今日は3月11日です。 様々な場面で、メディアで、 今日がどう云う日であるのか―。 知っていらっしゃる事でしょう。
そう。10年前の今日、東日本大震災が起こりました。 このブログは、釣りやお魚の事、環境教育の事・・・ を、お伝えして居りますが、
やはり、今日のこの日に、 未曾有の大震災となった『東日本大震災』の、話題から、 目を背ける訳にはいきません。
なので、自分があの日に何をしていたかも含め、 あれから10年が経って、 被災地の今に心を寄せる機会にしたいと思います。
海なし県に暮す自分などには、 あの日の惨状は、 到底、想像もできない光景だったでしょうが、
だからこそ、絶対に忘れない事―。 絶対に風化させない事―。 が、当事者ではない私ができる、 何よりも大切な事なんだと思っています。
そして、被災地の方々にとっても、 いつも傍にあって、 穏やかであった『ふるさとの海』が、 突然、牙を剥いて襲って来た事は、 余りにも大きなショックだった事でしょう。
さてここからは、 あの日の自分は何をしていたか―。 そこから話したいと思います。
自分の仕事は、体験を提供する仕事なので、 冬期は完全なオフシーズン。
だから、毎年割り切って、3月いっぱいまでは、 アルバイトで生活を繋いでいるのです。
あの年、自分が選んだ短期のバイトは、 引っ越し業者さんでのバイトでした。 体力的にもしんどかったですが、 割と稼げる仕事ではありました。
あの日も引っ越しの依頼をされたお客様の、 新しい生活の場所に、その方のお荷物を、 その業者さんの荷物が集まって来るステーションに、 積み込みに立ち寄ったその時でした。 午後2時46分・・・
荷台に立っていた自分は、突然の揺れに驚き、 荷台になんとか捕まって、揺れを耐えていました。
余りにも長く大きく揺れましたが、 山梨県内では、確か震度5弱だったと記憶しています。
なので、その時点では、 東北が、津波であんな事になってしまうとは・・・。 微塵も思ってもいなかったのです。
バイトでは、ドライバーさんの指示に従って、 とりあえず荷物を積んで、 お客様のお宅に、行こうとしました。 が、周りの信号は全て消えていました。
新規オープンしたばかりのショッピングモールから、 たくさんのお客さんが外に出て来て騒いでいました。
カーラジオの情報から、少しづつ状況が分かって来て、 大津波警報が発令されたことも分かりました。
結局、お客様が新しいご自宅に着けなくなってしまい、 お荷物だけ、お宅に運び入れて終わりました。
自宅に帰る途中、 家電量販店のテレビで見た光景は、 ただただ怖くて、どうなってしまうんだろう・・・ 先の見えない不安と恐怖を感じていました。
とにかく、家電量販店さんでは、 きっと必要になるであろう懐中電灯を買って家に戻りました。 最後の1個でした。
夕食を買おうとしてコンビニに立ち寄りましたが、 お弁当やオニギリの類いは、 既に全て売り切れていました。 仕方なく余っていた菓子パンを買って、夕食にしました。
翌日も、すさまじい状況ばかりが目に飛び込んで来て、 当然ですが、バイトはその日からできなくなりました。
そんな状況で被災地の事を考えると、 つい昨日まで、 生活の全てであった筈の、「地元の海」に、 呑み込まれたたくさんの方々や、家々のことを考えた時、 胸が痛んで仕方なく、 被災者の方々の心情を、ひたすら考えていました。
一方、翌日の12日、 自分は所属している救護の団体からの依頼で、 ファーストエイド講習の指導を任されていました。 中止だろうと思っていたら、GOサインが出ました。
講習会が始まって暫く経って あの原発事故の一報が入って来ました。
集まって下さった皆さんに、 だからこそ、自分たちでできる手当を学ぼう―。 そう、お伝えしたのをハッキリ覚えています。
あの日、海が襲った・・・ その事実は覆りません。
これからも、ずっと海と関わり続けなければならない、 島国日本の、未来の事を海から考え直したい・・・。
そんな思いが湧いて来た頃、 福島県の水族館で、 子ども達を勇気付けるイベントを敢えてやろう!! 子ども達に、笑顔を取り戻そう!!
仲間からそんな声があがり、 海なしの県に住む自分も、直ぐに手を挙げて、 『海辺の環境教育フォーラムIN福島』の、 実行委員に名を連ねることにしたのです。
この先の取り組みについては、 もう一つの、 HOOKかんきょう『協育』事務所のブログで、 お伝えして行きます。
写真は、被災地にボランティアに入った、 仲間から戴いたものです。
荒れ狂った海の怖さを、まざまざと感じました。
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