菅総理の談話から久々に日韓関係がクローズアップされています。
1988年2月から3月にかけての大学卒業直前に米国、カナダ、韓国を一人旅してきました。途中、従兄弟と同行したり、大学の同級生と合流したり。2週間を超える、いわゆる「卒業旅行」でした。カナダはナイアガラの滝を見に行っただけですが、米国、韓国を選んだのは欧米、アジアの中で日本にとって今後ますます重要な関係の国になると考えたからです。
韓国はちょうどソウルオリンピックを控えた時期でした。ソウルはかなりの都会でしたが、一歩大通りを外れると街角のあちこちにバナナの屋台があり、薬屋さんも非常に多かったことが印象に残っています。38度線の非武装地帯、板門店にも行きました。運動靴は禁物で、そのために革靴を持参したものです。
銃を持った北朝鮮の兵士が間近にいるし、学生の私にとっては非常に緊張感のある場所でした。帰国後、ある全国紙の論説委員に話したところ「まったく緊張感などない」と一笑に付されましたが。
板門店とともに見たかったのは3月1日の韓国の様子です。韓国にとって3月1日は日本からの独立記念日だからです。
韓国では一定の年齢以上の方になると流ちょうな日本語を話します。実際に旅先で何人もの方に声をかけられました。でもなぜそれほど日本語が話せるかという歴史的背景を考えると複雑な気持ちになりました。
1910年の「日韓併合」、そして1919年3月1日、独立運動が始まった。その日なのです。
私が訪れたその日、あちこちの公園では人々が集まり、「サンミル(3.1)独立運動」を祝い、日本を糾弾する集会が行われていました。私は遠くからそれを眺めていました。
学生の日のその体験を私はずっと心の底にしまっています。
村山談話、小泉談話、そして菅談話。日韓関係にまた変化が訪れようとしています。
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