山梨県のほぼ全域と長野県東南部を自営仕事で飛び回っています ついでに立ち寄った所の道草紀行 日常のあれこれ 家庭菜園の様子等々 気が向いたときにぼそぼそっと投稿して行きます。
 
2021/12/14 11:58:00|その他
12月7日に母が92歳で永眠いたしました
近親者のみで告別式を執り行いました

生前お世話になった方にお礼申し上げます

思い起こせば母は昭和4年に生まれあの激動の昭和の時代を生き抜いたのです
6人兄弟の長女でしたのでよく子守をさせられていたそうです
多分その時に子守歌や童謡を歌っていたのだと思うのですが
晩年よく童謡を口ずさんでいました

終戦後見合い結婚をして専業主婦となり4人の子供を育て上げてくれました
が若くして認知症を発症してしまいました
49歳で夫と死別その後、認知症の症状も進んでしまい
平成14年に特別養護老人ホームへ入所しました以来19年に渡ってそのホームで生活してきました
せめて最期は自宅から送ってあげたいと思い自宅で葬儀を行いました

幸多き人生でありませんでしたが安らかに成仏して欲しいと願っています

 







2021/11/22 17:50:00|みちくさ紀行
美空ひばり歌の里
今日は伊奈の箕輪町で仕事でした
もみじ湖に立ち寄ろうと思ったのですが土砂降りだったので予定変更、美空ひばり歌の里へ立ち寄りました

小高い緑の丘の上にひっそりと佇んでいます
館内に入ると所狭しと多くのひばりコレクションが並べられています実際に着用した衣装やポスター、レコード、写真パネル、全国のファンから寄贈され公演パンフや機関誌等々、

いまさらながらですがひばりさんの偉大さを実感しました

私はひばりさんの歌の中では「東京キッド」が特に印象に残っています、この歌は昭和25年同名映画の主題歌として発表されたものです戦後混乱期の日本に夢と希望を与えてくれた一曲です

「空を見たけりゃビルの屋根もぐりたくなりゃマンホール」
というフレーズがいいですね当時の世相を表しています

当時のマンホールの蓋は誰でも開けられるものでした
現在は安全を考慮してのことでしょうが殆ど専用工具を使わないと開けることが出来なくなっています
当時の雑居ビルも誰でも入れたようです
今はセキュリティがきびしくなっていて勝手に入ることが出来るビルなど殆どないでしょうね

チュウインガムやチョコレートに飢えていても人々の心は現在の我々より開放的で夢や希望にみちていたように思えます。

「晩秋に 昭和を偲ぶ 歌の里」
 







2021/11/13 16:39:00|山歩き
甘利山
今日は韮崎で一仕事してから
つき抜けるような青空に誘われて甘利山へ
晴天の土曜日なので第一駐車場はほぼ満車でした
暫く来ないうちに随分と人気スポットになったようです

駐車場から山頂までは約700m徒歩で20分程度で登れる手軽なコースなので小さな子供さん連れのファミリィーが多く登っていました

甘利山と言えば6月のレンゲつつじが咲き誇る時期が有名ですがこの時期は富士山の絶景が見事です
富士山、八ヶ岳、南アルプスが一望できます

「秋晴れの 甘利で拝む 富士の峰」







2021/11/09 13:58:00|みちくさ紀行
一橋家陣屋跡

先日は韮崎へ
本町ふれあい公園の一角に一橋家陣屋跡の石碑がありました

8代将軍吉宗の第4子宗尹が江戸城内一橋門内に屋敷を持ち甲斐、武蔵、和泉に10万石が与えられました
甲斐には3万石の領地がありました、その陣屋跡です

一橋家といえば15代将軍の慶喜を思い起こします、謎の多い将軍です、慶喜は大阪城でまさかの敵前逃亡をとげた愚将として語り継がれていますが本当に愚将だったのか大いに疑問が残ります

鳥羽伏見の戦いで慶喜が本気で戦っていたなら日本はどうなっていたのでしょうか 歴史に「もしかして」はタブーかもしれませんが

国中が戦火にまみれズタズタボロボロとなって外国の侵略を許していたかしれないと思うと、
もしかしたら慶喜は徳川を潰して日本を守った救世主かもしれないとさえ思えるのですが・・・

諸説あるところで真相は闇のなかですが

「徳川の 終焉しのぶ 石碑かな」







2021/11/06 17:06:00|みちくさ紀行
小瀬スポーツ公園
昨日は甲府の小瀬で仕事でした
小瀬といえば小瀬スポーツ公園ですね
ご存知、バンフォレ甲府のホームグラウンドもあり
広い公園は市民の憩いの場になってます
しばし公園を散策です
紅葉は終わりに近いですが銀杏の黄葉が綺麗でした

この公園は1986年のかいじ国体の際に整備されたものだそうです国体の開会式に臨席された天皇陛下の歌碑もありました

「青空に 黄金かがやく 銀杏かな」