いや〜、嬉しいです!!
ソフトボールに引き続いて、野球

も金メダル
忘れられない日になりました。
興奮の一夜が明けて、
いよいよ今日、東京オリンピックが閉幕します。
選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
本県出身、レスリングの乙黒拓斗選手の、
金メダル、本当におめでとうございます

これで、お兄さんの無念も晴らせたことと思います。
二人で胸を張って山梨に戻って来て下さいね。
選手の皆さんの頑張る姿を見る度に、
確実に勇気や元気を戴く事ができました。
過ぎてみれば、あっと言う間でしたが、
コロナ感染も、あっと言う間に広がってしまいました。
きっと、この投稿がアップされる頃には、
男子マラソンの結果が出ている頃です。
日本人選手の、有終の美に期待したいですね。
頑張れニッポン

ところで、マラソンと云えば、
このオリンピックのマラソンは、
暑さによる選手への危険回避のため、
東京から札幌へ舞台が変更になりました。
それでも、過酷なレースだったと思います。
そこで、
「過酷」と、云う言葉になぞらえて、
かつて経験した、
過酷すぎる釣行―。
の、事を、今日はお話ししたいと思います。
が、先にお伝えしておきます。
絶対に、皆さん真似しちゃダメですよ。
若かった故の無茶なのか、
単なるバカなのか、移動時間も含めてですが、
不眠不休で釣りを続けた、アホな経験です。
今、思っても、
よくまあ無事に帰れたもんだ・・・
と、呆れてしまいます。
では、アホな釣行記です。
笑ってやって下さいまし

あれは、まだ自分が釣具屋で、
静岡県の清水のお店に居たときでした。
まだ20代の頃です。
スタートは、清水名物
クロダイ
のカセ釣りでした。
早朝4時に起きて、
釣り船店がある巴川畔(写真上)に着いたのが5時前―
そこから、日がな一日
クロダイ釣りに没頭

大好きな釣りですから、まだ余裕

数尾のクロダイを釣って、
一度、寮に戻ってクロダイを捌き冷凍―

通常なら、日焼けもしてますし、
集中もして疲れるので、ここで終わりですよね。
このオリンピック前の一幕にもありましたが、
普通はやらない―
ですよね〜

けど、この時は、
まだまだこれから先が長かった・・・
実は、実家の釣りバカ家族が、
伊豆の
下田に、泊まりで行くと云うので、
自分も乗っかる事にしたのです。
風呂になど入ってしまえば、
落ちてしまうのは分かっていたので、
シャワーだけ浴びて、次の出発準備―
仮眠もしないまま、
深夜1時に清水を出発、東名は使わず、
下道で
天城越え、下田に着いたのが朝5時でした。
と、云う事は、ここまでで
24時間超―
釣り場は、下田の
犬走堤防―
ここが家族との落ち合い場所。
待ちきれず、堤防釣り開始。
メジナ
狙いです。
家族が現地に到着したのが、
午前9時頃だったかなあ・・・。
さすがに、うろ覚えです

釣れたのは、
木っ端メジナやら、
ワッペンカワハギやら、
シマダイやら・・・
たいした獲物はなかったよなあ・・・
まあ、なんとか食べられそうなサイズを、
選んでキープ。時間は、夕方6時頃―
板戸と云う、
外浦に近い漁港(写真下)の脇に、
親父が懇意にしていた民宿がありました。
ここは、とにかく魚喰いにはたまらない宿。
たらふく魚料理をごちそうになって、
風呂に入って床に就いたのが、
確か23時頃・・・
と、云う事はですよ。
一昨日起きた時間が早朝4時で、
クロダイ釣って、寝ずに運転して、
釣りが終わったのが翌夕の6時頃ですから、
不眠不休で、
37時間を釣りに費やしました。それからリラックスタイムはありましたが、
床に入ったのが23時だとしたら、
更にプラス5時間ですから、
42時間寝ずに過ごした事になります。
しかも、翌朝6時に釣りに板戸港に、
行きましたから、睡眠時間は5時間弱―。
宿を払って清水へ向かって出発。
お昼前だったと思いますが、
さすがに、帰りは道が二重に見えるほど、
フラフラ・・・。
何時に帰ったのか、全く記憶にありません

無事に辿り着いたから良かったものの、
ループ橋(写真中)に激突していてもおかしくない、
デンジャラスフルの釣行でした


現在、初期救急などの指導者にもなったワタクシですが、
当時、その分野は無知だったとは云え、
自分に掛ける言葉があるとしたら、
「死んでしまうぞ!!」と、恫喝でしょうね

タイトルに「マラソンフィッシング」などと、
記してしまいましたが、失礼な事です

若気の至りの
大バカフィッシングですよね
繰り返します。
皆さん、絶対に真似しちゃダメですからね
