新年度が始まった大学では、キャンパスも教務部も学生であふれている。 この時季、駐車場もマンタンである。 お仕着せだけでなく、関心の湧くこと、やりたいことを精いっぱいやってほしい。 最終的には、そのことが中心で「飯のタネ」になってゆくのだから。
今年は前期15回、後期15回の講座である。 体力的に不安だが、教壇に立ってこの講座の意味なんかを話していると、今年もやってよかった、と思える。 それにしても、できるのも、もうしばらくだな。
自宅に帰れば、目の前の高校から、応援練習という伝統行事だろう、太鼓とブラスバンド、がなり立てる大声が、風に乗ってやってくる。 これまた、新年度の恒例行事だ。 「どうして、応援練習を三日もやり、夏の高校野球県予選に学年を動員するんですかね。別に野球部つよくないのに」 と時々不満顔の生徒がいる。 「野球部は、ある意味利用されているんだ。応援団も応援団吹奏楽部もね」 「?」 「全校応援は学校が一つになる体験なんだ。野球の球場にでもいかなけりゃ、それは経験できない。一つになろうとすることを含めて慣行だけれどね。」 こういうバーバリズムめいた古来の慣習を大好きな教師、OBもいるとは、ことばをのみこんだ。 「自由気ままに登場した選手を応援してゆく方式もある。応援団が潰されて、一所懸命六大学方式の応援スタイルを取り入れようとした学校もあるが、これはこれで、スタンドの生徒の我がままぶり、傍観者ぶりが目立って、変なものだった、ね」
我が校はこういう伝統がある、こうであらねばならないということのおしつけばかりでもね。 |