水澄みて
四方に関あり 甲斐の国さて、この俳句の作者を知っていますか?
山梨県に生まれ、山梨県を愛し、山梨県に住み続けた、
俳人である
飯田龍太の句です。
この飯田龍太は、今まさにテレビで大人気の、
プレバトの俳句の先生 夏井いつき先生に、
大きな影響を与え、没して今なおファンを魅了し続ける、
山梨の偉人だと思います。
くろがねの
秋の風鈴 鳴りにけりこの句は、教科書にも載っていましたが、
龍太の父、
飯田蛇笏の句です。
龍太は、蛇笏の四男として、
現在の甲府市境川町(旧境川村)に、生まれ育ちました。
生誕100年を祝して、1月から今月21日まで、
山梨県立文学館で、企画展が開催されています。
で、3月16日に見に行って来ました。
さて、自分は時々、山梨県立文学館に、
見てみたい企画展があると、行くのが好きです。
県立美術館も入る芸術の森公園も含めて、
お気に入りの場所でもあります。
前回、見に行ったのは、
『赤毛のアン』の翻訳者、
村岡花子の企画展があった時でした。
村岡花子も、山梨県甲府市の出身ですよね。
ところで、自分がどうして飯田龍太展を見に行ったか―。
それは勿論、龍太の俳句に興味があるから・・・。
と、同時に、
龍太が「釣り」が、好きであり、
龍太と長きに渡り、心を通わせた文人、
井伏鱒二との、釣りを通じての交流があったからです。
自分は井伏鱒二の作品が、割と好きなんです。
そして、最も見たかった展示として、
龍太が、読売文学賞の1等を受賞した際に、
井伏が気の合った仲間と一緒に作ったサークル、
『幸富講(こうふこう)』の仲間と一緒に、龍太に贈った、
釣り竿を、展示している―。と、知ったからです。
春暁の
竹筒にある 筆二本この句が、受賞作の様です。
『幸富講』は、今で云えば、
SNSの、ライングループみたいなものでしょうかね。
この仲間達と一緒に、
しょっちゅう甲府に遊びに来ていた様です。
そんな仲間達から贈られた、
大好きな釣りの道具―。
元竿には、地元の篆刻家の
内藤香石により、
言葉が掘られています。
竿を入れる箱には、井伏が命名した竿の銘
「わすれね」と、書かれていました。
漢字を当てると
「忘音」だ、そうです。
並継ぎの竹竿で、継がれてはいませんでしたが、
おそらく三間くらい(5.4b)の竿だと思います。
竹竿でこの長さを作るには、
膨大な数の竹から選別された竹を、
パーツ毎に選りすぐって、
特別にしつらえた竿に違いありません。
この竿と一緒に展示されていたのは、
『幸富講』の仲間から、
連名で寄せられた
「寄せ書き」です。
龍太は、自分で釣ったヤマメを白焼きにして、
この仲間達に贈って居り、
そのお礼の言葉が書かれています。
井伏はヤマメの絵まで添えていました。以前、井伏の釣り好きと、
ヤマメ床の話題については、触れていますが、
こうした繋がりの中に、
龍太との心と心を通わす友情があったんだと思うと、
とても嬉しく、誇らしく思うのです。
井伏は広島県の出身ですが、
山梨は、第二のふるさと―。と、公言してはばからなかったそうです。
また、釣り堀だと思うのですが、
二人で竿を並べて釣りに講じる写真も展示してあり、
龍太を見つめる、井伏のにこやかな表情が、
とても印象に残ります。
釣れた魚は、おそらくニジマスでしょう。
龍太は32歳の時に、俳人
水原 秋櫻子を通じて、
54歳の井伏を紹介されます。
以降、二人は心の友として、
親交を交わし続けました。歳の差はあるのですが、
この二人の間に、上下の関係は一切なかったそうです。
しかも、自分も大好きな
「釣り」が、
文学の世界に生きている二人を結びつけた―。なんて、考えると、全く関係ないのに、
嬉しいなあ(^o^)/
って、なる訳ですよ。
二人の釣りでの交流エピソードは、
まだまだありそうですが、
それは、また調べてみて、
気が付いたら、お話ししますね。
釣りの俳句がないかなあ・・・
って、思い探してみましたが、見つけられませんでした。
でも、故郷を思う龍太の気持ちが伝わって来る、
こんな句があったので、最後に紹介します。
そして、釣りにも通じる句かなあ。
と、思いました。
なにはともあれ
山に雨 山は春
春の山は、とにかく素晴らしい・・・
山に春の雨が降り、栄養と共に川を下れば、
私が好きな魚たちも嬉しいだろう・・・
そ〜んな気持ちも、少しはあったのかなあ・・・
なんて、感じました(^_^)v
俳句や文学に余り興味がなくっても、
釣りが好きな方にも、是非とも行って欲しい
県立文学館でした(^o^)/