みんなで剣道やろうよ!〜 直心是道場〜 甲斐直心館(Kai-Jikishinkan)

山梨県・甲斐直心館(かいじきしんかん)は、「剣の理法の修錬による人間形成の道である」という剣道の理念に近づけるよう修業過程(稽古)を重視しています。「直心是道場(じきしんこれどうじょう)」の旗の下、老若男女が自己の剣道確立に向けて、楽しみながら努力・研究・工夫しています。【稽古1】水曜夜18時50分〜20時15分・玉幡中ほか【稽古2】土曜朝6時〜中学生、7時10分〜小学生以下・甲斐直心館鷹野道場=甲斐市篠原3218-2【一般稽古会】土曜朝9時〜10時甲斐直心館鷹野道場=お問い合わせはchirochiro1965(a)yahoo.co.jpへお願いいたします。(a)は@に打ち直してください。
 
2009/04/21 6:33:40|随想・雑観
フジの花
 自宅の庭でフジの花が咲いています。まだまだ小さいですが、高貴な薫りがする花だと思います。

 5月の京都大会に参加するとき、何年に一度か宇治の平等院を訪れますが、平等院のフジ棚は見事です。

 平等院鳳凰堂は十円玉のデザインにあることで誰もが知っているでしょう。あの極楽浄土を表した建物は、個人的には最高の美だと思っています。そしてあの鳳凰堂から、富士山、そして面垂れ(めんだれ)が自然に伸びた優雅さを連想しています。







2009/04/20 6:40:23|随想・雑観
ハナミズキ
 18日の土曜、甲斐直心館の朝稽古をしてから山梨県内の七段以上の先生方と西東京に稽古会に参加して剣道三昧(ざんまい)の一日を過ごしましたが、玉幡中の体育館脇と、八王子市で目を引いたのがハナミズキで、白い花が心を和ませてくれました。

 ハナミズキというと、一青窈さんの歌が思い浮かぶでしょうか。この日、目にしたのは白い花がほとんどでしたが、ある剣道の先生は「ハナミズキにアメリカシロヒトリがよくついて、困るんだ」と話されていました。

 甲斐市もかつては桑園・桑畑が多く、家の周りには桑畑が広がり、親戚で養蚕(ようさん)、つまりお蚕(かいこ)さんを飼っていました。この桑がよくアメリカシロヒトリの食害に遭い、カミキリムシと一緒に取ったことを覚えています。

 ハナミズキは別名、アメリカヤマボウシといいます。東京からワシントンD.C.にソメイヨシノを贈った返礼として日本に来たそうです。同じ米国発のアメリカシロヒトリが好むのは仕方ないことなのかもしれません。








2009/04/19 15:13:15|稽古日誌
第15回西東京・山梨県剣道連盟親睦稽古会

 第15回西東京剣道連盟・山梨県剣道連盟親睦稽古会が18日、東京都八王子市の甲の原体育館で行われました。

 山梨県からの二十数人を含め、約60人の七段剣士が参加しての立ち合い、互格稽古は壮観で、約2時間の稽古時間はあっという間に過ぎました。

 稽古後に親睦会も開かれ、剣道について熱い思いで語り合う先生方の姿はほんとうに良いものだと思いました。この交流会は春は八王子で、秋は山梨で交互に開かれており、8年目に入りました。

 私は大学の大先輩である74歳の佐藤先生、77歳の松崎先生に稽古をつけていただき、貴重な多くの教えもいただきました。とくに松崎先生は私の父と同じ昭和6年生まれ。節制さえすれば、いくつになってもできる―。剣道は素晴らしいものだとあらためて実感しました。

 西東京の先生方、いつもいつも温かく迎えていただき、ありがとうございます。また、昭武館の宮澤先生には道場の構造についても親切に教えていただき、ありがとうございました。







2009/04/19 6:56:04|随想・雑観
面白くて、ためになり、しかも…(U)
 高校で将来の進路を考えたとき、「高校の体育教師」という志望が膨らんでいました。当時の甲府西高の体育に非常に魅力的な先生方が集まっていたことも大きく影響していると思います。でも、大学2年次(1986年)に山梨で「かいじ国体」が開かれるため、「当面は体育の教員の採用はほとんどない」という現実に直面し、志望変更しました。

 ただ、志望大学は変わりませんでした。中学生の時にNHKテレビの剣道教室で見た筑波大に憧れを持ち続けていました。当初の体育学類から社会学類に志望変更はしましたが。学校推薦をもらって勇んで受けた推薦入試での「南と北」という題の小論文がうまく書けず、その内容について問われる面接もさえない内容でした。結果はもちろん不合格。共通一次試験(当時)などを経て、結果的に山梨県内の某大学には合格したものの、1次志望ではなく2次志望の体育での合格だったため、やはりかいじ国体の影響を考えて、東京の私立大への進学を決意しました。

 その私立大も、入試の前日に入試要項を見たら、大好きな「倫理・社会」が入試選択科目にあり、あわてて武蔵小杉駅前の本屋さんに倫理・社会の参考書を買いに走っての一夜漬けチャレンジでした。運よく合格し、進学を決意して下宿探しを始めたら、キャンパスは飯田橋ではなく、その年から町田市に移転開学…。ここまで書いてきて、いかに場当たり的か、何の計画性もなかった人生かを反省しています。

 大学で剣道も思い切りやりたかったですが、それ以上に取り組みたかったのは文章でした。あの推薦入試での悔しさは簡単に忘れられるものではありません。新宿の住友三角ビルに通い、ルポライターの鎌田慧さんや全国紙記者の文章講座を受けているうちに、新聞記者を目指している学生の講座があることを知りました。

 いわゆるマスコミ受験塾ではなく、のちにテレ朝のニュースステーションのコメンテーターも務めた轡田隆史さんや全国紙論説副主幹もお務めになった青木利夫さんらに批評をいただきながら毎週テーマに沿って文章を書いていくものでした。

 講座そのものよりも(失礼!)、その後の飲み会が非常に楽しく「背広の語源は、セフィルローだ(実際には諸説あります)」なんて、うんちくのオンパレード。「ものの見方」についていろんな大学の学生と語り合えたのが今でも私の財産になっています。

 自己弁護するようですが、人生って計画通りにならないからこそ面白いのではないでしょうか。チャレンジしたからこそ挫折もある。チャレンジした結果、反省することはあっても後悔はありません。何もしなかったときに「やればよかった」という後悔の念がわき上がってくるのだと思います。

 剣道の教えにある「一歩踏み込め、あとは極楽」。人生にも通じる言葉です。







2009/04/19 5:43:54|随想・雑観
面白くて、ためになり、しかも…(T)
 甲斐直心館の1期生である塚原君からこのブログに対して、身に余るコメントをいただきました。そう感じていただけたなら、正直にうれしいです。

 大学時代、複数の全国紙のベテラン記者というような方から繰り返し受けた教えが「文章は、面白くて、ためになり、しかも知的であれ」ということでした。文章を書くとき、この言葉を常に念頭に置いていますが、三拍子そろえることはなかなか難しいですね。

 私は小学1年生の時に急性腎炎で半年間入院しました。登校時の石合戦で、隣にいた友達のランドセルに当たって跳ね返った石が顔面を直撃し、溶連菌に感染したのが始まりでした。医師から「激しい運動は一生できない」と宣告され、事実、小学校6年間は学校の授業で水泳は禁止されたため今でも25bくらいしか泳げません。

 当時の病院では、生と死を強く意識させられました。仲間が亡くなってしまったこともありました。退院ではなく、白いシーツだけが残るベッド。あの虚脱感、空白感は強烈な印象となって残っています。親と離れて暮らす寂しさから、面会の親が帰るときには布団をかぶって涙を隠す子ども、自分の親がほとんど面会に来られないため「面会時間は終わりました」と病室を巡って、ほかの親に帰るように促す子ども…。入院はしない方がよいけれど、ああいう世界があることを知っているといないでは普段の生活に対する思いも違ってくる気がします。

 小学校高学年になると、放課後は担任の先生の心配をよそにソフトボールやドッジボールなどで毎日遅くなるまで遊びまくりました。その遊び仲間に現在のTHE BOOMのメンバーの一人もいました(話が横道にそれています)。「健康な子以上に体を動かしています」と担任の先生が母に報告したほどです。母からは怒られ、小学5年生の時に母に「野球かサッカーのスポ少に入りたい」と懇願しても相手にしてもらえませんでした。母にとっては「スポ少」という響きが、肉体を酷使する団体の代名詞のように思えたのかもしれません。結果的には、このとき野球、サッカーをスポ少で始めなかったことで、中学校で姉が始めていた剣道に入ることとなりました。

 剣道の掛かり稽古などは当然激しくきついですが、短時間集中の稽古で上達できるため、体にも負担は少ないのだそうです。中学校から始めた竜王中のメンバーで関東大会にも出場でき、3年時にはその当時竜王にできた剣道スポ少の1期生として参加し、私自身もそれなりに健康な体づくりができました。(Uにつづく)







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