新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2014/03/29 8:47:08|本・読書・図書館
「よい本」なんてないのか
ここ数年、学校図書館での子どもたちの「読書活動」を盛り上げる一方で、図書館(やそこのメディアを)自身を大いに学習利用したいものだということを講義している。
なぜそう強調するかについては、学生諸君にもなんとなく理解されるのだが、本に「いい本」と「よくない本」とがあることを理解させるのは、なかなかホネである。
「よい本を読むべきだ」「子どもによい本を薦めるべきだ」と唱えると、「本に善し悪しはない。第一誰がどんな基準で善し悪しを決めるのか。何をどう読んでもよかろう」と反論される。
「よい本」を読ませたいというのは、大人の「おしつけ」であるかのような印象を持つらしい。

そのうち気づいたのは、彼らのほとんどが「選書」指導を受けたことがないということだ。
知的なものに目覚める段階になって、あちこちの著名本のリストなどを覗くことはあっても、発育過程で「この本はよい。この本はよくない。君にふさわしいのはこれだ。なぜならば……」と教えてくれる年長者が、彼らの周辺にはいなかったのだ。
だから、立派な人がびっくりするようなタイミングで、呆れるような本に感心していたり、ブログに引用していたりしているのを見かけて、ひとごとながらみっともない気のすることもある。
「今、こんな本を読んで喜んでいちゃだめだろう。まして、人に語っていてはいけない」と思う。
入ってしまえば、勉強しないでも済む難関大学に籍を置いた名残だな、と。
余りに個人的趣味の収書の弊害もあるな、と。
書店などで「おススメする本」としてあるのも、基準が、営業的に感じて首をかしげることも少なくない。

「好きな本」を「好きなように」読めばいいじゃないか。
「大人や教師がとやかくいうことはないじゃないか」
私はノーだと言いたい。
好きな本に出会うためには、過程があるのだ。
これを踏まなくては、時間の無駄だし、頭脳やハートを悪くする。
第一、過程を踏まない読書は、ひどく偏った知性のあり方しか作らず、正しい読解力を養わない。

今年もまもなく開講になる。
がんばって説いていきたい、できる間は。







2014/03/25 8:37:01|ちょっと昔のこと
祖父の家
生まれた家は甲府の塩部、工業高校近くの国鉄中央線の小鉄橋が架かる相川のほとりだった。
埼玉の加須出身の建設省の技手だった父方の祖父が退職金で作った家だ。

大きな製材所ののこぎりがいつも唸りをあげていた。
石屋巨大な電動鋸でざあざあと石材を切っていた。

近所のいたずら坊主どもは鉄橋にぶら下がって、度胸だめしで、蒸気も汚水も吐き出す汽車を車体ぎりぎりのところでやりすごした。
怖くなりすぎて、瞬間、どぼどぼと川に落ちていった者もいた。
轟音と共に、身震いするようにやってくる機関車は恐ろしくも魅力的だった。

五寸釘を見つけてきて、汽車に轢かせてぺしゃんこにし、石で気長に研いで陣取りの針にした。
 







2014/03/18 14:46:10|文学
村岡花子展・ことばの虹をかける−山梨からアンの世界へ
玄関を入るとうずたかく新潮文庫が積まれていた。
「持っていく? 『赤毛のアン』の再版が出るたび送って来るのよ。毎月毎月、困るほど」
村岡花子の養女みどりさん(故人)が言う。

大森の自宅は、花子存命中と殆ど変っていなかった。
特に花子の書斎は、文具の位置さえ自然で、今にも本人が現れそうだった。
自宅ははやくから「村岡花子文庫」と命名され、資料の保存活用に努めてきた。
これには、みどり、恵理(現花子文庫主宰)の努力が大きかった。

私は県立文学館が開館してはやいうちに村岡花子展を開きたかった。
館の存在を知らしめるためには、独自の募集でカナダに向けた「アンの旅」を企画してもいいとさえ思っていた。
しかし、一般的な鑑賞者には人気があるだろうが、文学館そのものはは児童文学、青春文学、翻訳文学にはあまり強くなかった。

その間も、「赤毛のアン」は再版され続け、松本侑子などが、
「村岡の訳では、古典や聖書の引用を活かせていない。全訳しなおすのだ」
と張り切っていたが、世間の支持は圧倒的に村岡訳だった。
旅行社の企画する「アンの旅」は好評を博しているようだ。
今もその事情は変わらない。

今回は、テレビで花子をモデルにした連続ドラマが間もなく始まる。
なんだか「おしん」をほうふつとさせるようなロケ風景だが、「花子」もおそらく人気が出るだろう。

文学館でも村岡花子展がもよおされる。
にぎにぎしくご来観いただきたい。







2014/03/15 8:33:49|本・読書・図書館
千野政寿「高校を考える、29のエッセイと48冊の本」
問題意識や意欲に満ちた本にぶつかると嬉しくなる。
ましてそれが知人やかつての仲間、また、世代の違う人の近著だったりすると、格別にうれしい。
やっているなぁーという思いである。

千野さんは高校の公民科の教員だが、かつては地方新聞社に勤めたキャリアもある。
彼は腰巻にも書いているが、「高校と教師、このままでいいのだろうか?」という気持ちを常に失わない。
こういう意識を持つ教員は少なくないが、持ち続ける者は多くない。
その意識を教師生活や生徒指導の一部に持ち込もうとしたりする人は、さらに少ない。
たいていは学校からいえば亜流、どちらかと言えばやっかい者めいた偏屈者。
こういうポジションになってしまうことが多い。
千野さんは極めて誠実な教員で一人目立つようなこともしない。
だから批判精神が暴発することはないが、常に持ち続けてはいる。

かつて私たちは(ほかの数人の仲間と共に)校内で「東高の50冊」という冊子を編集配布したことがある。
受験ばかりに翻弄されるのではなく、少しでも生徒たちが文化的な価値に目覚め、心をたがやしてくれないものかと、共に考えた結果である。
今もこの冊子は刷り増しされては例年配られていると思う。

共に勤務した短い時間をこの著書に書き込んでくれたことは嬉しく、なんとも面映ゆい。

私は退職し、大学で学校図書館と学習、読書と脳なんかのことを毎週話す身の上になった。ささやかだが、これに気持ちのかけるくらいな思いである。
千野さんは高校教諭の現職で、問題意識を持ちつつ、日常的にわずかずつでも変革を試みていると思われた。
心からエールを送りたいし、この本を大いにPRしていきたい。

毎日文化センター刊(2014.3)1000円〈税別)







2014/03/11 11:03:20|樋口一葉
一葉記念館の企画展
いつものように、ご案内をいただく。
「樋口一葉と硯友社」
4月23日ー6月1日

ここの「企画展は、9割方は常設展で、ラストのコーナーが企画コーナー。
資料豊富で、展示が仕上がっているから、こういうアレンジになるのも納得である。
企画の目の付けどころがいい。
いつ眺めても、圧倒的な地元の支持と一葉愛を感じる施設である。
これはかなわない。
歴史上の著名人の場合、教理やゆかりの土地が「ひきたおし」てしまったり、内紛をしていたりすることがあるが、ここの子の気持ちは変わらない。
一葉没後間もなくから今日に至るものだろう。
通い始めの初期にお会いしていた人々の多くはいなくなったが、この「熱」は変わらない。

一葉記念館周辺も30年前に通い始めたころからはずいぶん変わった。
施設も新築されたが、街の雰囲気が特に変わった。
一葉煎餅やとか銭湯一葉泉とか、昔ながらのデティルはあるものの、街全体として、昔の少し垢ぬけない、下町の匂いが薄れた。