| おはようございます。 昨夜のウクライナの、 ゼレンスキー大統領の演説を聴きました。 日本のことを本当に学んで下さったうえでの、 発言が多く、非常に感銘を受けました。 その中に奥様が関わった、 オーディオブックのプロジェクト― の、話題があって、日本の昔話を、 ウクライナ語で録音された話しがありましたね。 なので、今日はワタクシの昔話をします  昔と云っても、一昔程度じゃなくって、 自分が小学生の時まで遡りましょう  ですから、昭和40年代の半ばから、 50年代の初め頃の話しですよ。 ふる〜い、思い出の体験談です。 ワタクシの母校の小学校は、 甲府市立S垣小学校です。 詳しく書かなくっても分かりますよね。 あれは、確か5年生頃だったと思います。 S垣小学校の真横を流れているのは、 高倉川です。 この頃、学校の遊びでは、 タイヤゲームと、 ソフトボールが流行っていました。 タイヤゲームは、自分と同じくらいの年代の男子なら、 きっとご存じでしょう  なので、タイヤゲームがどんな遊びだったか  と、云う事には、今日は敢えて触れません。 自分は少年野球もやっていましたが、 その頃の自分は肥満児ちゃんで、 自虐ではなくリアルに、どんくさかったなあ・・・  でも、友だちと一緒にやるソフトボール  は、 本当に楽しかった  週末になると、クラス対抗でとか、 近くの小学校ととか、 試合もやったりして、盛り上がっていました。 ある時、誰かが 高倉川の川原に降りて、 この川を探検しようぜ―みたいな事を言ったんです。 そりゃあ、面白そうだ―と、全員が賛成し、暫くソフトは休戦して、 土曜日の午後は、高倉川探検をしよう そんな流れになりました。 ついては、探検隊の名前も付けよう― と、なって、付いた名前は、 タイトルにある 「アストロ団」です。 覚えていらっしゃる方が居ますかねえ・・・ この頃ジャンプで連載されてた漫画で、 『アストロ球団』ってのが、あったんです。 そのメンバーは、 身体の何処かにボールの形  のアザがある― 9人のメンバーって設定でした。 やっぱり同じ頃に某公共放送でやっていた、 『新八犬伝』の、人形劇と被ってて、 やはり、 南総里見八犬伝から着想したそう。 それまでの野球漫画とは明らかに一線を画す、 ちょっとSFチックな漫画でした。 そして、そのメンバーに合せて、 1号から9号まで、ナンバーを割り振って、 石鹸箱に色紙を貼って、 アストロ○号って書いた、 メンバー証も作りました。 自分は ライトで9番だったので、 アストロ9号だったと記憶しています。 そして、学校の真横からスタートして、 週ごとに次第に 高倉川を遡る探検の旅を、 敢行する事にしました。 オニギリ  を持って、水筒  も持って、 リュックを背負っての川旅です。 高倉川は、途中で蛇行して、 善光寺さんの西側を流れています。 更に遡ると、今のかいてらすの辺りで、 国道(山の手通り)を渡り、 茶道峠へと続く山道になっていきます。 その頃の高倉川には、 結構、生きものも、魚も居たんです。 石を囲って追い込んで、 アブラハヤなんかも捕ったっけ・・・ 釣りはしなかったけれど、 これって、 小学生にとっては、結構な冒険でした。 ずっと遡っていくと、 何て場所かは覚えていないのですが、 結構な高さの堰堤があって、 それ以上は遡れないって所まで行きました。 1ヶ月くらい掛かったのかなあ・・・ もっとだったかなあ・・・ 懐かしい冒険の旅を、 ふと思い出しちゃったんで、 投稿しちゃいました 高倉川は現在、 一部埋め立てられちゃったりして、 細々と流れてはいますが、 さすがに釣りはできませんよねえ。 でも、自分は結構、 高倉川で釣りもしたんですよ  ハヤ釣りでした。 あっ、 ハヤは、オイカワでしたね。 地域の川で、小さな冒険の旅、 正に、 スタンドバイミーの世界だったぜ  ダーリン、ダーリン  写真は現在の高倉川の様子 地場産業センター(かいてらす付近)です |
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