治体当局や利用者が、このことがなぜ、如何に困ったことなのかをしっかり認識しないと、さらに事態は進みそうだ。

貸し賃を取るようになれば、「資料・情報の提供」に対価はとらない、という図書館法が、まず崩れる。
蔵書構成も、借りられる本やDVD中心になってゆくだろう。
ポピュリズムのまん延だ。
つたやカードが利用者カードに代用されるとなると、個人のプライバシーはカードに残り、パソコンで読み取れる。
本の貸借は、司書資格を持った専門家が助言をしながらするべきだという必要性も薄くなり、アルバイトでも、なんなら機械でもオーケーとなる。
だから、施設職員は限定して運営できる。

かたや販売事業もあれば、施設内で「営業」も「キャンペーン」も当然出てくるだろう。
交流施設や貸出スペースは「なんでもあり」という雰囲気になるんじゃないか。
「図書館戦争」の恐怖も他人事ではない。

全国の図書館で指定管理者制度を導入して運営委託されているのは8.6%(2010年度)。
導入によって、図書館として一層充実したという話はきかない。
むしろ、質が落ちた、被災への対応ができないというデメリットの方が多い。
ひところの「何が何でも指定管理者制度」というスピードもやや低調になりつつあるようだ。
けれども、この例のような運営委託型、図書館の公民館化によって、本来の姿をだいぶん変えつつあるところもある。

山梨の県立図書館も全館学習スペース化が進行している。
司書の手助けを受けながら、館内の資料で調査活動をするというのがかえって肩身が狭い。
交流ルームで講座ならともかく、塾や製品のプレゼンテーションをやっている、フルートの練習会、落語会……なんでもありの様相を呈している。
施設貸出、企画という部門を民間にゆだねたから、「ノーと言えない」のか、仕方がないのか。
おまけに鶴太郎のうまくもない幕絵まがいのものを陳列しているのも不愉快だ。
県立中央病院に彼のタイルが貼られた時から、品格もなく、芸術的でもないものに県税をどれほどつぎ込んだかと思うと不愉快だったが、「図書館よ、お前もか」という嫌な気がした。
社会教育を含む教育、文化は「わからずや」でいいのだ。
図書館だってそうだ。
利用者に媚びるな。
まして、行政内部の総務、人事当局に。
「なんでもあり」なんて、なんのためにもならない。
図書館というものを、行政、住民に、本当に分かってもらわねばならぬ。








リクルートスーツ
「リクルート」ファッションというのか、町で黒づくめのスーツの男女学生を見かける。
いかにも量販店Aで調えましたという感じだ。
昨日まで気ままな恰好で過ごしていたのがありありで、まったく身についていない。
それにしても、男子のズボンが、昨今、モモヒキ状に細くで、足に張り付いているのも見苦しい。
一方、上着は丈の短めなのが流行りのようだ。
ノーネクタイの背広姿みたいに、なんかお里が知れるという感じで、早いはなしが「足軽」みたいでみっともない。
靴までは間に合わなかったのか、スニーカーだったりするのが御愛嬌だ。
いかにも役に立ちそうにない彼らが、果たして職に就けるのか就けないのか、とても気がかりである。

首尾よく就職できた彼らが「入社式」に臨むニュースを、テレビで見る。
経営者は、口をそろえて、「多様性に期待する。指示待ちではだめだ」とはっぱをかける。
そういう今の企業の経営者に、有能に思える人など見たくとも見られない。
まして、従順で、気がいいだけの新人は一体どうすればいいのだろう。

時には、彼らはその恰好で大学の講義に現れる。
「就活」の合間に講義に出ているのだろうが、本末転倒も甚だしい。
大学が、学問・研究の基礎を養う教育にも、職業教育にもなっていない。
しかも、借りられるだけ奨学金を借りてしまって、卒業後ほどなくより何百万の借金返済に苦しむ有様らしい。

正規社員の解雇の自由化もささやかれる。
定年延長の動きもある。
早いはなしが、人を使いたい時に、安く使おうという意図がありありである。
身に着かないスーツを着て、さんざん歩きまわって、頭を下げ回って、結局、非正規や、期間限定の採用じゃかわいそうだ。
企業はなりふり構わず、欧米流のコスト削減方針を経営に取り込む。
この国は悪くなることはあっても、よくなりっこないや。







今年の王仁塚桜4/1
車に桜の花びらが散りかかる頃、
天候がすっきりしなかったし、夕風めいたものも吹き始め、写真は寂しい感じにはなっている。
野火のニュースにも気付かなかったが、黒こげの竹林や萱原の跡に、ホトケノザやスギナなどが盛んに生えている。
雨含みのガスで八ヶ岳は覆われて姿を見せない。
釜無川の南岸、ここ八幡神社を中心とした韮崎の神山の丘陵一帯は、見栄えのいい桜の樹が多い。
国道を走っていても、よそ見のしがいがある。

わに塚の桜は満開直前。
この季節になると、いつも気になってしょうがない桜樹の一本。
焼芋屋や絵葉書屋が出て、見物客がちらほら。
県外からだろう、「一度見ればいいや」と言っている年配客がいる。
できれば、例年会いたいと思って、年によっては脱輪したりして、「のどけく」ない私は、いったいどうなるのか。

なんという事もない自分だが、新年度だ。







2013/04/02 11:35:46|樋口一葉
思案のしどころ
台東区立の樋口一葉記念館から、例年のように、24年度の清算をしたいとの連絡があった。
拙著で猫町文庫の刊行物『樋口一葉を歩く−山梨編』が、年度中、ミュージアムショップで13冊買われたという。
まことにありがたいことだ。

一葉の父祖の地であり、「故郷喪失者」一葉の想念中にいつもあった甲州の風景を、私が撮り歩いたモノクロ写真とともにまとめたB5版88ページの小冊子である。
私の一葉に関わるエッセイなども収録した。
一葉記念館では、これをボランティアさん方のテキストにもしてくれているという。

常備されていて、ぽつりぽつり買い求めていただけるのは、今頃イトザクラの花見でにぎわっているだろう甲州市の慈雲寺、県立文学館だ。
2010年に刊行して、既に2刷になっている。

在庫は数十冊しかない。
ここで3刷ないし改訂版を出すか出さないか、考えどころである。
表紙の写真がはじめから気になっているところだった。
初版からの編集データは手直しすれば使えるはずだ。

けれども、再版するとしたら、経費のこともあるが、在庫の置き場にも困るのである。
うーん。
他に出したい冊子を先にするか、改訂するか。
おそらく刊行するだろうが、決断のしどころだ。







2013/03/28 9:42:52|甲府
まだギブアップしたくないぞ、甲府
歯医者のある3階からJR甲府駅前を見降ろして思いだした。
ちょっと前の新聞報道で、甲府駅南口の整備計画案を見た。
あきれた。
地べたの線引きの変更だけやっている。
経費をかけないように、面倒な土地収用業務ができるだけないように、地域に気を使っているのもありありだ。
リニア駅との連絡とか、人口減少下のコンパクトシティ甲府の中核として、といった、ヴィジョンなどまるで考えずに、ロータリーのすみわけをしてみました、というアイデアだった。
金がない、アイデアがない、人材がない、気力がない、町としてまとまりがない。
どうしてこんなに情けない整備案なのだろう。

北口には、クリスタルミュージアムや桜座復活に尽力した宝飾関係の一私企業によって、「甲州夢小路」ができた。
ここもたかだか数件の「小路」だし、中の物販のヴァラエティにも限りがありそうだ。
なんだか空中分解寸前の、ココリの平面展開版のような気がする。
山日文化会館の入り口にも、なにやら物販スペースとして改造中のようだ。

こういう規模の、こういうお寒い内容の新施設が多くの老若男女の関心をひくことができるのだろうか。ターゲットは甲府に降り立つわずかな観光客じゃあるまい。
日常、甲府あるいは近郊に暮らす人たちに、どう魅力を感じさせ、いかに足しげく通ってもらうかだ。
観光客だけ受け入れればいいのじゃ、一部の民芸ほうとう屋になってしまう。
県民は行かなくなってしまう。

ナントカタウンと呼ぶような郊外のショッピングモールは、休日中心に膨大な若い家族連れを集めている。
甲府南郊に展開するショッピングモールは何百万人と集客し、倍の増床を目指しているという。
そんなにお金は使っていないが、ぶらぶら歩いたり、映画を観たり、レジャーの場として人が集まり、数百円のものでのどを潤している。
一方、「アカチャン本舗」とか新しい店舗が入ることを発表して間もない、同じ町内のショッピングセンターは、この春、閉店・撤退するらしい。

駐車場に困るほど人を集めているところと、人影も少なく閑散とした中心街と、どこが違っているのか、徹底的に考えなければならない時だろう。
一つ言えば、「街の活性化」なんて抽象的なテーマはないのだ。
一軒一軒、楽しい、珍しい、安い、美味い、多量だ、こういう店舗が集積してこそ、人を集められる。
もはや小手先の傷口をふさいだり、ちょっとかっこうつけたくらいじゃ、人の集まるエリアは作れない。
施設だけ作って、イベント以外に人はいないのじゃ、ますます無残なことの繰り返しになりはしないかという心配がある。
一私企業、行政、商店街……が一体化して、町をアレンジしていかなければ、どうしようもないところに来ている。

それと一日に4か所で鉄砲が撃たれるような悪環境は、完璧に是正してもらわなければならぬ。
警察や行政も「おつとめ」意識や、消極的じゃますます悪化する。

甲府生まれの甲府育ちとして、私は、まだ、ギヴアップしたくないのだ。