もうあしかけ2年以上も長患いをしている人から、久しぶりに便りがあった。 ようやくパソコンは使えるようになったので、ご無沙汰を詫びかたがた便りをする、と。 T書房の一葉全集のあらかたの註と、校訂をされている人で、一葉研究周辺では、研究成果・人柄ともに私の最も敬愛する人である。 その思いは渋谷近辺の喫茶ルノアールで初めてお会いした30年近くも前からまったく変わらない。 大学に属していないが、氏の研究・調査実績をみると、そのことがかえって見事だと思える数少ない一人だった。
私は、この間、とても案じていて、自分が見舞いに飛んでいける体調でもなかったので、余計に氏のことはとつおいつ考えていた。 自分の病臥中の思いもまざまざと思い出していた。 だから、氏の便りを手にした時はとてもうれしかった。
長くはない手紙の9割方は、一葉の「ゆく雲」や「雪の日」から感じられる甲州来訪説について触れていて、今度は、日記にも登場する甲府の郵便局員伊波隆次の件もこのテーマに援用されている。 病中も回復期の今も、氏の一葉への関心は決して失われることはなかったのだなと胸が熱くなる思いがした。 返信をしたためながら、一葉の甲州来訪説についての追尋は、私自身は何年か前、地元紙へ書いて以来休止しているなと反省した。
こういうこと載せると、また、ちゃちゃを入れる不快な人々が出てくるかもしれない。 いい年をして、暇なことだ。 無視することとしたい。 使うべき時間、語るべきひと、読むべき本も限られてきた。 無駄にしたくない。 大事なことを中心にやりたいのだ。
慈雲寺にて 三神弘氏(右)五十嵐勉氏(左)4月 |