新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
藪のウグイス
温かくなってきて、桜が早まっているという。
確かに終わり方の梅と白いスモモに桜が交じって咲いている。
もうじき桃も始まるだろう。
季節のテンポが狂って、梅だかの受粉がうまくゆかないかもしれないなどというニュースをやっていた。

このところ決まってやってくる鶯がいて、朝晩、河原の梅だかボケだかの茂みの中でひとしきり鳴いている。
最初は鳴き方も下手だったが、この頃は堂にいったもので、かわいらしく、得意げに「ホー・ケキョ」と飽きもせず鳴いている。
目を凝らしても姿は発見できない。
まさに藪の鶯というものである。

川越しに遠望する南アルプスの雪も沢と、一番高い尾根にしか残っていない。
春の日差しに、そう寒々した眺めでもない。
奥の方の白根三山とか、信州側のアルプス南部は、まだ、山容に白い。

家の前を通る自信無げに孤独な小中高の新入生たちが、三々五々連れだって弾けるように往来するようになるのも間もないことだろう。







2013/03/23 11:59:07|本・読書・図書館
「郷土研究」
最近は「郷土研究」という言葉に代わって「地域研究」という言い方が多く使われているようだ。
学会の事情か、はたまた、いかなる理由か分からないが、私自身は、温かみのある、そして、多少泥臭さの残った前者の言い回しが好きである。

図書館の郷土資料コーナーなどで、とある事項について、あちらこちらブラウジング(ぱらぱら読み)をしていて、郷土研究にかかわる「へえ」と感心させられる資料が、時に目に入る。
その時の調査テーマとは異なるのだけれど、こういう調査・研究、まとめをしてくれている人(グループ)があるんだという発見である。
まさにセレンディビティだ。

こういうもののなりたちは、個人の場合、グループ研究、中学校や高校の生徒の教育過程の一環におけるもの等、様々だ。
もちろん、思い入れや孫引き(引用)、「演説」がたっぷりあるから、しっかり裏付けをとりながら使わなければいけない。
けれども、郷土愛ないしは郷土への深い関心というのは、決して、捨てたものではなく、驚くような労力をかけ、時に地元の人間でなければ得られない成果を得ることがある。

今日気付いたのは志村幸男・小林秀敏二氏による非売品の冊子『神楽と獅子舞考』(平成20)だ。
主に山梨の郡内地域をはじめとする、神楽、獅子舞を調査し、まとめている。
志村氏は中学の校長をした方で、この研究の発端も大月のある地区の中学生が、伝統芸能である神楽獅子舞にどう取り組んでいるかを県教委に報告するところから始まっている。
その後、強い関心を抱き、在職中から定年後にいたるまで、調査・研究に当たってきたようだ。
研究を二篇まとめて、いつか一書にまとめたいと思っていたが、平成18年に亡くなった。

同じ分野に関心を持って研究調査していたもう一人が、小林氏で、消防庁に勤めておられた方である。
志村氏の没後、小林氏は、志村氏の成果に自分の成果を加えて、「共編」のかたちで冊子をまとめた、というわけである。

思う。
こういうカタチにならず、どれほど多くの地域の調査・研究が忘れ去られていったことだろう。
民俗や生活の実態と共に、こういう調査も「草葉の露」と消えていったものが多いだろう。

学校は児童・生徒によって大いに郷土研究すべし。
シニアも無論。
そして、その結果を、たとえ冊子であろうがまとめるべし。
まとめたら、公共図書館や学校図書館をはじめ地域にまくべし。
図書館や学校はきちんと保管し、活用する手立てをこうじるべし。
いつの日か、これらの資料のおおくは、活きてくるだろうから。







2013/03/21 14:39:57|グルメ
歯の問題かな
自他共に許す食いしん坊だったが、食いしん坊もグルメも問題は歯だな、と思う。
治療に長くかかっていて、ものが上手く食べられない。
「美味しく」ではなく、「上手に」食べられないのだ。
食べていても、途中で、もう食べるのが嫌になる。
いっそ最初から食べないでいようか、と癪に障るほどだ。
テレビでグルメ番組を見ても「このやろ」とも思わなくなった。
夜中にラーメンなど食べたいとは思わなくなった(かな)。
情けない。

クリニックの栄養士からは、「実質痩せていっているんですね」と言われた。
心臓の医者は、「もっと体内の水をひけ、本科で言えるのはそれしかない」という。
痩せるも太るも、透析の基準体重となるドライウエイトというのも、おそろしく根拠のない代物だ。
おととしの入院で30キロ体重を落とされ、10キロほどリバウンドしている。
自分としては、どこまでリバウンドしていいのか、いけないのか、実際、分からない。
息なり、心臓なり、苦しくなって見て、これではいけない、というのはきつすぎる。

温かい季節になってきた。
とりあえず、歯の治療を急いで、一方、食べる意欲はなくさずにいようと思う。







2013/03/18 16:27:23|本・読書・図書館
学習指導と学校図書館
今年も大学の前期講義が近づいた。
途中で病んだりして迷惑かけることなく、無事、最後まで、学生たちに語りかけたい。

幸い彼らは、講義中、髪の毛ばかりいじっていないし、講義中、ジュースも呑んではいない。
スマホをなぞってばかりもいない。
真面目な反応もある。
やりがいもある。

教職を目指すことの多い、各地からの学生に、学習、子どもの育ち、これらと読書の関係、学校図書館の活用について、語りかけたい。
本を読まない教師は、子どもにも本を読ませない。
図書館を使えない大人は、子どもにも図書館を使わせられない。
そして、客観的な情報収集や情報の取捨選択ができない。
結果として、「衆愚」のままで、態勢や情報の混乱にたやすく操作される。
こんなことを、なんとか伝えたいのだ。

シラバスは次の通り。

第1回:講義計画 子どもが、なぜ、何を、どう、学ぶか @教育課程と学校図書館
第2回:  同  A情報化・生涯学習社会と学校図書館
第3回:学校図書館メディア・リテラシーを育てる@調べる力を育てる
第4回:  同  A調べる力を育てる
第5回:学校図書館活用学習の教育課程への位置づけ
第6回:発達段階と学校図書館を活用した学習活動
第7回:学校図書館活用の全校体制
第8回:ブックトーク―小中高生に向けて(中間課題)
第9回:情報メディアの探索と収集―「読む」「聞く」指導の方法と工夫
第10回:情報メディアの活用とまとめ―「話す」「書く」指導の方法と工夫 
第11回:学校図書館メディアと学習活動 @調べ学習、総合的な学習
第12回:  同  A課題解決学習、科目「情報」
第13回:  同  B特別支援教育、キャリア指導、特別活動
第14回:学校図書館の「人」と教授・学習活動支援の仕組み
第15回:まとめ「学校図書館の学習利用を活発化するための改善案」(小論文)

恰好いいが、100パーセントこの通りにはいかないかもしれない。

写真は2012年度前記の受講生による「ブックトーク」集。







2013/03/17 9:12:25|甲府
幻の「峡中新誌」
磯部敦氏から奈良女子大学「叙説」第40号(平成25年3月)の抜き刷り「『教中新誌』から『峡中新聞』へ−新聞考序説−」をいただく。

興味深かったし、ずいぶん参考になったので紹介しておく。

県下の新聞の嚆矢と言われる「峡中新聞」から「甲府新聞」創刊への事情を、国文学研究資料館蔵の井尻村依田家の文書によって跡づけるもの。

実はこの稿で初めて紹介されたのが、これら二紙に先だって計画されていたのが「峡中新誌」であることだ。
これらは県下の郡中総代いわば地域民によって企てられていた。
その経緯が県の行政文書によって紹介される。
この新聞は、結局、頓挫し、藤村県政よりの、いわば「官制」の前二紙が創刊されたことになる。

また、「山梨日日新聞」のもとである「峡中新聞」が全国で最古の新聞であることも、「伝説」であることも知られる。

「序説」とあるから、これから、山梨に限らず、近代初頭の各地の新聞事情が解き明かされるものと思う。
楽しみだ。