やっぱり、春はセンバツ―
連日、甲子園では熱戦が繰り広げられています。
去年は、コロナで無くなってしまった『センバツ―」が、
一年ぶりに甲子園に帰って来ました。
『球春』って、やっぱりいい言葉ですね(^_^)v
いやあ、それにしても、東海大甲府は惜しかったなあ!!
どっちも、ほぼ同じユニフォームですから、
見ていて、目がチカチカしちゃいましたネ(^_^;)
東海大対決、センバツでは初めてだったそうですよ。
でも、凄くいい試合を見せてもらいました。
お疲れ様でした(^o^)/
ところで、
先日、飯田龍太展を見に行った投稿で、
井伏鱒二との、釣りのツーショット写真を見て、
どこかの
「釣り堀」だろう・・。とか、
釣れたのは
「ニジマス」だろう・・・。
そんな事を書いています。
日本は、非常に釣りが盛んな国でありますが、
実は
釣り人の多くが、生まれて初めての釣りで、
「ニジマス」を、釣っているのではないか―。
と、思っているのです。
そして、この
「釣り堀」がある事と、
「ニジマス」が居るからこそ、
釣りは世代を超えて楽しまれている―。
そんな気がしてなりません。
日本の「釣り文化」を、支えている魚は、
ニジマスである!!
そんな風にさえ思っています。
実は、
ニジマスは外来魚です。
最初に日本に持ち込まれたのが、
1877年(明治10年)の事です。
養殖が、比較的に簡単な事と、
他のサケ科の魚と、交雑させる事によって、
付加価値を付けようと云う事で、
持ち込まれたのだ―。と、聴いています。
日本で本格的に養殖が始まったのは、
大正15年(1926)年でして、
奇しくも、ブラックバスが移入された翌年でした。
以降、日本各地で養殖が盛んになった事で、
レジャーにも活用される様になりました。
遊漁の対象として、各地の河川に放流されたり、
「釣り堀」が、各地に作られて、
ニジマスを釣らせる様になっていきました。
その後、「釣り堀業」には、
様々な浮き沈みがありましたが、
現在は、「管理釣り場(管釣り)」として、
多くが活用されています。
また、従来通りの、「釣り堀」も、
結構、たくさん残っています。
自分も、釣りにのめり込んだ最初の魚は、
やはり、ニジマスでした。
山梨市にニジマスを釣らせてくれる、
養殖の池があって、日曜日になると、
父が良く連れて行ってくれたのです。
簡単に釣れるし、そこそこ大きいし、
食べても美味しいし、その釣り堀に行くと、
売店の「肉うどん」も、食べられる(^_-)
ってんで、本当に良く行きました。
売店のお母さんとも、顔なじみだったりしました。
やっぱり、釣れると嬉しいから、
釣りそのものが、どんどん好きになっていきました。
そのなれの果て―。
が、釣りキチのワタクシであります(^_^;)
上の写真は、
どちらも「ニジマス釣り」の、最中を撮ったものです。
左の写真は、講師に行っていた専門学校での、
釣りの実習の一コマ。
オーソドックスな、ポンド(池)タイプの、
釣り堀で、とにかく釣れる感覚を味わおう!!
って、目的で行った実習です。
右の写真は、
毎年の夏に行っている、八丈島でのキャンプ―。
の、事業の中で、川釣りが殆どできない、
八丈の子ども達と一緒に、
川を何カ所かで、堰き止めて作った、
渓流タイプの釣り堀で、
ニジマスを釣ってもらいました。
この後、子ども達は、自分で釣った魚を捌いて、
お昼ごはんに、塩焼きで戴き、
更に、持ち帰って、燻製にする過程を学びました。
外来種と云う事で、当然、
賛否があろうかとは思いますが、
もはや、ニジマスとその釣りは、
多くの日本人の、生活も、経済も、支えています。