井の中の蛙
大海を知らず―このことわざは、皆さんも良くご存じですよね。
どんなに大口を叩いても、カエルは海を知らない―
つまり、身の程を知れ― と、云う事。
上には上がたくさんいるぞって例えです。
魚釣りが大好きで、一度は一般の企業に就職したものの、
やはり魚釣りに関わる仕事がしたい―
自分が前職を辞めて、
改めて釣り業界に再就職したのは、
25歳になった翌年の2月でした。
と、云う事は、脱け厄の歳だった訳です。
当時は考えてもいませんでしたが、
こうして字に書いてみて、改めて気付きました
釣り具店スタッフとして勤務するからには、
それなりに釣りには詳しい―
ある意味、高をくくっていました。
が、現実は甘くなく、
お客様の多様な釣りの趣向に付いていけず、
目からウロコの日々・・・
上司にも、だいぶ迷惑も掛けたかなあって思います。
そんな毎日が始まって半年が経った8月に、
清水の店舗への異動が通達されました。
これが、自分が清水に行く事になった最初でした。
当時の店長には、
「2〜3年経てば帰って来れるよ」って、
そう云われて送り出されました。
そして、ついに異動となり、
清水のお店での勤務が始まったのです。
ですが、やはり
清水でも知らない事が多すぎて、
お客様にも、無知を指摘されたりして、
最初は、かなりへこみました
そんな自分を見かねたのか、
山育ちで、中途半端に海釣りが好き―
そんな、半端なスタッフに、
清水での釣りのイロハを教えて下さったのは、
お店のある土地を所有されていた大家さんでした。
ご自身も、清水の店舗の隣で薬局を経営されて居り、
そして
誰よりも、
清水の釣りを熟知したレジェンドでした。
時々、来店されては、
「今度、休みはいつなの!?」って、聞いて下さり、
休みの日をお伝えすると、
「じゃあ、あそこに行こう!!」
って、釣りに連れ出して下さったのです。
そして、釣りをしながら、
「どうだぁ、慣れたかぁ・・・」って、仰って、
清水港内・三保の釣り場、久能から大谷海岸まで、
季節の獲物・仕掛け、釣り方・・・etc
を、決して指導する様な感じでは無く、
丁寧に、親切に教えて下さったんです。
そして、馴染みのお客様にも、
「今度は、○○くん(自分の事です)に聞いてやってくれや」
って、接客を勧めて下さったのも大家さんです。
お陰で、半年も経った頃には、
顧客様も付いて下さって、清水周辺の釣りには、
だいぶ詳しくなりました。
今でも、尊敬して止まない恩師であり、
永遠のレジェンドです。
残念ながら、もう他界されてしまいましたが、
山梨にも届いた訃報を聞いて葬儀に駆け付けると、
ご家族も喜んで下さったばかりか、
当時のお客様からも、良く来てくれたねぇ・・・
って、多くの方から言って戴いて、
改めて、大家さんの優しいお人柄を実感したのです。
この方こそ、自分の釣りを大きく変えて下さった方です。
そして、
もうお一方、
自分の釣りを変えて下さった
レジェンドが居ました。
この方は、自分の
堤防釣りの師匠で、
清水の駅の近くにお住まいでした。
お客様で何度かお話しさせて戴いて以降、
とても、気に入って下さったそうで、
「
袖師で、○○が釣れ出したよ」とか、
「
江尻に居るから、いつでもおいで」とか、
とても気さくに、お声を掛けて下さいました。
当時は、どの埠頭でも釣りが出来ました。
江尻埠頭に行くと、
「○○くん、こっち、こっち〜!!」と、
自分の隣を開けて下さって、
アジ釣り、
カマス釣り、
そして、
サヨリ釣り。
いっぱい教えて下さいました。
異動でお店が変っても、
行った先のお知り合いに自分を紹介して下さって、
また、その方が、その土地の釣りを教えて下さる・・・
そうやって、ご縁が繋がるのです。
本当に感謝しかありません。
どうして、そんなにお知り合いが多いかと云うと、
この方、お若い時は競輪選手だったのです。
静岡市に公営の競輪場がありますし、
当時は若手を育成する
指導役もされていらっしゃったので、
県内どのお店に行っても、
直ぐに顧客さんが付いて下さったのは、
この方がいらっしゃったからなのです。
地元に戻っても、交流は続きました。
静岡には、都合7年近くいたんです。
もう、第二の地元ですよね
山梨に戻ってからも、
年末近くになると、ご自宅宛てに、
「枯露柿」を贈っていました。
凄く喜んで下さって、
「大好物なんだよォ」って・・・
ある時、奥様からお電話を戴き、
「もう、弱って○○くんが分からなくなってしまった・・・」
と、お話しを戴き、それが最後の交流となりました。
自分がどうして清水が好きなのかと問われれば、
単に釣りが盛んな場所だから―
だけではなくって、このお
二人のレジェンドと、
親切に、親切に、
一緒に釣りをしたシーンが、
走馬灯の様に駆け巡るからです。そして、大家さんに紹介された方と、
今でも交流があり、清水とのご縁が続いています。
お彼岸が過ぎ、
不意にお二人の事が思い出され、
懐かしく振り返ると共に、
この繋いで戴いたご縁を、絶対に切ってはならぬ―
そう決意したのでした。
写真は、お二人のレジェンドと行った、
共通の思い出の場所―
袖師埠頭を船から見た光景です。
コロナが落ち着いたら、また清水に行きますよ